【連載インタビュー】渡嘉敷来夢/前編「自分が30点取ってもチームを勝たせられなかったら、それはエースではないと思っています」

【連載インタビュー】渡嘉敷来夢/前編「自分が30点取ってもチームを勝たせられなかったら、それはエースではないと思っています」

渡嘉敷は中学1年の時にバスケットボールを始め、すぐに夢中になったという。写真:田中研治

本連載では、オリンピックでの活躍が期待される各競技の注目選手の生い立ちや夢舞台への想いに迫る。今回は193pの高さを誇る女子バスケ界のエース渡嘉敷来夢が登場。JX-ENEOS11連覇の中心選手であり、リオ五輪ベスト8、アジアカップ4連覇の立役者として活躍。日本人で3人目の選手となったWNBAでは、シアトル・ストームで3シーズンにわたってプレーした。

 前編ではその名を轟かせた桜花学園高時代(愛知)に学んだこと、世界に羽ばたくまでの成長過程について聞いた。


――中1からバスケットボールを始めた理由は?

小さい頃から体を動かすのが大好きで、小学校のときは野球と陸上をやっていました。中学で何の部活に入ろうかなあと思っていたときに、仲のいい子がバスケ部に入部し、兄も一時期バスケをしていたこともあり、興味があったのでバスケを始めました。

――渡嘉敷選手は小6のときに走り高跳びの種目で、埼玉県大会優勝(記録:138p)しています。それほどの成績を出しても中学で陸上を続ける選択肢はなかったのですか? 

陸上を続けようとは思わなかったんですよね。陸上は学校内で運動神経のいい子が招集されて大会に出るんですけど、私は人より高く跳べたので小4から走り高跳びをやっていました。けど中学では他のスポーツをやりたいなあと思ったんですよね。その理由は、中学から背面跳びになるのがイヤいやだったんですよ。それまではさみ跳びだったので、背面跳びが怖いと思ってしまって(笑)
 ――中学からバスケは始め、すぐに夢中なったのでしょうか?

すぐに夢中になりましたね。もともと小学校のときからミニバスをやりたいと思っていたのもあり、実際にやってみて、毎日できることが増えていくのが楽しくて、楽しくて。練習すればするほど色んなことができるようになっていったので、それで続いたんだと思います。

――中学時代の身長は?

入学したときは170pで、卒業するときには185pになっていました。男の子が身長伸びるように、毎年着々と伸びましたね。成長痛なのか、毎日膝の下が痛かったです。

――渡嘉敷選手は春日部東中時代に、ジュニアオールスター(都道府県別対抗戦)や全国中学校大会に出て注目を集めました。その頃から強豪高校でバスケをしたい気持ちはあったのですか?

普通はそう思うじゃないですか(笑)。でも、自分は高校ではバスケじゃなくて違うスポーツやってみようと思っていました。仲のいい友達がサッカーをやるからサッカーもいいかなと思ったり。それはバスケが嫌いになったわけじゃなく、好奇心旺盛だったので何でもやりたくなっちゃうんですよ(笑)。小学校のときから休み時間には男子とサッカーをやったり、ドッヂボールや鬼ごっこ、当時流行っていた遊びをしたり、何にでも興味津々でしたね。

でも桜花をはじめ、いろんな強いチームからお誘い頂いて、やっぱり自分はバスケをやるべきだな、と思いました。でもその誘いがなかったら、バスケを辞めて違うスポーツやっていたかもしれません。
 ――多くの強豪校から声がかかった中で桜花学園高に入学した理由は?

桜花には卒業生に日本代表選手が多かったのと、井上眞一先生はセンターを教えるのがすごくうまいと聞いていたので、憧れがありました。あとは井上先生の思いが熱かったですね。「君は絶対にスーパースターになる」と言われて、「なに、その口説き文句(笑)」と思ったけど、「君は世界に羽ばたく選手になれるし、世界に羽ばたく選手に育てる」と強く言われて、その一言が響きました。親は近場の関東の高校に行ってほしいと言っていましたが、どうせ本気でやるなら、親元を離れてやるほうが自分のためになると思ったので、自分の意見を優先して決めました。

高校を決めるときにすごくありがたかったのが、他の高校の先生たちも「うちに来てほしい気持ちはあるけど、あなたは日本の宝だからしっかりと話を聞いて決めたほうがいいよ」と言ってくれたことです。いろんな先生方が自分のことを本当に考えてくれたのを、今でもすごく覚えています。

――桜花学園でも好奇心旺盛なところを発揮していたのでしょうか?

めちゃめちゃ、やんちゃで負けず嫌いでしたね(笑)。それは小学校のときから変わってないです。ほかの生徒に比べてバスケ部はみんな元気でやんちゃでした。授業中もうるさくて「バスケ部でもとくに渡嘉敷さんは……」とよく怒られていました(笑)。それでも井上先生は「渡嘉敷はやんちゃさをつぶしたらダメになる。バスケでそのやんちゃなところを生かしてほしい」と言ってくれました。
 ――桜花学園で学んだことで今に生きていることは何ですか?

