スポーツ無名校における“例外”的存在。ウェイド、バトラーらを輩出したマーケット大の歴史【名門カレッジ史】

スポーツ無名校における“例外”的存在。ウェイド、バトラーらを輩出したマーケット大の歴史【名門カレッジ史】

マーケット大はこれまでウェイド(左)、バトラー(右上)といったスター選手に加え、指揮官として成功を収めているリバース(右下)らを輩出している。(C)Getty Images

ウィスコンシン州ミルウォーキーにキャンパスがあるマーケット大は、スポーツで名が知られている大学とは言い難い。野球部は存在せず、フットボール部も遠い昔に廃部となっている。

 しかし、バスケットボール部だけは例外だ。1977年にNCAAトーナメント(以下トーナメント)を制したほか、近年ではドゥエイン・ウェイドをはじめ、数多くの有力選手をNBAに送り出している。また現在はそうでもないものの、昔から奇抜なデザインのユニフォームを採用してきたことでも、カレッジバスケファンにはお馴染みだ。とりわけ1977年の“ベビービブ(よだれかけ)”風デザインや、1970年の“バンブルビー(マルハナバチ)”は悪評が高い。

 現在のニックネームはゴールデンイーグルスだが、この愛称になったのは1994年と比較的最近で、それまではウォリアーズやヒルトッパーズ、チームカラーからブルーアンドゴールドなどと呼ばれていた。創部は1916年。1952〜53年には、のちにトライアングル・オフェンスの導師として有名になるテックス・ウィンターがヘッドコーチ(HC)を務めた。初めてトーナメントに出場した1955年には、準々決勝まで進む大健闘を演じている。
  本格的にチームが強化されたのは1964年、アル・マグワイアが指揮官に就任してから。1950年代にニューヨーク・ニックスで活躍した名ポイントガード(PG)のディックの弟で、自身もニックスの選手だったマグワイアの下、マーケット大はトーナメントの常連校となる。1974年は決勝まで駒を進めるも、ノースカロライナ州大に敗れ、マグワイアは決勝戦で退場処分を食らった初のHCとなってしまった。

 1976年はレギュラーシーズン1敗のみで、今でもマーケット大史上最強のチームと呼ばれているが、トーナメントでは準々決勝でインディアナ大に苦杯を喫する。だが翌1977年は、準決勝でジェローム・ホワイトヘッド(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)がブザービーターを決めると、決勝戦ではブッチ・リー(元クリーブランド・キャバリアーズほか)が19得点をあげる活躍で、格上のノースカロライナ大を下し全米制覇を成し遂げた。
  同年に3度目の最優秀コーチ賞を受賞したマグワイアは、優勝を置き土産に勇退。その後はカレッジバスケットの解説者として活動を続け、1992年にディックより1年早く殿堂入りを果たした。現在マーケット大のバスケットボールコートは、アル・マグワイア・センターの名が冠されている。息子のアリーもマーケット大の卒業生で、父や伯父と同じく、2試合のみながらニックスに在籍した。

 NBAで最初に成功したマーケット大出身者はドン・コージス。1964年にワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)に入団すると、1968年に新球団のサンディエゴ(現ヒューストン)・ロケッツへ移籍して中心選手となり、2年連続でオールスターに選ばれた。

 1971年にマーケット大の選手として初のオールアメリカンに選出されたディーン・メミンジャーは、1973年にニックスが優勝した際の控えガード。在学中に平均20.4点の学校記録を打ち立てたジョージ・トンプソンは、ABAでも通算20.1点をあげて3度オールスターに出場したものの、NBAでは地元のミルウォーキー・バックスで1年プレーしただけだった。
  ジム・チョーンズはキャブズの先発センターとして活躍したのち、1980年にロサンゼルス・レイカーズで優勝を経験。2016年にはキャブズの試合前にベースギターで国歌を演奏し、その微妙すぎるパフォーマンスで観客を戸惑わせたこともあった。

 カンザスシティ(現サクラメント)・キングスの控えフォワードだったラリー・マクニールは、1980年代はフィリピンリーグのPBAに働き場を移し、1試合88得点のリーグ新記録(当時)を樹立している。

 ウェイド以前のマーケット大出身者で、最高の選手だったのはモーリス・ルーカスだ。準優勝した1974年のチームの主力だったルーカスは「自己中心的な部分がまったくない、真のプロフェッショナル」(元シカゴ・ブルズHCのロッド・ソーン)で、屈強な肉体を生かしペイントゾーンを制圧。ポートランド・トレイルブレザーズ時代にはチームのトップスターだったビル・ウォルトンの用心棒を務め、母校と同じく1977年に球団初優勝を成し遂げた。
  マーケット大初優勝メンバーだったリー(トーナメント最優秀選手も受賞)、ボー・エリス(元デンバー・ナゲッツ)、ホワイトヘッドらは全員NBA入りしたが、目立った活躍はできず。ジム・ボイランも当時のチームの一員で、1978年のドラフト4巡目でサンディエゴ(現ロサンゼルス)・クリッパーズに指名されるも、ロースター入りは果たせなかった。しかしその後指導者として出世し、ブルズのHCなどを歴任。2016年にはキャブズのアシスタントコーチとして、リーグ制覇の一助となった。

 1980〜90年代は7度のトーナメント出場にとどまり、NBAで長く活躍する選手もあまりいなかったが、そのなかで光っていたのが“ドック”ことグレン・リバースだ。敏捷なPGは在学中の1982年に世界選手権(現ワールドカップ)のMVPに選ばれ、卒業後はアトランタ・ホークスやニックスなどで活躍。引退後はHCに転身し、2008年に名門ボストン・セルティックスを22年ぶりの優勝に導くと、現在もクリッパーズで指揮を執っている。
  マーケットが久しぶりに全国的な注目を浴びたのは、2003年のトーナメント。26年ぶりにファイナル4まで駒を進め、準々決勝ではウェイドが大会史上5人目のトリプルダブル(29得点、11リバウンド、11アシスト)を達成した。

 トム・クリーンHCの熱心な勧誘でマーケットに入学したウェイドは、2年時の2002−03シーズンには年間710点の学校記録をマーク。マイアミ・ヒートを3度の優勝に導き、NBA史上に残る名選手となった現在でも「マーケット大は俺の人生の重要な一部」として、資金援助など様々な形で母校と関わっている。

 その後もジミー・バトラー(ヒート)を筆頭に、ウェスリー・マシューズ(バックス)、ジェイ・クラウダー(ヒート)といった好選手を輩出。この3人はいずれもしぶといディフェンスを売りとし、また近年では珍しくアーリーエントリーすることなく、4年生になるまで大学にとどまり続けた。

 スティーブ・ノーバックも同じように4年間大学に通って卒業したが、プレースタイルは彼らと異なり、ビッグマンでありながらアウトサイドシュートを得意とする“ストレッチ4”タイプ。2016年ドラフトの1巡目18位でデトロイト・ピストンズに指名されたヘンリー・エレンソンもノーバックと同系統の選手だが、伸び悩みが続いている。

 2006年以降は8年連続でトーナメントに進出し、2013年には準々決勝まで進出。その後は3年続けて出場を逃したものの、2018−19シーズンはランキングで7年ぶりに10位以内に入るなど、現在は復調傾向にある。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2016年10月号掲載原稿に加筆・修正。

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