海外出身NBA選手のモデルケース?ロシアが生んだ“万能戦士”キリレンコが協会会長に上り詰めるまで

海外出身NBA選手のモデルケース?ロシアが生んだ“万能戦士”キリレンコが協会会長に上り詰めるまで

ロシア人選手として初のドラフト1巡目指名を受けたキリレンコ。NBA入り後すぐに頭角を現わし、数々の記録を打ち立てた。(C)Getty Images

世界一の競技人口を誇るバスケットボール。その最高峰リーグであるNBAには世界中から優れたプレーヤーが集結し、特に2000年代以降は外国籍選手の数も飛躍的に増加した。では、NBAで活躍した欧州プレーヤーたちはその後、どのようなキャリアをたどっているのか。第一線を退いた彼らの今をシリーズで紹介しよう。

 1999年のドラフトでユタ・ジャズから1巡目24位で指名を受けたロシア人のアンドレイ・キリレンコは、当時18歳と132日。アメリカ国外のプレーヤーとしては史上最年少のドラフト指名選手となった。

 ロシアの強豪CSKAモスクワとの契約を終え、2001−02シーズン、ジャズでNBAデビューを果たすと、それから10年間チームの屋台骨として活躍。華やかなシュートで魅せるといったタイプではなかったが、スティールやブロックをはじめとしたディフェンスや、頭脳的なプレーで息の長いキャリアを送った。

 2004年にはオールスター、2006年にはオールディフェンシブ1stチームに選出されているが、それに加えて彼のキャリアを語る上で欠かせない功績が2つある。
  ひとつは2004−05シーズンのブロック王だ。このシーズンはケガで長期の欠場を強いられたが、41試合で平均3.32ブロックという驚異的な数字をマーク。メインポジションがスモールフォワードでありながらの同タイトル受賞は、史上初の快挙だった。

 そしてもうひとつは、1試合で得点・リバウンド・アシスト・スティール・ブロックの5部門を5ポイント以上マークする、5×5(ファイブ・バイ・ファイブ)を3回達成していること。これはヒューストン・ロケッツで活躍したアキーム・オラジュワンの6回に次ぐ、歴代2位の記録だ。さらにキリレンコは、5部門で6ポイント以上の6×5を、史上唯一、延長なしの試合で達成している(オラジュワンはオーバータイムの試合で達成)。

 ちなみにこれは2006年1月のロサンゼルス・レイカーズ戦(14得点、8リバウンド、9アシスト、6スティール、7ブロック)での快挙だったが、キリレンコは2007年11月のレイカーズ戦でもトリプルダブル(20得点、11リバウンド、11アシスト)をマーク。そして引退後の2016年3月、ジャズのホームで行なわれたレイカーズ戦の際に、功績を讃えられるセレモニーが催され、何度もしのぎを削ったコビー・ブライアントから温かい拍手を受けた。そんな、なにかと縁があるロサンゼルスに現在は居を構え、母国モスクワと行き来している。
  ジャズで10シーズンを過ごしたあと、NBAがロックアウトにより開幕が遅れた2011−12シーズンは古巣CSKAモスクワでプレーし、そこでもユーロリーグの年間MVPとベストディフェンダー賞を受賞。その後はミネソタ・ティンバーウルブズとブルックリン・ネッツでプレーし、2014年12月にフィラデルフィア・76ersにトレードされたところでNBAに別れを告げると、再度CSKAに戻り2015年6月、34歳で現役引退を発表した。

 第2のキャリアは、引退直後からスタートした。引退後は1〜2年、のんびりする選手も多いが、キリレンコは、自分はプレッシャーのある環境に身を置くほうが向いていると自覚していた。

「NHLを40歳でリタイアした友人にアドバイスされたんだ。『引退したあとは、すぐに仕事したほうがいいぞ。休んでしまうと、その後腰が上がらなくなる』ってね」

 さっそくロシアのバスケットボール協会の会長選に名乗りを上げると、引退から3か月後には、母国のバスケットボール界を牽引する側に立っていた。
  しかしこの時、ロシアバスケットボール協会はトラブルの渦中にあった。前回の会長選挙で不正の疑いがあり、協会の運営が秩序を失っているとして、FIBA(国際バスケットボール連盟)から資格停止処分を言い渡されたのだ。2か月後の9月には、リオ五輪の出場権がかかったユーロバスケット(欧州選手権)が控えていた。

