NBA入りで「妹の親権」を勝ち取った男――トーマス・ロビンソンの波乱万丈キャリア

NBA入りで「妹の親権」を勝ち取った男――トーマス・ロビンソンの波乱万丈キャリア

ロビンソンは、キャリア1年目から3チームを渡り歩いた。(C)Getty Images

アンソニー・デイビスやデイミアン・リラードを輩出した2012年ドラフトで、注目選手に挙げられていたカンザス大の“Tロブ”ことトーマス・ロビンソン。1巡目5位でサクラメント・キングスに指名されてNBA入りした彼は、7シーズン後の現在、ロシアリーグのヒムキに所属している。

 しかし、3月で29歳を迎えた身長208pの大型パワーフォワードは、いまでもしっかりと、その視線をNBA復帰に向けている。

 地元ワシントンDCでの高校時代から全国レベルの選手となっていたロビンソンは、数々の誘いの中からカンザス大を選んだ。故郷からは遠かったが、熱心に口説いてくれたビル・セルフ・ヘッドコーチ(HC)の人柄や、マーキーフ(現ロサンゼルス・レイカーズ)とマーカス(ロサンゼルス・クリッパーズ)のモリス兄弟の存在が、彼にとっては大きな決め手だった。

 最初の2年はシックスマンだったが、3年目のジュニア時代にブレイクすると、平均17.7点、11.9リバウンド、27回のダブルダブルを達成するなどエースとしてチームを牽引。NCAAトーナメントで準優勝し、ケビン・デュラント(ブルックリン・ネッツ)やブレイク・グリフィン(デトロイト・ピストンズ)らも受賞した栄えあるBig12年間最優秀選手にも選ばれ、2012年のドラフトにアーリーエントリーを決めた。
  しかしその時、ロビンソンがドラフト指名に賭けていたのは、自分のキャリアよりも、彼にとってさらに大事なものだった。

 カンザス大2年目の冬、ロビンソンは、わずか3週の間に、可愛がってくれた祖父母と女手一つで育ててくれた最愛の母親が相次いで他界するという想像を絶する悲劇に見舞われた。

 3人を失ったことに輪をかけてロビンソンの心を痛めたのは、当時7歳だった妹のジェイナがたった1人でワシントンに残されることだった。ジェイナは異父妹だったが、彼女の父親は薬物売買で刑務所に入っていたため、12歳違いのロビンソンが父親がわりとして幼い妹の面倒を見ていた。

 大学寮に呼び寄せることも考えた。セルフHC夫妻も、養子縁組を真剣に検討してくれた。大学には、ジェイナの学費をサポートするための寄付金も集まった。

 しかし親権は、大学生のロビンソンではなく、その後まもなく出所したジェイナの実父に渡る可能性が濃厚だった。
 「その時から明らかに彼は変わった」とチームメイトたちが感じたほど、この頃からロビンソンのバスケットボールに注入する熱量が変わった。

 数字よりも、とにかく自分のプレーに磨きをかけることに専念し、膝の手術も克服してオフシーズンには猛特訓を積んだ。

 彼の中にあった思いはただひとつ。

「NBA選手になって、収入も地位も安定すれば、ジェイナの親権を勝ち取れる」ということだった。

 その結果、前述のように3年目でカンザス大のスター選手となり、上位指名候補の1人として、ロビンソンは2012年のドラフト会場にいた。妹の傍で、当時のデビッド・スターン・コミッショナーから名前を呼ばれるのを聞いた彼が壇上で見せた涙は、妹の面倒は必ず自分がみる、と亡き母に誓った約束を果たせたことへの安堵の思いだった。

 そんな思いでたどり着いたNBAだったが、2月に大型トレードでヒューストン・ロケッツに放出、さらにシーズンオフにはポートランド・トレイルブレイザーズにトレードと、ルーキーイヤーにいきなり3チームを転々とするはめに。
  その後もフィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ネッツ、レイカーズと毎年のように所属先が変わり、NBA在籍5シーズンの平均出場時間は15分にも満たず、4.9点、4.8リバウンドと、腰を据えて実力を発揮する間もないまま、2017年のオフに新たな地を目指すことになったのだった。

