【NBAデュオ列伝】「史上最高」にもな成り得たケンプ&ペイトン。歯車はどこで狂ったのか|前編

【NBAデュオ列伝】「史上最高」にもな成り得たケンプ&ペイトン。歯車はどこで狂ったのか|前編

ともに悪評が先に立ったペイトン(左)とケンプ(右)だが、そこがまた魅力的だった。(C)Getty Images

NBA史上最高のポイントガードとパワーフォワードの組み合わせが、ジョン・ストックトンとカール・マローンのコンビであることは疑いの余地がない。しかし、その2人に並ぶ、あるいは超えるコンビになるかもしれない――そう注目された2人がいた。

「ゲイリー・ペイトンとショーン・ケンプ。選手としてのタイプは少し違うが、彼らは新世代のストックトン&マローンだ」

 シアトル・スーパーソニックスのGMとして、2人をドラフトで指名したボブ・ウィットシットはそう確信していた。96年にソニックスのヘッドコーチとして、ともにNBAファイナルを戦ったジョージ・カールも「彼らは今でもオールスター選手だが、優勝を1、2回経験すれば殿堂入りも確実だろう」と予測した。

 だが、それは現実とはならなかった。歯車は、一体どこから狂い始めたのだろうか?
  ケビン・ガーネットやレブロン・ジェームズのように、カレッジ・バスケットを経験せずにNBAで活躍する選手は90年代以降珍しくなくなった。そうした流れを最初に作った選手が、89年にドラフト17位でソニックスに入団したケンプだった。

 もっとも、ケンプは高校からすぐにNBA入りしたわけではない。名門ケンタッキー大に入学はしたのだが、1試合もプレーすることなく中退。短期大学へ転校した後、プロ入りの決意を固めたのである。中退の原因としては、ケンタッキー大バスケットボール部の不祥事や、ケンプ本人の窃盗疑惑など様々な説があるが、学業成績が悪すぎて奨学金が支給されなかったからだとも言われている。

「俺はそんなにバカじゃない。ただ単に勉強しなかったのさ。白人と違って、黒人だと成績が悪かったらどんなにいい選手でもプレーさせてもらえないんだ。人種差別もいいところだよ」

 これはプロ入り後数年を経て、ケンプが当時の状況を振り返って語ったものだ。やがて彼の転落を招く怠惰さと、責任を転嫁する姿勢が、すでに現れているのが興味深い。
  だが、ケンプの運動能力の高さは、そうしたもろもろの欠点を補ってあまりあるほどだった。とりわけ身長の45%に相当するという驚異的な跳躍力を生かした、野性味に溢れたスラムダンクは“ジャングルダンク”と呼ばれ、彼のトレードマークとなった。「俺は本能的、反射的にダンクを打てる。目にも止まらない速さでね。わざわざ練習することもない。一流の歌手がいつステージに上がっても歌えるように、俺のダンクも自然に身についているのさ」。

 まずダンクで名を売ったケンプだが、選手としても順調に成長していった。リバウンドやブロックショットなどのディフェンス面も向上し、4年目の93年にはオールスターに初出場。94年には世界選手権“ドリームチームU”のメンバーにも選ばれ、“レインマン”のニックネーム通り、リーグを支配(reign)するパワーフォワードとしてのステータスを築いていった。
  ペイトンがNBA入りするまでの道のりは、ケンプと対照的だった。オレゴン州立大ではオールアメリカンに選出され、アメリカ最大の総合スポーツ誌「スポーツイラストレイテッド」の表紙を飾ったこともあるエリートだった。90年のドラフトでは全体2位の高い評価を得て、大いに期待されてソニックスのジャージーに袖を通した。

 しかし、ペイトンが最初に注目を集めたのは、プレーではなくリーグ最悪のトラッシュトーカーとしてだった。

「子供の頃からそうやってプレーしていたんだ。トラッシュトークは、俺の闘志を掻き立てる手段なのさ」

 そう自己弁護するペイトンだったが、彼の口の悪さは限定を超えていた。ケンプですら「ゲイリーの喋りは、俺にとても真似できないよ。彼に比べりゃ、ジョン・マッケンロー(態度の悪さで有名だったプロテニスの名選手)さえ天使に思えるほどさ」と呆れたくらいで、当然メディアやファンからの評判は最悪に近いものだった。しかもルーキーシーズンは首脳陣の方針と彼のプレースタイルが噛み合わず、期待外れの成績で「口だけしか取り柄のないヤツ」、「生意気で鼻持ちならない男」と酷評された。
  それでもペイトンは、そうした悪評を自らの力で覆す。とりわけ称賛されたのがディフェンス能力の高さだった。

「ワン・オン・ワンのディフェンスなら誰にも負けない。ムーキー・ブレイロックやストックトンもすごいディフェンダーだが、ファウルせずに相手を抑え込んで、思うようなプレーをさせない点じゃ、俺にかなわないだろうな」
  マークマンに徹底的に密着し、絶妙なタイミングでスティールを繰り出す。敵を完全に手中に収めてしまうことから、“グローブ”の異名がついたほどだ。

 2年目にカールがヘッドコーチとなり、トラップ・ディフェンスを多用するようになってからは、ペイトンのディフェンス力がより生かされるようになった。94年にはオールディフェンシブ1stチームに選出、96年にはポイントガードとしては史上初めてとなる最優秀ディフェンス賞も受賞した。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2004年12月号掲載原稿に加筆・修正。
 

関連記事(外部サイト)

×