「マイケルは私をテストしていた…」スティーブ・カーが明かす、ジョーダンとの絆を深めた25年前の“殴り合い事件”

「マイケルは私をテストしていた…」スティーブ・カーが明かす、ジョーダンとの絆を深めた25年前の“殴り合い事件”

カー(左)は復帰間もないジョーダン(右)とのある“事件”がきっかけで絆を深めることができたと語る。(C)Getty Images

シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997−98シーズンに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』の放映が始まり、当事者や往年のレジェンドたちが当時を回想する機会が増えている。1993〜98年までブルズに在籍したスティーブ・カー(現ゴールデンステイト・ウォリアーズHC)が72勝をマークした95−96シーズン開幕前に起こったマイケル・ジョーダンとの“事件”を振り返った。

 1991〜93年に史上3チーム目の3連覇を達成したブルズは、翌シーズンの開幕前にジョーダンが電撃引退し、“第2の男”だったスコッティ・ピッペンを中心としたチームに切り替わった。アキーム・オラジュワンを中心としたヒューストン・ロケッツに王者の座を譲り渡す形となったなかで、95年3月にジョーダンが「I’m back」(復活だ)の名言とともに復帰。翌シーズンからデニス・ロッドマンを加えた“三銃士”を中心に2度目の3連覇を成し遂げた。
  1994−95シーズン途中に復帰するも、野球挑戦で錆びついていた身体のキレを取り戻せず、カンファレンス準決勝でオーランド・マジックに苦杯を舐めたジョーダンはオフに徹底的に自分をいじめ抜いた。その結果、95−96シーズンは平均30.4点をマークして得点王に返り咲き、ブルズも当時のNBA記録となる72勝をあげた。

 充実のシーズンを迎える直前の1995年秋、トレーニングキャンプである事件が起こった。熱い練習を行なうなかでジョーダンとカーがトラッシュトークを繰り広げ、互いにヒートアップ。もみ合いとなり、ジョーダンがカーの顔面にパンチを入れる騒動に発展した。チームメイトが仲裁に入ってその場は収まったが、カーの目の周りにはアザができるほどの激しい衝突だった。

 1993年9月にブルズと契約したカーは、その約1週間後にジョーダンが引退したため、共闘期間はわずか2か月。その時点で、偉大なエースの信頼を勝ち得ている存在ではなかった。それでも、身長191cm・体重82kgの身体で、198cm・98kgのスーパースターに立ち向かったことを『TNT』の解説者時代に明かしている。
 「自分が何を考えていたのか分からない。相手はマイケル・ジョーダン、史上最高の選手だったからね。でも、私もかなり負けず嫌いだったからケンカ腰だった。マイケルが言ったことに対して反論した。彼はそれを快く思わなかったんだ。マイケルが私の胸あたりを腕で押してきたから、私も突き返した。次の瞬間にはチームメイトが私たちを引き離しに入っていたよ。私はジュラシック・パークで恐竜ヴェロキラプトルに襲われた子どものようだった(笑)。大混乱さ。私たちはお互いに叫んでいた。(顔にアザがあって)どうやら私は殴られたけど、当たったことすら覚えていない。もし本当の殴り合いになったら、彼は私を殺せただろうね」

 事件の瞬間、フィル・ジャクソンHCは自分のオフィスで電話会議をしていて不在だった。事態を把握した指揮官はカーと話すようにジョーダンを諭し、ジョーダンはその1時間後に電話で謝罪。翌日の練習で再び話し合いの場を持ち、お互いが歩み寄ることになった。

「ジョーダンはそれからみんなに思いやりの心を持つようになった。試合やシーズンに対して違うアプローチを試みるようになった。彼はみんなそれぞれ違い、誰もが彼ほどの才能を持ち合わせていないということを理解しないといけなかった」

 そして今回、約25年の月日を経て、カーが『TNT』で改めて当時を振り返っている。

「間違いなく私たちの関係を後押ししてくれた。妙な響きだけどね。真似をするのはおすすめしないよ(笑)」
  今でこそ過激に聞こえるジョーダンとカーの殴り合い事件だが、カーによれば当時はリーグ全体で見てもそれが“日常茶飯事”なほど、日々激しい練習が行なわれていたという。

「当時は激しい練習が当たり前だった。今は練習日も減って休みやリカバリーの日がある分、そこまで競争は多くない。レブロン(ジェームズ)は17シーズン目、ジョーダンは12〜13年(2度目の復帰をしたワシントン・ウィザーズ時代を除いて13年)しかプレーしていないと思う。私が言いたいのは、練習がとにかく激しかったということさ。その大部分をブルズとマイケルが占め、それが私たちのプレーの基準になった。練習での衝突は、1年間に3回はあっただろうね。それはあの時のブルズだけじゃなくて、1980年代後半から1990年代前半のチームすべてがそうだった。争い事はたくさんあって、時に手に負えなくなることもあったけど、それは長い目で見たら大したことじゃなかった」

 そしてカーは、この男同士の衝突が絆を深める大きなターニングポイントになったと見解を述べる。

「明らかにマイケルは私をテストしていた。そして、私はそれに答えた。彼のテストに合格できたと感じた。それから、彼はより私を信頼してくれるようになった」

 1996−97シーズンのNBAファイナル第6戦、同点で迎えた試合残り3秒の場面でユタ・ジャズにダブルチームを仕掛けられたジョーダンは、フリーになったカーにパスを出し、カーが値千金の勝ち越しシュートを沈め、ブルズは5度目の優勝を果たした。ジョーダンとの殴り合いがなかったら、この伝説のシュートは生まれていなかっただろう。

構成●ダンクシュート編集部

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