ブルズの「歴代ベスト5」を選定!ジョーダン&ピッペンは鉄板。悩んだPFの人選は…

ブルズの「歴代ベスト5」を選定!ジョーダン&ピッペンは鉄板。悩んだPFの人選は…

ジョーダン(右)とピッペン(左)を抜きにブルズの歴史は語れない。(C)Getty Images

1946年の創設から74年。その長い歴史の中でNBAは何人ものスーパースターを輩出し、ファンを楽しませてきた。では、各チームの「歴代ベスト5」を選出したら、一体どんな選手が並ぶのか。『THE DIGEST』では、NBAに精通する識者に依頼し、全30チームのベストメンバーを選んでもらった。今回は1990年代に2度のスリーピート(3連覇)を成し遂げた「シカゴ・ブルズ」編だ。

【ポイントガード】
デリック・ローズ

1988年10月4日生。191cm・91kg。
在籍期間:7シーズン(2008〜16年)

 1990年代にブルズは2度のスリーピート(3連覇)を果たしたが、チームの主役はマイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペンで、前期に先発を務めたジョン・パクソン、BJ・アームストロング、後期のロン・ハーパーは彼らのサポーティングキャストだった。歴代のベスト5を選ぶなら、PGはローズが最もふさわしいだろう。

2008年のドラフト全体1位で故郷チームに入団した時点で、ローズがスターダムに躍り出ることはほとんど約束されていた。その期待通り、“シカゴのフェイバリット・サン”の活躍は爆発的だった。

 1年目に新人王獲得、2年目にオールスター出場を果たすと、3年目には平均25.0点、7.7アシストを残して史上最年少の22歳でシーズンMVPを受賞。コートサイドで見ると畏怖の年を感じるほどの迫力あるプレーでリーグ全体を沸かせた。素直な性格でも好感度は高く、“ジョーダン後”のブルズでは最も人気の高い選手だったと言って良い。

 2011年以降のローズは残念ながら故障を繰り返し、“What if”の典型のような選手になってしまった。瑞々しい魅力に溢れていた好漢が、ケガを経験していなければ……。しかし、ここでは悔恨を語るより、やはり良いことばかりを思い出しておきたい。そして、最近は新境地を見出しつつあるローズが、いつか再びブルズのユニフォームを着る日が来ることを願ってやまない。
 【シューティングガード】
マイケル・ジョーダン

1963年2月17日生。198cm・98kg。
在籍期間:13シーズン(1984〜93年、95〜98年)

 この男に関しての説明はもはや不要だろう。ブルズのSGといえば、“史上最高のバスケットボールプレーヤー”と称されるジョーダン以外にいない。ドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』の大ヒットによって、若い世代にもその凄さは改めて知れ渡ったはずだ。

 一応記しておくと、ブルズでのジョーダンは平均31.5点、6.3リバウンド、5.4 アシスト。在籍中に6度の優勝を果たし、すべてのファイナルでMVPを獲得した。さらに得点王10度、シーズンMVP5度、ディフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー、新人王など、手に入れた勲章は枚挙に暇がない。

 ジョーダンがNBAのコートに降り立ったことは、すべてのスポーツファンにとっての喜びだった。その功績と魅力は世代、国境を超え、永遠に語り継がれていくのだろう。
 【スモールフォワード】
スコッティ・ピッペン

1965年9月25日生。203cm・103kg。
在籍期間:12シーズン(1987〜98年、2003〜04年)

 ジェリー・クラウスGMとの確執、契約問題、トレード志願、さらには1.8秒事件(1994年5月、ニックスと対戦したイースタン・カンファレンス・セミファイナル第3戦で起こった。最終クォーターも残り1.8秒、1点を追ったブルズのタイムアウト後、ジョーダンが引退中で不在だったにもかかわらず、ラストショットを打つのではなく、インバウンドパスを出す役割にされたことでピッペンが激怒。そのままゲームに戻らず、激しく批判された事件)など、日本でも話題を呼んだドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』ではブルズ時代のピッペンの不遇がかなり強調されていた印象もある。ただ、出場試合数、プレー時間、FG成功数、得点はすべてジョーダンに次ぐブルズの歴代2位。多才さの権化のようなピッペンが、黄金期のブルズにとって不可欠の存在だったことは誰にも否定できない事実だ。

 何より、周囲に厳しかったというジョーダンから絶大な信頼を受けていたことが、ピッペンの力量を物語る。最高のオールラウンダーであり、史上最高級のSF。“永遠のNo.2”は、ブルズ史上でもジョーダンに次ぐbQプレーヤーだったと考えられてしかるべきである。
 【パワーフォワード】
ホーレス・グラント

1965年7月4日生。208cm・111kg。
在籍期間:7シーズン(1987〜94年)

 本来であれば90年代後期に一世を風靡したデニス・ロッドマンを選出すべきだが、在籍期間が3年と短かったため除外。おかげで選考が難しくなり、ボブ・ブーザー(1968〜76)やピッペンをPFにスライドして、60年代後半から70年代に主力として活躍し、80年代にヘッドコーチも務めたジェリー・スローンをSFに組み入れることも考慮した。しかし、ここではやはり1度目のスリーピートへの貢献度を買って、グラントを選びたい。

 1991-92シーズン、1993-94シーズンは得点、リバウンドで平均ダブルダブルをマーク。ディフェンス、ミッドレンジのジャンパー、ゴール周辺でのフィニッシュ力を備えており、ジョーダン、ピッペンとも見事にフィットした。

 2度目の3連覇に貢献したロッドマンと比べてグラントは地味な感は否めないが、4年連続でオールディフェンシブ2ndチームに選出という実績が示す通りの実力者。『ザ・ラストダンス』ではジョーダンの知名度に嫉妬したような描写があったが、自身が過小評価されていると感じた背後にはそれだけの裏付けがあったのは間違いないのだろう。
 【センター】
アーティス・ギルモア

1949年9月21日生。218cm・109kg。
在籍期間:7シーズン(1976〜1982年、87〜88年)

 チームが6度の優勝を果たした90年代、NBAはアキ―ム・オラジュワンやシャキール・オニール、パトリック・ユーイングなど、センター全盛の時代だった。しかし、前述の通りブルズはジョーダンとピッペンのチーム。前期のビル・カートライト、後期のルーク・ロングリーはPGと同様に脇役だった。
  ギルモアは1976-82、87-88シーズンの2度にわたってブルズに在籍し、通算4度のオールスターに選ばれた往年の名センターだ。ブルズでは平均19.3点、11.1リバウンドという優れた成績を残し、フィールドゴール成功率58.7%という効率の良さも魅力。身長218cmの巨漢ながら、特に1976-82シーズンの第一次在籍期は1979-80シーズン以外すべての年で全試合出場という耐久力も特筆されてしかるべきだ。

 近年のブルズのセンターでは、ローズが中心となった時代のチームをゴール周辺で支えたジョアキム・ノアのディフェンス、リーダーシップも捨て難い。しかし、そんなノアの総合力も、やはり“A-トレイン”と称されたギルモアの生産性の高さには及ぶまい。

文●杉浦大介

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