MLB挑戦を経て復帰したジョーダンが着用。引退後も多方面で活躍する人物の多い45番の歴史【NBA背番号外伝】

MLB挑戦を経て復帰したジョーダンが着用。引退後も多方面で活躍する人物の多い45番の歴史【NBA背番号外伝】

1度目の引退から復帰したジョーダンが着用した45番。これは兄のラリーが学生時代に使用していた番号でもある。(C)Getty Images

ヘッドコーチ(HC)してヒューストン・ロケッツを2度の優勝に導いたルディ・トムジャノビッチ、サクラメント・キングスで20年間GMを務めたジェフ・ペトリー、現在ホーネッツの球団社長を務めるマイケル・ジョーダン……。現役時代に45番を着用した選手は、引退後も多方面で活躍している人物が多い。

 マイケル・ジョーダン(元ブルズほか)の背番号が23番であることを知らないNBAファンはいないだろう。だが1度目の引退からカムバックした1994−95シーズンには、彼は見慣れない45番のジャージーを纏っていた。これは兄のラリーが学生時代に使用していた番号であり、引退中に挑戦した野球でもマイナーリーグで背負っていたもの。しかし95年のプレーオフ2回戦で対戦したオーランド・マジックのニック・アンダーソンに「23番じゃないジョーダンは怖くない」と言われ、NBAに罰金を払ってまで23番に変更した。ジョーダンはこのほか、90年に1試合だけ12番で出たこともあるが、それはジャージーの盗難に遭ったのが理由だった。
  ジョーダンに憧れる選手が大抵23番をつける中、あえて45番を選んだのは、今季初めてオールスターに出場したドノバン・ミッチェル(ユタ・ジャズ)。野球少年でもあった彼にとって、45は「ジョーダン」「野球」という2つの好きなものを結びつける数字なのだ。

 45番で活躍した最も初期の選手は、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)の初代センターだったボブ・ルール。67年のドラフト2巡目19位で入団し、最初の3年間で平均22.2点を記録したが、4年目のシーズン開幕直後にアキレス腱を断裂。翌年に復帰するも往年の輝きは失せており、74年に引退した。

 ジェフ・ペトリーも短命だったが素晴らしい選手で、ポートランド・トレイルブレイザーズに入団した71年に平均24.8点をあげ、デイブ・コーウェンス(元ボストン・セルティックスほか)とともに新人王を獲得。72−73シーズンに2度達成した51得点は、05年にデイモン・スタッダマイアーに破られるまで球団記録だった。名門プリンストン大の出身に加え、ルックスも良いとあって人気も高かったが、76年にアトランタ・ホークスへトレードされた直後にヒザを負傷。そのケガが原因で27歳の若さで引退を余儀なくされた。81年に45番として史上初の永久欠番となったのち、94年から13年まではサクラメント・キングスのGMを務めた。
  ペトリーと同じシューター型のフィル・シェニアーは、ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)時代に3度のオールスターに出場。ゴールデンステイト・ウォリアーズにスウィープ負けを喫した75年のファイナルでも、平均23点と気を吐いた。

 長く45番をつけていた選手の中で、今のところ最大のスターはトムジャノビッチ(元ヒューストン・ロケッツ)だろう。オールスターに5度選ばれた名フォワードは、77年にカーミット・ワシントン(元ロサンゼルス・レイカーズほか)に殴られて頭蓋骨骨折の重傷を負ったことでも有名だ。引退後はロケッツのHCに就任し、94、95年には2年連続でチームを優勝へ導いた。45番はロケッツと、母校ミシガン大の両方で欠番となっている。

 80年代の名選手としては、ウォリアーズの点取り屋だったパービス・ショート、そしてショータイム・レイカーズ後期の主力だった“鉄人”AC・グリーンが挙げられる。極めて信心深く真面目な性格でも知られたグリーンは、2年目の86−87シーズン途中から引退する00−01シーズンまで、1192試合に連続出場。この記録は現在も破られていない。レイカーズ以外にもフェニックス・サンズやマイアミ・ヒートでもプレーし、どのチームでも45番を通した。
  比較的大きめの数字で、希望する選手があまり多くないこともあり、グリーン以外にも生涯45番の選手は多い。“ライフルマン”の異名をとったシューターのチャック・パーソンもその1人で、インディアナ・ペイサーズ時代はレジー・ミラーとコンビを組み、得点を量産した。92年にミネソタ・ティンバーウルブズへトレードされ、その後計5球団を渡り歩いたが常に背番号45。オランダの巨人リック・スミッツは、ペイサーズ入団当初は24番だったが、パーソンの移籍を機にマリスト大時代の番号だった45に戻した。

 控えセンターとして7球団に在籍したショーン・ルックス(元ダラス・マーベリックスほか)も、キャリアを通じて45番。ボー・アウトローもほとんどのチームで同番号を背負ったが、05年のサンズ移籍時はスティーブン・ハンターが着用していたため1をプラス。史上4人しか前例がなかった46番を選んだ。

 殿堂入り選手のエイドリアン・ダントリーは、ジャズ時代に2度得点王となった際は4番。87年にデトロイト・ピストンズへ移籍して以降は、オールスター選手のジョー・デュマースがいたため45番に変えたが、2年後にマブズへトレードされるとすぐ4番に戻した。デビッド・サードキル(元セルティックスほか)やマイケル・アンスリー(元マジックほか)ら、NBAでは大成しなかったものの、海外のリーグで活躍した選手も多い。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2015年12月号より転載・修正
 

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