桜花って基礎的なことを反復練習で叩きこむんですよ。中学までは運動神経を生かしてしてやっているところがあったので、桜花でしっかりとセンタープレーを学んだことが今につながっていますね。あと、いちばん学んだことは、井上先生にずっと言われていたことなんですけど「エースとしての自覚を持つこと」「どんなにすごい選手になっても天狗になるな」ということです。

自分、こんな感じでやんちゃですけど、けっこう考えこんでしまったり、ちょっと遠慮してしまうところもあるんですね。それは井上先生から言われた「天狗になるな」という教えがあるからかもしれません。これは初戦で負けた2年の国体のときに言われたのですが、「お前が30点、40点取ってもチームを勝たせられなかったら、それはエースでもスーパースターでもない」と。名言ですよね。その言葉は、いつでも頭の片隅にあります。
 ――高校時代の思い出の試合は何ですか? 

高校時代は左足首を疲労骨折して怪我が大変だったので、そういう意味では、高校2年のウインターカップ決勝ですね。その前の国体で負けていたので、「ウインターカップは絶対に優勝するんだ!」と燃えていたし、でも自分は万全ではなかったのでドキドキしながらやっていました。決勝にピークを合わせていたのでトーナメント序盤はあまり良くなかったんですけど、決勝(東京成徳大戦)で37点取って優勝することができました。


――優勝した瞬間、一気に脱力したのか、コートに座り込んでしまったことが印象に残っています。

試合が終わったらホッとして、そうしたら一気に痛くなって立っていられなくなって、バタンと倒れた感じです。自分以上に周りの人が自分のことを信じてくれたことが力になって、あの大舞台であのパフォーマンスができたんだと思います。チームを勝たせることがいちばんの恩返しだと思ったので、その気持ちでやりました。井上先生も「お前を信じるから」と言ってくれて、その感謝の気持ちを出すしかないと思ってやりました。

それに、自分が頑張れたのは仲間が声をかけてくれたからなんです。今でも忘れないのが、自分がリバウンド取ってアウトレットパスを出したときに、前を走っていた水島さん(沙紀、トヨタ自動車昨季で引退)が「リョウ、頑張れ!」って言ってくれたんですね(※リョウは高校時代の渡嘉敷のコートネーム)。そういう言葉で踏ん張れるし、頑張れますよね。あのシーンは今でも覚えています。
 ――高校卒業後はWリーグの名門、JX-ENEOSへ。Wリーグと高校では何が違いましたか?

高校に入ったときも2つ上に田さん(真希、デンソー)とかすごい人がいたけど、JX-ENEOSには大神(雄子)さん、田中(利佳)さん、諏訪(裕美)さん、吉田(亜沙美)さんたちがいて、ディフェンスの強さや経験値が違い、毎日のように日本代表の練習をしているくらいレベルが高くて、それはそれは刺激的でしたね。新人のときはいつも「自分が攻めていいのかな?」と迷いながらプレーしていました。

とくに苦労したのが吉田さんのパスを取ること。吉田さんのパスは高校生と違って強くて速くて、味方も騙されてしまうほど。私があまりにもパスを取れないので、先輩たちがずらっと並んで、いろんな角度からいろんなパスをしてくれて、それを取る練習をしたくらいです。あとはフィジカルの差ですかね。体を鍛えるトレーニングがすごくきつかった。それが高校といちばん変わったところです。
 ――確かに新人の頃は「自分がやっていいのだろうか」と言っていて、迷いが見えましたね。あの頃はまだ自信がなかったのですか?

周りはトップクラスの選手ばかりで、その中でスタートとして出ていたので「ミスしたらどうしよう」とビビっていました。ミスをして「すいません、すいません」と謝ってばかりいたら、当時コーチのトム(ホーバス、現日本代表ヘッドコーチ)に「すいませんはやめて!」としょっちゅう怒られました。でもリーグが終わってみれば新人王とレギュラーシーズンMVPをもらうことができました。それは先輩たちのおかげ。トップクラスの先輩たちとやれたことが成長を早めたんだと思います。
 ――部活動をしている中高生にアドバイスをお願いします。

何事も全力で取り組んでほしいですね。それは練習や試合だけじゃなく、部活動の行事や勉強でもそうですけど、同じ1時間やるのなら「いやだなあ」と思ってやるより、どうせやるなら全力でポジティブにやったほうが楽しいし、自分のためになると思います。あとは目的を持ってやることですね。自分はエースの自覚を持って勝利に貢献することが自分の仕事だと思っています。まあ、学生時代の自分を知っている人には「渡嘉敷、何言ってんの?」と笑われるかもしれないけど、勉強も前向きにやっていました(笑) 

(後編に続く)

【PROFILE】
とかしき・らむ。1991年6月11日生まれ、193p、埼玉県出身。春日部東中学校、桜花学園高校を経て、2010年にJX-ENEOSに入団。高校時代はウインターカップ3連覇を含む8冠を獲得。高校2年次にはU18アジア選手権で優勝。日本代表では2013年と2015年のアジアカップでMVPを受賞。2016年リオ五輪でベスト8、2019年はアジアカップ4連覇の立役者となる。2015-2017年には3シーズンにわたり、WNBAのシアトル・ストームに在籍。日本人3人目のWNBAプレーヤーとして、3シーズントータルで平均15.2分出場、5.5得点、2.4リバウンドの記録を残す。今季のWリーグはシーズン途中で中止となったが、21.75点で得点1位。
 

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