「このまま誰もが責任逃れをしているうちに事態は悪くなる一方だ。とにかくできるだけ早く会長選を正常化させることが、協会を軌道に乗せることにつながる」

 キリレンコは、会長選に立候補した理由をそのようにコメントしている。2008年の北京五輪ではロシア選手団の旗手を務めるなど、国を代表するアスリートであるキリレンコがトップに立ったことで、FIBAは協会の運営に正常化の兆しがあると判断。停止処分を一部解除して、ロシア代表のユーロバスケット出場を認めた(その後11月に停止処分は撤回)。
  ロシアバスケットボール協会の「会長職」は、肩書きだけの名誉職とは程遠く、あらゆる世代の代表チームの運営から、草の根レベルでの競技振興、レフェリーやコーチ陣の管理、政府や自治体との折衝も行なうなど、日々、実務をこなす多忙なポストである。

「実際、仕事量は膨大だ。キッズのミニバスから代表まで、ロシアにおけるすべてのバスケットボール活動を管轄するというのは、非常に挑戦しがいのある任務だよ」

 キリレンコはユタの地元紙のインタビューでそう語っている。

 そして、就任当初から最も苦心しているのが資金繰りだ。

「代表チームにスポンサーが集まるような、魅力的な工夫をしたいと考えているところだ。すでに人々が代表チームを見る目は変わってきている。結果が良い時だけ注目されるのではなく、ファンにとって選手たちはより身近な存在にならなければいけない」
  着任直後のユーロバスケットは、前述の協会のゴタゴタも影響し、主力選手が辞退するといった問題もあって24チーム中17位と惨敗。リオ五輪出場は叶わなかったが、2017年のユーロバスケットでは4位と、復調の兆しを見せている。昨年のワールドカップでは2次ラウンドで敗れ12位という結果に終わったものの、東京五輪の出場権をかけて、来年6月に行なわれる最終予選に参戦する。

 FIBAは2019年のワールドカップから予選システムを変更し、以前のような国際大会の順位で決めるものから、サッカーのように年間に国際試合期間を設けて、予選を行なう形式をとっている。NBAを筆頭に、シーズン中に選手を派遣することに難色を示す声も少なくないが、キリレンコはこの新方式に賛成だ。

「ファンにとっては、年に1度の大会の時だけでなく、3か月ごとに代表の試合が見られるというのは嬉しいことだ。それに選手にとっても、クラブをいったん離れて代表でプレーすることは、マインドをリセットする機会になる。自分が現役時代もそうだったが、代表は、若い頃から一緒に育ってきた選手たちと再会できる場でもある。とりわけ国外でプレーしている選手にとっては、時々このような機会を得て、家族や友人ら、自国のファンの前でプレーすることは、心身ともにとても良いリフレッシュになるんだ」
  実際、キリレンコが代表に参加していた2000年代は、ロシア代表の最後の黄金時代だった。ユーロバスケットでは2007年に金メダル、2011年大会では銅メダルを獲得。オリンピックにはシドニー、北京、ロンドンと3大会に出場し、2012年のロンドン五輪では銅メダルを勝ち取った。NBAで活躍していたキリレンコは、ロシアでは超がつくほどのスーパースターであったにもかかわらず、代表戦でも客席に突っ込む勢いでルーズボールを追うなど、泥臭い仕事を率先してこなす姿にファンは魅了された。

 そしていったんコートを離れれば、ジョークを交えて朗らかに話す社交的な性格。その姿は、各国メディアからも絶大な人気と尊敬を集めていた。そんな持ち前の人徳は、自国のバスケットボールの顔である会長という現在の役割に、大きく生かされている。

「代表チームや、若い選手たちがプレーする上で必要なあらゆるプロセスを、いかにシンプルにしてあげられるかを考えるのが私の任務なんだ」
 「この仕事が大好きだ」と話し、現役時代、常に仲間の持ち味を生かすプレーをしていた彼にとって、現在の役職は打ってつけかもしれない。

「サンクトペテルブルクから来た少年が、NBAでオールスターに選ばれ、オリンピックでメダルも取れた。我ながら、けっこう頑張ったと思うよ。もちろん、マイケル・ジョーダンのような選手と比べたらちっぽけだけれど、バスケットボールで国を代表できたというのは、かけがえのないキャリアだったと思える。とても意義のあることだった」

 ロシアから世界へ羽ばたいた少年の挑戦はまだ終わっていない。これからも母国のバスケットボール界発展のため、キリレンコはコート上と同じくらい、粉骨砕身していくだろう。

文●小川由紀子

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