「ジョーダンにノーと言える数少ない人間」ブルズ黄金期の土台を築いた“名GM”ジェリー・クラウスが残した功績

「ジョーダンにノーと言える数少ない人間」ブルズ黄金期の土台を築いた“名GM”ジェリー・クラウスが残した功績

スカウト時代には、アール・モンロー、ウェス・アンセルドといった殿堂入り選手を発掘した目利きでもあった。(C)Getty Images

1997−98シーズンのシカゴ・ブルズに密着して撮影したドキュメンタリー映画『ザ・ラストダンス』が、4月20日から「NetFlix」で配信がスタートした。Twitterでは、この“ザ・ラストダンス”が一時トレンド1位になるなど、世界中で大きな話題を呼んでいる。

 10部作の本作は、4月24日時点でエピソード1と2が公開されているが、マイケル・ジョーダンやスコッティ・ピッペンが度々話題に挙げている人物が、ゼネラルマネージャー(GM)のジェリー・クラウスだ。ブルズに6度の優勝をもたらしながら、あまり評価されることのなかった、“名GM”の功績を再考する。

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GMとして卓越した手腕を発揮しブルズに6度の栄冠をもたらす

 2017年3月21日、ブルズの元GM(バスケットボール部門社長)ジェリー・クラウスが77歳で亡くなった。この報せを聞き、1990年代のブルズの躍進に夢中になったファンの胸には何がしかの思いが去来したのではないだろうか。いずれにせよ、多くのブルズファンにとって、クラウスが決して忘れられない人物だったことは間違いない。

 1939年4月6日にシカゴで生まれたクラウスは、ブラッドリー大を卒業した61年にMLBのスカウトとしてプロスポーツに携わるキャリアをスタート。70年代初めには、故郷のNBAチームであるブルズのチーフスカウトに就任する。その後、一時はMLBのスカウトに戻るも、ジェリー・ラインズドーフ率いるグループが球団のオーナーになると、85年にブルズのGMに就任。以降、84年に入団したジョーダンを軸にしたチーム作りに着手していった。
  87年のドラフトでは1巡目10位でホーレス・グラントを指名するとともに、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)が5位指名したスコッティ・ピッペンをトレードで獲得。翌年にはチャールズ・オークリーをニューヨーク・ニックスに放出してセンターのビル・カートライトを加えるなど、着実にチーム作りを進めていった。

 選手補強だけではなく、87年にはマイナーリーグのCBAで指揮を執っていたフィル・ジャクソンをアシスタントコーチに招聘。さらに89年には、NBAで指揮官の経験がなかったにもかかわらずヘッドコーチに抜擢した。これらの施策がどんな結果をもたらしたかは、もはや語る必要すらないだろう。

「ジェリーは90年代のブルズ黄金期におけるキーパーソンだった」。

 これは、クラウスの死に際してのジョーダンのコメントだ。実際にブルズGM時代の実績を振り返れば、彼の評価は不当と言えるくらいに低い。その理由は、多くの栄光の立役者になった一方で、悪評も少なくない人物だったからだろう。
 悪評も多いが、彼なくしてブルズの黄金期はなかった

 仕事に関しては秘密主義で、地元メディアとの関係も良好ではなかった。それでいて目立ちたがり屋な性格。年俸の交渉や人事を巡り、ジャクソン、ピッペン、そしてジョーダンらと激しく対立した。サム・スミスの著書『ジョーダン・ルール』に、「クラウスへの敵対心からチームが一丸となっていった」という記述があったのは有名な話である。

「今、人々が述べている賞賛を、生きている間に彼が聞くことができれば、どんなに素晴らしかったかと思います。当時はそう言ってもらえることは多くなかった」

 クラウスの下でかつてアシスタントをこなし、現在はブルズでアシスタントコーチを務めるカレン・スタック・ウムラウフの言葉には実感がこもっている。85−86シーズンから2002−03シーズンの在任期間に通算808勝636敗という成績を残し、87−88シーズンと95−96シーズンにはエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーを受賞。これほどの実績を残しているにもかかわらず、クラウスは名GMと認められてきたとは言い難い。

 GM就任時に、すでにジョーダンがロースターにいたことがクラウスが過小評価されることにもつながった。

史上最高の選手がいれば優勝なんて難しくない?と考える人が出てくるのは、ある意味では仕方なかったのかもしれない。ただ、卓越したスカウト眼を生かして多くの優秀な選手を獲得したクラウスの手腕は、もっと評価されていいだろう。特に93年のジョーダンの1度目の引退以降のチーム作りは出色だ。
  同年にクロアチア出身のオールラウンダー、トニー・クーコッチ(ドラフト指名は90年)、94年にのちにジョーダンとガードコンビを組むロン・ハーパーと契約、そして95年には名リバウンダーのデニス・ロッドマンをトレードで獲得するなど、効果的な補強を次々と実現。ジョーダン復帰後の96〜98年に成し遂げた2度目の3連覇は、クラウスなしにはあり得なかったはずだ。

「ジョーダンにノーと言える数少ない人間であると、クラウスは自負していた」

『The Athletic』のデイビッド・オルドリッジ記者のこの言葉が示すように、クラウスは一筋縄ではいかない人物だった。だが、これほどの意志の強さを持つGMだったからこそ、当時のブルズのようなパワーハウスで、妥協なきチーム作りができたのだろう。多くの大物を擁した90年代のブルズの魅力が色褪せることはない。

 そして、歴史的チームを彩った重要なキーパーソンとして、クラウスの存在と功績もまた、永く語り継がれていくはずである。

文●杉浦大介
※『ダンクシュート』2017年6月号掲載原稿に加筆・修正。

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