「ジョーダンが“目覚めない”のは分かっていた」マジックのペニーが明かしたブルズ撃破の要因

「ジョーダンが“目覚めない”のは分かっていた」マジックのペニーが明かしたブルズ撃破の要因

95年プレーオフ準決勝でペニー擁するマジックはブルズを4勝2敗で撃破。91年以降、ジョーダンズ・ブルズにポストシーズンで唯一黒星をつけたチームとなった。(C)Getty Images

シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997−98シーズンに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』が放映されており、1991〜93年に続く2度目となる3連覇に改めてスポットライトが当てられている。シーズン72勝をあげた95−96シーズンから怒涛の快進撃が始まったが、遡れば1995年のカンファレンス準決勝でオーランド・マジックに敗れた悔しさがマイケル・ジョーダンの闘争心に火をつけた。当時、マジックの主力だったアンファニー“ペニー”ハーダウェイが、シリーズを振り返っている。

 ジョーダンが最初の引退を発表したのは93年10月のこと。ブルズを3連覇に導いたわずか4か月後、7年連続得点王、MVPを3度受賞し、前年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得した絶頂期に、30歳の若さで表舞台を退いたことは世界中に衝撃を与えた。

 94年2月、ブルズのオーナーだったジェリー・ラインズドーフが所有するMLBシカゴ・ホワイトソックスと野球選手として契約。その後、開幕を2Aのバーミンガム・バロンズで迎え、127試合で打率.202、3本塁打、51打点、30盗塁(失敗18回)、11失策という記録を残した。
  しかし、MLB選手会が94年8月からストライキに突入し、残りのシーズンとポストシーズンがすべて中止。95年に入っても解決の糸口を見い出せず、3Aナッシュビルへの昇格が決まっていたジョーダンは野球選手の道を断念。3月18日(日本時間19日)、「I’m back」(復活だ)の名言とともに、「45番」を背負いブルズに電撃復帰を果たした。

 レギュラーシーズン17試合で平均26.9点、6.9リバウンド、5.3アシストを記録したジョーダンの活躍でブルズは終盤戦で13勝4敗と巻き返し、カンファレンス5位でプレーオフに進出。1回戦でシャーロット・ホーネッツを3勝1敗(当時は3戦先勝)で下してペニーとシャキール・オニール(シャック)擁するマジックとの準決勝に駒を進めた。

 ブルズはシリーズ初戦、残り試合時間6.5秒で1点リードしていたが、ジョーダンがニック・アンダーソンにスティールされてまさかの逆転負け。試合後、「彼は以前のジョーダンじゃなかった」とアンダーソンに言われたジョーダンは、3日後の第2戦に罰金覚悟でかつての「23番」に戻して38得点をマークし、意地の勝利に導いた。

 第3戦以降も、40→26→39→24と得点を重ねたものの、野球挑戦の間に10〜15ポンド(約4.5〜6.8kg)増加していた身体をバスケットボール仕様に戻せず、ブルズは2勝4敗で敗退した。
  90年代に201cmの大型司令塔として一世を風靡したペニーは、『Uninterrupted』のポッドキャストに出演。95年のブルズとのシリーズを振り返っている。

「ブルズが神秘的に扱われるのはプレーオフで負けないからだ。だけど私たちも、『これは俺たちのショーだ。俺たちを倒さないと先には進めないぞ』と思っていた。彼らを倒す準備ができていた。私たちが第1戦に勝利した後、MJは23番を着て登場してきた。彼が心の中で自分に何を言い聞かせているのか分かったよ。彼は第2戦で物凄いゲームをやってのけた。私たちはできるだけ彼が快適にプレーできないようにしただけさ」

 ペニー&シャックのコンビはもちろん、このシリーズでは元ブルズのホーレス・グラントが平均18.0得点、11.0リバウンド、シュート成功率64.7%(68本中44本成功)と大活躍。ジョーダンのマークもシリーズを通してアンダーソンが務めたが、マッチアップを変わるような事態にもならず、チームとして対応できたとペニーは語る。

「ホーレス・グラントは一世一代のシリーズを送った。彼はシリーズを通して15フィート(約4.58m)のショットをほとんど外さなかった。彼は勝つことだけに集中していた。とにかく勝ちたかったんだ。(ブルズと)契約更新してもらえず、マイケルが彼に個人的にしたことも関係して、ブルズを憎んでいた。移籍した翌年にブルズを倒してしまうんだからクレイジーだよね。シャックとホーレスがマイケルを止めたのを覚えているよ。私はそこには関与していない。ジョーダンが“目覚めない”のは分かっていたからね」
  ペニーの中で“目覚めない”という確信があったのは、ジョーダンが3連覇時のようなコンディションではなかったからだという。“エア”の異名を取り、驚異的な跳躍がジョーダンの代名詞だが、復帰直後の95年に関しては“ダンクに行けない”状態だったと明かす。

「彼がレイアップに行ったプレーは、爆発力がなく、飛べていなかった。それまでは普段ダンクしていたのに、ダンクに行かなかった。(できないから)レイアップしていたんだ。彼がダンクしないことによって、我々はシュートをブロックするチャンスを得た。シリーズを通して彼にかつてのジャンプ力はなかった」

 ジョーダンが初優勝を飾った91年から、ブルズで2度目の引退をする98年まで、プレーオフのシリーズで敗れたのは95年のマジック戦のみだが、翌年のカンファレンス決勝で再対戦した際、スウィープ(4連勝)でリベンジを果たすあたり、ジョーダンも生粋の負けず嫌いと言えるだろう。

構成●ダンクシュート編集部

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