「ブルズでジョーダンとプレーすると思っていた。でも……」マッグレディが明かす1997年ドラフトの舞台裏

「ブルズでジョーダンとプレーすると思っていた。でも……」マッグレディが明かす1997年ドラフトの舞台裏

1997年のドラフト日、ブルズ首脳陣はピッペンとの交換で、ラプターズが全体9位で指名したマッグレディを狙っていたが……。(C)Getty Images

スコッティ・ピッペンがシカゴ・ブルズ2度目の3連覇前に退団寸前だった――。“神様”マイケル・ジョーダン擁するブルズが最後に優勝した1997−98シーズンに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』の最初の2話が放映され、現役選手やOBたちが当時を回想する機会が増えている。殿堂入りを果たしているトレイシー・マッグレディ(元トロント・ラプターズほか)は、1997年ドラフト当日の“幻のトレード”の舞台裏を明かした。

 1991〜93年に史上3チーム目の3連覇を達成したブルズだが、翌シーズンの開幕前にジョーダンが電撃引退。絶対的エースが抜け、“第2の男”だったピッペンを中心としたチームに切り替わった。95年3月にジョーダンが最初の復帰を果たし、翌シーズンからデニス・ロッドマンを加えた“三銃士”を中心に2度目の3連覇を成し遂げるが、最後の優勝を飾る1997−98シーズンは紆余曲折を経てのタイトル獲得だった。

 当時ゼネラルマネージャー(GM)のジェリー・クラウスは、フィル・ジャクソン・ヘッドコーチ(HC)にこのシーズンがブルズでの最後の年になると通告。エースのジョーダンはジャクソンHCの下でしかプレーしないと公に口にした。またピッペンは、1991年に7年総額1800万ドル(現在のレートで約19億4000万円)で長期契約を結んでいたため、ジョーダンに次ぐ実力を誇っていたにもかかわらず1997−98シーズンの年俸はわずか260万ドル(約2億8000万円)。リーグで122番目という低評価にシーズン開幕前にはトレードを要求していた。
  最終的にピッペンはチームに残留したが、“ラストダンス”を迎える前にチーム解体寸前だった。クラウスGMはピッペンをトレードで放出し、97年のドラフトでラプターズから1巡目9位指名を受ける18歳のマッグレディを獲得しようとしていたのだ。

 このエピソード自体はマッグレディが引退後の2016年、『ESPN』の番組に出演した際、「多くの人が知らないけど、ドラフトの夜、ジェリー・クラウスは、俺とスコッティ・ピッペンをトレードしようとしていた。マイケル・ジョーダンとプレーすると思っていた」と告白して反響を呼んだ。秘密裏の下、ドラフトの数日前にシカゴで“密会”が行なわれていたことも明かしていたが、『ザ・ラストダンス』放映にともない、マッグレディは改めて当時の出来事を振り返っている。
 「俺も関わっていたことだけど、97年にジェリー・クラウスがピッペンをトレードしたがっていたということが一番印象的だった。82試合全勝でも、彼はチームを解体するつもりだった。俺が思うのは、2年連続で優勝して3連覇を目指していたのに、なぜ解体したかったのか。俺は勝つこと、チャンピオンシップを手にすることがすべてだと思っている。ここにクラウスはいないから彼は自己弁護することはできないけどね」

 97年6月25日、シャーロットで開催されたドラフトのグリーンルーム(1巡目指名が濃厚な選手たちが、家族や関係者と待機する“VIP部屋”)で、マッグレディは交渉の幕が下ろされたことを知らされたという。
 「ドラフトの数時間前に俺はシカゴに向かい、メディカル検査を受けると同時に、クラウスと様々なことを話し合った。彼はドラフト当日、俺を本気で獲得しようとしていたけど、ジョーダンがそれを止めたんだ」

 ジョーダンが相棒のピッペン放出に関する交渉を打ち切らせたことで、三銃士はもう一年共闘することになった。ブルズ最初の3連覇メンバーであるBJ・アームストロングは、「MJには新たなチームメイトとやり直す時間がなかった。彼はキャリアの終わりにいたからね」と、ジョーダンの34歳という年齢がその行動に関係していたと推察している。

 もしピッペンと、その後オールスター選手になったマッグレディがトレードされていたら――。後世に語り継がれる“ラストダンス”とは異なるシナリオは、果たして人々に受け入れられていただろうか。

構成●ダンクシュート編集部

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