“ジョーダンの影”を拒んだ男、ホーレス・グラント。「誰からも好かれる好漢」がブルズと袂を分かつまで【NBA名脇役列伝・前編】

“ジョーダンの影”を拒んだ男、ホーレス・グラント。「誰からも好かれる好漢」がブルズと袂を分かつまで【NBA名脇役列伝・前編】

ジョーダン(左)を支えブルズの最初の3連覇に貢献したグラント(右)。しかし、本人は心のどこかで主役となることを望んでいた。(C)Getty Images

比類なきスーパースター、マイケル・ジョーダンを擁するチームでは、ほかのすべての選手は“影の存在”にならざるを得ない──。その事実を受け入れられず、最後はシカゴ・ブルズと袂を分かったホーレス・グラント。しかし、17年のキャリアで手に入れた4つのチャンピオンリングは、彼がNBA史上に残る最高の脇役であったことを証明している。

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 マイケル・ジョーダン、コビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)、レブロン・ジェームズ(現レイカーズ)の3人で、誰が一番優れた選手なのか──。こうした論議が交わされるたびに、必ず意見を求められるのが、ジョーダン、コビーの両方とチームメイトだったホーレス・グラントだ。
 「レブロンはまだ現役だからね。比較するのは彼がキャリアを終えてからにすべきだ」と前置きこそしているが、「今の時代にマイケルがプレーしていたら、平均45点は取っていただろう」と語っていることからも、グラントの結論は明白だ。近年の最強チームであるゴールデンステイト・ウォリアーズに関しても「私がいた頃のブルズならスウィープで片付ける」と豪語している。

 ジョーダンとともに3度の優勝を経験したシカゴ・ブルズ時代を、グラントは何よりも誇りに思っている。そしてその根底には、自身の貢献がなければそれはなし得なかったはずだという、強烈な自負もあるのだ。

■用心棒のオークリーを失い、ジョーダンは不満を示すが……

 グラントは双子のNBA選手としても有名だ。のちにワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)などでプレーする弟のハービーとは、幼い頃から2人してバスケットボールで遊んでいた。ジョージア州のゲットー(黒人居住区)の生まれで、貧しい少年時代を過ごした彼らだが、そうした境遇もバスケットをしている時は忘れられたという。

 クレムソン大の1年時にハービーが短大へ転校するまで、彼らはずっと同じチームでプレーし続けた。「ユニフォームを交換してお互いになりすますとか、そんなイタズラはしなかったけれど、それでもよくホーレスに間違われたものだよ」(ハービー)。
  ハービーも1988年のドラフトでブレッツに12位指名を受け、3年連続で平均18点以上をあげる好選手となったが、兄はさらにその上を行った。大学4年時には平均21.0点、9.6リバウンド、フィールドゴール成功率65.6%をマークし、クレムソン大では初となるカンファレンス最優秀選手に選出。当時「アトランティック・コースト・カンファレンスで最も支配的な選手」と呼ばれた。

 敏捷な動きとバスケットボールIQの高さ、そして常に全力を尽くす姿勢が評価され、ライバル校であるデューク大のマイク・シャシェフスキー・ヘッドコーチ(HC)は「いつも前向きで、己を制御でき、リーダーシップも備える。もともと能力が高い上にハードワーカーでもあるのだから、間違いなく彼は成功するだろう」と絶賛した。
  NBAでは、とりわけブルズのアシスタントコーチ、ジョン・バックがグラントを買っていた。ゼネラルマネージャーのジェリー・クラウスは、1987年のドラフト直前までノースカロライナ大のジョー・ウルフ(元ロサンゼルス・クリッパーズほか)とグラントのどちらを選ぶか迷っていたのだが、結局はコーチ陣が全員一致で推したグラントを全体10位で指名する。

 ブルズ入団1年目はチャールズ・オークリーの控えパワーフォワードとしてプレーしながら――また練習時にそのオークリーとマッチアップすることで――グラントは急速に経験値を高めていく。当時のダグ・コリンズHCも、グラントと同期入団のスコッティ・ピッペンの2人がブルズの将来を担うタレントだと確信し、彼らを徹底的に鍛えた。

 そして、グラントの着実な成長を認めたブルズ首脳陣は、翌1988年にビル・カートライトとの交換でオークリーをニューヨーク・ニックスへ放出する。“用心棒”とも言える存在を失ったジョーダンはこのトレードに不満げだったが、しかしオークリーが去った1988−89シーズン、グラントはチームトップの平均8.6リバウンドを稼ぎ、自身の価値を証明してみせた。
  グラントはまた、誰にとっても良きチームメイトであった。当時ブルズの番記者を務めていたサム・スミスは「チームで最もエゴがなく、最も人気のあるプレーヤー」と評し、ジョーダンの伝記を書いたデイビッド・ハルバースタムも「正直で素朴な性格であり、周囲の人間を喜ばせることが大好きな人物」と記している。
  特に仲が良かったのは、同い年のピッペン。「私たちは入団会見で一緒になった時から、すぐにウマが合った。2人とも田舎の出だったしね。ミスをして先輩に怒られた時は、お互いに慰め合ったりしたものさ」(グラント)。彼らは同じ車を共同で使い、同じ店で買い物をし、双方の結婚式では付き添い人を務めたほどの仲だった。(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年5月号掲載原稿に加筆・修正。

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