ペイトンが“弟分”コビーとの日々を回想「彼にはエゴがあったが、他の連中とは違うメンタリティがあった」

ペイトンが“弟分”コビーとの日々を回想「彼にはエゴがあったが、他の連中とは違うメンタリティがあった」

ペイトンは2003年にレイカーズと契約。1年間コビーのメンターを務めたことは「とっても楽しい時間だった」と振り返った。(C)Getty Images

2016年に現役を引退したロサンゼルス・レイカーズのコビー・ブライアントが、今年の1月26日(日本時間27日)にヘリコプター墜落事故に巻き込まれ、41歳で急逝してから間もなく3か月が経過する。“マイケル・ジョーダンの後継者”と称され、長年リーグを牽引した男は数々の伝説を残してきたが、しのぎを削り、共闘経験もある殿堂入りガードのゲイリー・ペイトン(元シアトル・スーパーソニックスほか)が弟分について口を開いた。

 1996年にNBA入りしたコビーは、2年目の1997−98シーズンに19歳でオールスターに初出場。翌年にレギュラーの座を掴むと、シャキール・オニールとの強力デュオで2000年から3連覇を達成した。シャックがチームを去った2004年以降はエースとして君臨し、リーグタイトルを2個加えるなど一時代を築いた。

 今年1月に不慮の事故に遭い、バスケットボール界のみならず、世界中が悲しみに包まれたが、ペイトンも涙をこらえながら「ショックすぎる。彼は俺の弟分、兄弟だったんだ」と心を痛めていた1人だった。そのペイトンが元NBA選手のマット・バーンズとスティーブン・ジャクソンがホストを務める『ALL THE SMOKE』に出演し、コビーとの思い出を振り返った。
  コビーがNBA入りした時点で、ペイトンはオールスター出場3回、オールディフェンシブチーム1stチームの常連となり、1996年には最優秀守備選手に輝いたスーパースターだった。そんな2人の距離が近づいたのは、オークランドで開催された2000年のオールスターゲームだったという。

「オールスターで俺にアプローチしてきて、どうすればNBAオールディフェンシブ1stチームに入れるかを聞いてきた。センターコートに座って、多くのことを彼に教えたよ。その年、彼は実際にNBAオールディフェンシブ1stチーム入りした。彼の中には他の連中とは違うメンタリティがあると思ったね」

 コビーと言えば、1998年のオールスターゲームでカール・マローンのスクリーンを拒否し、ジョーダンに1対1を仕掛けたエピソードが有名だ。ペイトンもコビーには「エゴがあった」と証言するが、それはあくまで自分が成長するためのもので、人から物事を吸収することを厭わなかったという。レギュラーシーズンの試合中にもかかわらず、“神様”ジョーダンにポストアップの仕方について質問をぶつけたという話はその典型だろう。
 「コビーにはエゴがあったが、他の連中とは少し違っていた。俺が言っているのは、先輩に対して何をすればいいか聞くことについてのエゴだ。どうすればもっと上手くなれるのか、それをひたすら追求していた。マッチアップするたびにアドバイスを求めて、耳元でささやくんだ。『なぜポストアップで俺を止められるんだ?教えてほしい、何をすればいい?』ってね。俺は彼よりも年齢が上で、じきにキャリアが終わる。俺のプレーを習得して、リーグを支配できる誰かを見たかったんだ。その1人が彼だった」

 ペイトンは晩年の2003−04シーズン、レイカーズ入りしてコビーと共闘することになったが、当時のコビーはプライベートで問題を抱え、シャックとの関係も冷え切っていた。苦しむコビーを支えることができたのは、キャリアの中でも忘れられない出来事だったという。
 「コビーがトラブルを抱えていた時、1年間メンターになれたのは嬉しかった。彼のメンターであるのは俺にとっても楽しい時間だったよ。俺は彼の“兄貴”になったんだ。あらゆることを教えたよ。LAでは、練習後にコートに残ってポストアップ、フェイダウェイ……彼はすべてを吸収して自分のものにした。それから俺たちはディフェンスのドリルにも励んだ。俺が投げたテニスボールを片手でキャッチするんだ。彼は守備に磨きをかけて、毎晩のようにタフな相手を守っていた」

 2004−05シーズンにレイカーズでプレーしたカロン・バトラーも自身のツイッターで、コビーが名センターとして名を馳せたアキーム・オラジュワンから“ドリームシェイク”の特訓を受けている様子をアップしている。

 飽くなき探求心と成長への渇望――。それが“マンバメンタリティ”と言われたコビーのスタイルの根底を担っていたのは間違いない。

構成●ダンクシュート編集部

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