ロッドマンはコンバース、ピッペンとペニーはナイキ……1990年代のスタープレーヤーとスポーツブランドの契約事情

ロッドマンはコンバース、ピッペンとペニーはナイキ……1990年代のスタープレーヤーとスポーツブランドの契約事情

1996-97シーズン、ロッドマンはナイキのバッシュを途中まで履いていたが、年明けからコンバースのモデルを着用するようになった。(C)Getty Images

1996年11月、シカゴ・ブルズの本拠地ユナイテッド・センターに取材に訪れた際、デニス・ロッドマンのエージェントに呼び止められた。彼は僕の著書である「ブルズ黄金伝説」を持っていた。どうやらチームの広報から手に入れたらしい。

 そしてロッドマンがこれまで着用してきた歴代のシューズチャートページを開いてこう言った。

「デニスはもうナイキとは契約していない。今はナイキの「エアマエストロ」を着用しているが、そのうち違うシューズを履くことになる」と。続けてエージェンドから「ところで、デニスは“エアベイキン”を履いていないと思うけど、どうしてここに載っているんだ?」と突っ込まれた。

 チャートページにはナイキの新作「エアベイキン」が掲載されていた。ナイキ関係者から、今季のロッドマンは「エアベイキン」を履くと聞いていたのだが……。

 バスケットボールに限らずプロアスリートとスポーツブランドとの契約は、多くが世間に発表される半年以上前に決定している。恐らくこの時点でロッドマンは他ブランドとの契約が決まっていたのだろう。ただ、メディアに情報が解禁されるのは契約開始後がほとんどで、時差が生まれてしまったことが原因だった。
  結局、その後ロッドマンはコンバースへの“移籍”を発表し、「スプリングフィールド」というシューズを着用。翌年には早くもシグネチャー「コンバース・オールスター91」が作られている。

 同じくブルズのスコッティ・ピッペンはマイケル・ジョーダンに次ぐ最強の2番手として、当時のNBAで5本の指に入るスーパースターだった。しかし、同シーズンの彼の年俸はリーグ全体でトップ100にも入らない約4億円。チームメイトのジョーダンが24億円、ロッドマンが10億円だったことを考えると、その低さは一目瞭然だった。

 ピッペンがナイキのモデルを履き始めたのは1988年。当時はまだ無名の選手で、ナイキからのオファーをもらったのはシーズン開幕後だった。その頃のナイキはジョーダンのほかに、チャールズ・バークレー、デビッド・ロビンソンと契約していたが、彼らに続く選手を探していた。

 そこに名乗りを上げたのがピッペン、ショーン・ケンプ、ケビン・ジョンソンという若手たち。しかしケンプはリーボック、ジョンソンはコンバースと契約。同世代の有望格として最後までナイキを履き続けたのはピッペンだった。
  そして契約から9年後の1997年、ついにナイキは彼のシグネチャー「エアピッペン」を発売する。さらに同時期にはアロンゾ・モーニングの「エアアロンゾ」もリリース。両者のモデルはプレーヤーたちから高い支持を得た。

 一方でナイキは、“ペニー”ことアンファニー・ハーダウェイ(オーランド・マジック)に大きな期待を寄せていた。彼の「エアペニー」シリーズは、発売当初こそ爆発的な人気を博したが、自身がケガで満足にプレーできないこと、コンビを組んでいたシャキール・オニールが移籍してチームが弱体化したことが影響し、その後の売り上げは伸び悩んでいた。
  当時のフットロッカーのマーケティング部の調査によれば、ペニーのモデルは若い女性からの人気が高く、それはフィラのグラント・ヒルのシューズも同様だった。無骨なバスケ少年には堅実なプレースタイルのピッペンやモーニングのようなキャラクターが憧れであり、ベビーフェイスで華があるペニーやヒルは手が届かないアイドルスター的な存在だったという。

 ジョーダン以降のNBAでスポーツブランドは、選手のプレースタイルやキャラクターをビジネスのマーケティングに連動させてイメージ付けをしてきた。現在では多くのプレーヤーが毎年シグネチャーモデルをリリースしているが、選手のブランドとのエンドースメント契約が盛んになっていくのが、この90年代後半からだった。

文●北舘洋一郎

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