なぜショーン・ケンプはケンタッキー大でプレーしなかったのか?当時の関係者が語る“事件”の真相

なぜショーン・ケンプはケンタッキー大でプレーしなかったのか?当時の関係者が語る“事件”の真相

即戦力として期待されケンタッキー大に進学したケンプだが、ある”事件”がきっかけで大学を追われることに。(C)Getty Images

“レインマン”の異名を取り、異次元のパワーとスピード、40インチ(約101.6cm)を超えるジャンプ力で豪快なジャングルダンクを連発したショーン・ケンプは、アスレティック系パワーフォワードの先駆け的な存在だった。

 しかし、スター街道を歩んだシアトル・スーパーソニックス時代(1989〜97年)から一転、クリーブランド・キャバリアーズ移籍後は転落人生の一途を辿り、33歳だった2002−03シーズンを最後にNBAの舞台から姿を消した。

 ドラッグやアルコールに溺れて凋落したケンプだが、彼の挫折はプロ入り前にもあった。地元インディアナ州のコンコード高校では1年時からスターターとして活躍し、NBAのスカウトまでもが視察に訪れるほどの有望株だった。リクルート合戦が繰り広げられるなか、ケンタッキー大への進学を選択したが、SAT(大学進学適性試験)の点数不足により、NCAAの規定で1年間プレー不可に。結局1試合も出場せず大学を後にした。

 入学早々、コーチの息子でチームメイトであるショーン・サットンのロッカーから金のネックレス2本が盗まれるという事件が発生。警察による捜査の結果、ケンプがそのネックレスを700ドル(現在のレートで約7万5000円)で質屋に売ろうとしていたことが判明した。ケンプは犯行を否認し、被害に遭ったサットンはケンプを告発しなかったが、この一件によりケンタッキー大を追われ、テキサスの短大トリニティバレー・コミュニティカレッジに編入。しかしここでも1試合もプレーすることなく、89年のNBAドラフトにエントリーしたのだった。
  引退から10年が経過した2013年、ケンプは自身のシグネチャー「KAMIKAZE」(カミカゼ)の限定版が発売された際、ケンタッキー大入りは「俺が今まで成し遂げたなかで最も素晴らしいことのひとつ」だとし、「俺はまだケンタッキー大のことが好きだよ」と語っていた。

 はたしてそれは本心か。窃盗疑惑がなく、大学を辞める必要がなかったらどうなっていたのか。「当時何が起こったか、ケンプが今どう考えているのか」を訊くべく、『The Athletic』は何か月にもわたってケンプにアプローチし、代理人はインタビューの場を設けようとしたが、本人は直前にキャンセルしたという。代わりにその他の当事者たちが当時を回想している。
  ネックレスを盗まれたとされる当時2年生ガードのショーン・サットン(当事者)は、「この件については今まで決して話さなかった」と語る。しかし、「以前、『再体験したいことじゃない』とだけ言った。でも、誰もが真実を知るべきだと思う」との思いから口を開く決断に至ったという。

「ケンタッキーのファンには、ショーン・ケンプがいいヤツだってことを認識してほしい。本当に、本当に残念だけど、何が起こっているのか本当に理解する前に、彼はいなくなっていた。もし32年前に戻れるなら、私は別のやり方をするだろう。なぜなら、私が思うに彼はそんなことをしていないと思うからね」

 ショーン・サットンは、自身の想像を超える勢いで話が大きくなり、「手に負えなくなってしまった」という。ケンプにとってはもちろんだが、周囲にとっても後味の悪い出来事として記憶に刻まれているようだ。

「警察に被害届を出さなかったことにしたい。彼の人生に影響を与えてしまったこと、ネガティブなイメージを与えてしまったことに価値はない。もしあの時に戻れるなら、私はその行動はしていなかっただろう。ネックレスを盗んだ人物はそれが誰のものか嘘をつき、ショーンにそれを売るように言った。私はショーンのことは知っているから、そうでなれば彼がそんなことをするとは思わない」
  のちにNBAのボストン・セルティックスでプレーし、14年に日本の島根スサノオマジック(当時bjリーグ)でヘッドコーチ(HC)も務めたレジー・ハンソンは、「ショーンは何も盗んでいない」と証言する。ショーン・サットンと同様に「辛い思い出」として認識する一方で、結末は変えられたと後悔の念を滲ませる。

