若きスターを巡るNIKEとFILAの勧誘合戦。なぜグラント・ヒルはFILAと契約するに至ったのか?

若きスターを巡るNIKEとFILAの勧誘合戦。なぜグラント・ヒルはFILAと契約するに至ったのか?

大型新人として注目を集めていたヒルには、NIKEとFILAがアプローチを仕掛けていたが、“ある理由”から最終的に後者との契約を決断した。(C)Getty Images

「FILA(フィラ)との取り組みを再開するんだ。スタートは2020年からだよ」

 そんな言葉をグラント・ヒルから聞いたのは、2018年のNBAファイナル、クリーブランドでのことだった。ヒルがフィラとエンドースメント契約を結んだのはNBAルーキーシーズンの1994年。そこから同ブランドの看板選手として活躍し、引退から5年が経過した2018年に両者は生涯契約を締結したのだ。

 ではNBA入り当時の彼はなぜ、そもそもフィラと契約するに至ったのか。ヒルは「(マイケル)ジョーダンがいる限りナイキとは契約したくない」とはっきりと声明した。これは明らかに、自分はジョーダンを超える選手になるんだという彼の意思表示であった。
 「タイガー・ウッズと契約したことは20世紀で一番のナイキの功績だ。しかし、グラント・ヒルとの契約を獲得できなかったことは20世紀最大の失敗だったと後悔することになるだろう」

 当時のナイキの最高経営責任者のフィル・ナイトは、ヒルが95年のオールスターファン投票でルーキーとしてNBA史上最多得票数で選ばれた時の新聞を見てこうつぶやいたという。ナイキの広告代理店であるワイデン・アンド・ケネディー社で聞いた話だが、当時ナイキはヒルとの契約を勝ち取るために50人以上のチームを準備し、ジョーダンを継ぐナイキの新しい顔として迎え入れようとしていたのだ。

 ナイトは「ナイキはマイケル(ジョーダン)とともに大きな時代を作った。次にナイキに必要なのはマイケルの後継者ではない。マイケルのように自らの時代を切り開く人物だ」と言い、ヒルとの契約金として20億円以上を検討すると付け加えたそうだ。

 ヒルがNBA入りした1994年頃のアメリカはスポーツビジネスが好調で、過去最も景気がいい時期でもあった。NBA選手とスポーツブランドの契約という観点で言えば、カリーム・アブドゥル・ジャバー、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、そしてジョーダンがNBAを盛り上げて市場価値を高め、その延長線上にいたヒルへの期待は大きくなっていった。
  1991、92年にデューク大で全米の頂点に立ったヒルの下には、ナイキをはじめとする各スポーツブランドの関係者が将来の話をしにやってきていたという。しかしヒルは「大学時代はクリスチャン・レイトナーやボビー・ハーリーの方に興味があって、誰もが群がっていた。僕のところに来るのは、おそらくついでだったと思う。僕目当ては1人もいなかったと思うよ」と冷静に当時を振り返った。

 ヒルに最後までアプローチを続けたのはナイキ、リーボック、そしてフィラの3社だったそうだ。大学時代はチームのサプライヤーであったアディダスを履いていたヒルだが、アディダスは10年前にジョーダンを逃した時と同じように、ヒルのためのシグネチャーシューズを用意する気はなかったようだ。最後まで競合したなかで、一番力があったのはナイキで間違いない。では、資金面、組織、知名度など、あらゆる面で他社よりも上回っていたナイキに、なぜヒルの心は傾かなかったのか。

「何が良くて、何が良くないという、契約条件が問題になったわけではなかった」とヒルは言う。カレッジプレーヤーとしてすでに名実ともに最高峰だったヒルだが、NBAでそれが通用するかどうかは五分五分で、何の保証も無かった。ただし、コート上でのパフォーマンス以上に、彼のある部分を評価していた者たちもいた。

「運動能力とかバスケットボールの上手さということよりも、ヒルにはすでにしっかりとした精神力が備わっていた。こんな選手は珍しい。ラリー・バードがルーキーの時にもこんな感じが漂っていたけどね」と、ロン・アダムズ(ゴールデンステイト・ウォリアーズのアシスタントコーチ)は大学時代のヒルを振り返る。
  ナイトもヒルの精神的な部分を見い出し、そこに惚れ込んでいたと言われている。ジョーダンの場合はそのスーパープレーを出発点としてスタートし、そのあとになってメンタルの強さを身につけ、ジョーダン流のメソッドを確立した。当時のナイキはブランドイメージとして即物的な瞬発力は必要としておらず、長く続く精神的なイメージをより必要としていたのだろう。

 しかし、ヒルはジョーダンの存在を理由にナイキとの契約を前に進めなかった。シャキール・オニールからは「いくらナイキがジョーダンとは違うものをグラント(ヒル)に求めると言ったとしても、ジョーダンはあまりにも偉大すぎる。何をどうしようとジョーダンの次にしか見えない。ナイキと契約したらいつまでもジョーダンの影を背負っていく事になる」と言われたそうだ。

 両親にも相談したが、最後は自分で決断し、ヒルはフィラを選んだのだ。あの頃のヒルにとってフィラと契約すると心に決めたことは、自分がジョーダンを超える選手になるための、布石を打つ行為だったのかもしれない。

 1998年のNBAファイナル第3戦。ヒルはユナイテッド・センターのコートサイドでブルズ対ジャズの頂上決戦を観戦していた。最後かもしれないジョーダンの姿を見届けようと、ファイナルの全試合を観ることにしていた。すると試合が終わった時、白髪の男がヒルに声をかけた。

「今でもナイキは君を待ってるよ」

 ヒルはナイキの最高責任者に向かってこう返した。「ジョーダンが引退してから考えてみようかな」。

文●北舘洋一郎

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