マジックはレイカーズでの現役復帰を望まなかった?名司令塔がプレーしたかったチームとは…

マジックはレイカーズでの現役復帰を望まなかった?名司令塔がプレーしたかったチームとは…

マジックはライリーHC(左)の下で4度の優勝を経験。本人は恩師が指揮を執り、すぐにチャンピオンが狙えるニックスで復帰したかったようだ。(C)Getty Images

「ニックスに行きたかったけど、上手くいかなかった。すべてのことを話し合った結果、レイカーズは『ノー』と言った。それが結論だった」

 これはマジック・ジョンソンが現役に復帰した直後の1996年2月、『ニューヨーク・デイリーニュース』のインタビューで語った言葉だ。1980年代に一世を風靡した大型司令塔は、本当にニューヨーク・ニックス移籍を希望していたのか。どこまで現実に近づいていたのか。20年以上の月日を経て、関係者が真相を明かしている。

 79年のドラフト1位指名でロサンゼルス・レイカーズに入団したマジックは、ルーキーイヤーに平均18.0点、7.7リバウンド、7.3アシストをあげてオールスターに出場。フィラデルフィア・セブンティシクサーズとのファイナル第6戦では、負傷欠場したカリーム・アブドゥル・ジャバーに代わってセンターを務め、42得点、15リバウンド、7アシストという大活躍でレイカーズを優勝に導いた。

 1981−82シーズンにパット・ライリー(現マイアミ・ヒート球団社長)がヘッドコーチ(HC)に就任すると、レイカーズはマジックを中心とした“ショータイム”と称される速攻主体の攻撃的スタイルでリーグを席巻。マジックはライリーがチームを去る90年までの間に優勝4回、シーズンMVP3回、アシスト王4回とトップスターの座を不動のものとした。
  しかし91年10月、32歳のマジックは健康診断でHIV感染が判明する。その1か月後の11月7日に「HIVに感染したので、本日付けでレイカーズを辞めなければならなくなった」と現役引退を発表し、世界中に衝撃を与えた。

 突如NBAの舞台から去ったマジックだが、ファン投票1位となった92年のオールスターに特別出場を果たしMVPを受賞。さらに同年のバルセロナ五輪では“ドリームチーム”の一員として金メダルを獲得した。大舞台でハイレベルなプレーができることを証明したマジックは、オリンピック前に『ロサンゼルス・タイムズ』でNBA復帰に関してこのように語っていた。

「現役復帰できるなら、優勝を狙いたい。ジェリー(ウエスト・ゼネラルマネージャー)と会って言ったよ。『ジェリー、もしレイカーズで復帰したくなかったら、それは大丈夫?』とね。ニックスに行くのはいいだろうね。チームの指揮を執るパット(ライリー)は5年プランを立てるタイプじゃない。それが、まさに僕が求めていることだ」

 もっとも、マジックは84年にレイカーズと25年総額2500万ドル(現在のレートで約27億円)という長期契約を結んでおり、引退したとはいえ形式上は“レイカーズの選手”。当時、レイカーズのGMを務めていたウエストは「ジョンソンはレイカーズと契約していて、誰とでもバスケットボールができるわけじゃない。レイカーズと私は、彼が別の場所でプレーしている姿を想像できない。彼はチームと契約すれば、拘束されることを忘れているのだろう」と反応していた。
  ニックスのHCを務めていたライリーも、92年9月に「バスケットのメッカ(マディソンスクエア・ガーデン)で、私と一緒にニックスでプレーするのはどうだろうと、彼は気になっていたことを口に出しただけだと思う」と語り、あまり深く考えていない様子だった。

 引退発表から約4年以上が経過した96年1月29日、マジックはレイカーズで現役復帰。そして、ニックス移籍の願望があったことをほのめかす発言が飛び出すわけだが、冒頭のコメントには続きがある。

「パットは、私がリーダーシップをもたらし、チームをまとめられるといつも考えていた。私のサイズを生かして、(パトリック)ユーイングに様々なパスが出せると。そうすれば、もう1人のスコアラーを“秘密兵器”として加えられると考えたんだ。もしヒューストンとのシリーズ(94年ニックスとロケッツによるファイナル)で、ニックスにもう1人スコアラーがいたら勝っていた。彼は15〜17点を取れる選手を探していたんだ」

 この時もウエストは、ニックスとレイカーズがトレードの交渉を行なったことはなく、マジックが「それを要求したことはなかった」と否定していたが、はたして真相は――。

『The Athletic』のマイク・ヴォークノフ記者は当事者たちを直撃。マジックはCEO兼会長を務める「マジック・ジョンソン・エンタープライズ」社の広報担当者を通じ、この話について語ることを拒み、ライリーもインタビューに応じていないという回答だったという。そのなかで、当時マジックの代理人だったロン・ローゼン氏への電話取材に成功し、“真実”が明かされている。
 「彼はトレードをアレンジしようとはしなかったよ(笑)。トレードは起こらなかった。それとは別なことが起こったけど、パットとアービン(マジック)、2人の話を聞いていたドライバー(自分)は友人以上の関係にあった。それは絶対無理だ」

 マジックとライリーは別々の道を歩んでいくなかでも頻繁に連絡を取り合い、ドライバーも務めていたローゼン氏はいろんな話を耳にしたという。なかにはスクープに値するような内容もあったというが、ニックス移籍の件に関しては明確に否定した。

「ニックスとレイカーズの間でトレードに向けた話し合いはなかった。私はすべての出来事に深く関わっており、何が起こったかを把握している。2人の友人同士が夢を抱いていた以上のことは何もない。それ以上のものに発展することはなかった」

 1990年前半のニックスは大黒柱のユーイングが円熟味を増していた時代で、彼の周囲にはジョン・スタークスやチャールズ・オークリーらいぶし銀の脇役もいた。夢のまま終わったが、もしそこにマジックが加わっていたら、大都市ニューヨークは“ショータイム・レイカーズ”のような熱気に包まれていたかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

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