「みんなショーンのことが好きだった。彼は本当にいいヤツで、愉快なヤツでもあった。いつも笑顔で、私たちを笑わせていたよ。別れを言う機会のあった人間がいたのかも分からない。仮に、彼がネックレスを盗んだとしよう。そうしたらみんなは彼が何をしたのか、なぜそんなことをしたのか把握して、罰を与えるだろう。もしソーシャルメディアが発達した今に盗みを働いたとしたら、彼が他のチャンスを手にするのは難しかったかもしれない。でも当時は、(学校)内部で対処でき、改心させることができる状況だった。彼が早々にいなくなってしまったのはショックだったよ」
  当時アシスタントコーチで、現在は『ESPN』でアナリストを務めるジミー・ダイクスは、89年のドラフト前にソニックスからケンプの指名に関して助言を求められ、「ショーン・ケンプをドラフトしろ」とアドバイスした人物だ。その後、91〜93年にはケンプが在籍したソニックスでスカウトを担当した縁もあるが、ケンプがケンタッキー大を事実上の退学となる決定は、エディ・サットンHCの力ではどうにもならなかったという。

「私たちに選択肢はなかった。みんな将来のNBAオールスター、ダブルダブル・マシン(であるケンプ)が出て行ったのを知っていた。彼に難があったわけじゃない。ただの一度も彼とトラブルを抱えたことはないし、私たちは本当にこの男を手放すつもりなのかと思ったよ」

 当時2年生レギュラーで、後にNBAでもプレーしたレックス・チャップマンはアシスタントコーチだったドゥエイン・ケーシー(現デトロイト・ピストンズHC)とケンプのプレー映像を見た時、衝撃を受けたことを鮮明に覚えていると語る。

「『マジかよ』『なんてこった』という感じだった。ケンプは今で言えば、ザイオン・ウィリアムソンのように見えた。やせ細っていたけどね」

 当時のケンタッキー大は、「攻撃力抜群で、アシストが多く、ターンオーバーが少なくて全員が3ポイントも打てる」(ジョン・ペルフリー/現テネシー工科大HC)チームだった。一方で課題だったのがディフェンシブ・リバウンドとブロックで、ケンプがチームを一変させ、より強力な陣容になったはずだと、チャップマンは思いにふけることがあるという。
 「彼は一緒にケンタッキー大でプレーできることを喜んでいたし、私も興奮していた。彼みたいな選手は今まで見たことがない。208cmの巨体でコースト・トゥ・コースト(自陣から敵陣まで駆け抜ける)して、身長185cmのガードのようにジャンプする。細いけど、サイズがあって手足も長く、身体能力が高くてアグレッシブ。大胆不敵でコート内外でワイルドだった(笑)。当時のケンタッキーは学校の歴史上、最高のチームだった。そうじゃないかもしれないけど、そのことを考えるのは楽しいし、私たちがそうじゃないと誰も証明できない」

 盗難された被害者として報じられ、ケンプと別の形で長年“十字架”を背負ってきたショーン・サットンは最後にケンプへ思いを口にしている。

「彼が私のものを盗んでいなかったことは分かっている。ケンタッキー大でどのように物事が終結したか、その後彼が対処しなければならなかったことを考えると悔やまれる。私は彼が時間をかけて立て直し、壁を乗り越えてNBAで偉大な成功を収めたことにすごく満足している。でも、可能なら彼に『申し訳ない』と言いたかった」

 ケンプがもしケンタッキー大でスターとなっていたら――。NBAでのキャリアもまた悲しい結末とは別のストーリーが描かれていたかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

【PHOTO】NBA最強の選手は誰だ?識者が選んだ21世紀の「ベストプレーヤートップ10」を厳選ショットで紹介!
 

関連記事(外部サイト)