 行き先はロシアのヒムキ。創立は1997年と若いクラブだが、同じモスクワを拠点とする強豪CSKAのライバルチームとして急成長し、ユーロカップやユーロリーグでも常連となっている新興勢力だ。

 ロビンソンは、インサイドに運動能力の高いパワフルな人材を求めていたクラブの構想にぴったりはまった。

 カンザス大時代と同じ、背番号「0」をつけたロビンソンは、ヒムキではセンターとして起用され、NBA時代に見せていたような豪快なブロックショットも炸裂。倒れこんだ際に手首を負傷して約2ヶ月の離脱を強いられたが、チーム最多の平均5.8リバウンドを記録するなど、ユーロリーグのプレーオフ出場にも貢献した。
  そんな充実したシーズンの甲斐あって、シーズンオフにアトランタ・ホークスとの契約にこぎつけ、念願のNBA復帰を果たしたが、喜んだのもつかの間、開幕直前に解雇通告を受ける。

 その後は、NBA復帰を見据える選手たちにとっていまや定番コースともなっている中国リーグで実戦を重ね、オフにサマーリーグに参加しながらチャンスを探っていた。

 今シーズンは四川ブルーホエールズでプレーしていたところ、2月にヒムキから助っ人要請を受けて古巣に舞い戻った。偶然にも今シーズンのヒムキには、キングスでのルーキーイヤーに、喉元にエルボーが入って2試合の出場停止処分を受けることになった事件の相手、ヨナス・ジェレブコ(当時デトロイト・ピストンズ)がいて、因縁の相手との思わぬ再会も実現した。

「自分にはまだ、NBAのレベルでも、世界のどこででもプレーできるだけの力があると信じている」と語るロビンソンは、昨夏もラスベガスでのサンアントニオ・スパーズのサマーリーグに参加し、4試合で8.3点、6.8リバウンドと手応えは感じていた。
  サマーリーグは、主に若手選手のためのものと見る向きもあるが、「サマーリーグでプレーするのは、第一に、自分には“プライド”なんかはまったく関係ない、ということを見せるためだ。まだハイレベルで十分にやれるということを証明したい、その一心でこの年になってもサマーリーグに参加している。車輪が外れるまで、走り続けるつもりだよ」とロビンソンはひたむきに思いを語る。

 その一方で、キングス入団とともに手元に呼び寄せた妹ジェイナは高校生になり、ロビンソン自身も2児の父となったいま、現実的にはバスケットボール後の人生も考えている。

 カンザス時代からの盟友モリス兄弟とは、FOE(Family Over Everything 家族はなにものにも優る)という、実に彼ららしい名前のアパレルを立ち上げた。モリス兄弟の母エンジェルさんは、母親代わりとなって大学時代のロビンソンを親身に支えてくれた。モリス家は、ロビンソンにとって家族同然の存在だ。
  また、第2の故郷であるカンザスに、電動キックボードのシェアライドを設置するビジネスも進めている。3年目で終えたままになっているカンザス大でも学位を取り直していて、近々卒業資格が取れる見込みだ。

 アグレッシブなダンクをかますプレー中の姿からは想像できないほど、オフコートで話すときのロビンソンの口調は穏やかだ。幼い頃から辛いことがあるたびに、母に『物事が起こるときには、すべて理由があるのよ』と諭されて育ったがゆえに、達観しているのか。
  ロビンソンは、いまだに電話嫌いで知られている。大学2年生の冬、電話が鳴るたびに、彼のもとに届いたのは不幸な知らせだったからだ。

 そんな彼のもとに、これからの人生では、たくさんの嬉しい知らせが来ることを祈りたい。

文●小川由紀子
 

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