【NBA名脇役列伝・前編】“ガーネットの人生”を変えた男、マリーク・シーリー。ルーキーイヤーでの珍事件とは

【NBA名脇役列伝・前編】“ガーネットの人生”を変えた男、マリーク・シーリー。ルーキーイヤーでの珍事件とは

ケビン・ガーネットが最も影響を受けた選手の1人が、このマリーク・シーリーだ。(C)Getty Images

マリーク・シーリーがこの世を去ってから20年の月日が流れた。彼は殿堂入りするようなスーパースターではなかったが、カリスマ性に溢れ、誰からも一目置かれる存在だった。多くの人に愛された男の、知られざるストーリーをお届けしよう。

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 マリーク・シーリーという選手を覚えている人が、日本にどれだけいるだろうか。NBAでプレーした8年間で、個人タイトルの獲得やオールスター出場は1度もなく、シカゴ・ブルズやロサンゼルス・レイカーズのような人気球団にいたわけでもない。現役中に亡くなったことで名前は記憶していても、どんなプレースタイルの持ち主だったか鮮明に覚えている人は多くないだろう。

 しかし、シーリーの名と彼が残したものはNBA選手の間で確かに受け継がれている。なかでもケビン・ガーネットは、最も影響を受けた選手の1人に彼の名を挙げているほどだ。

「マリークのことは一人の人間として尊敬していた」と語るガーネットは、ブルックリン・ネッツ時代には長年親しんだ21番や5番ではなく、シーリーが現役プレーヤーとして最後につけていた2番を新しい背番号として選んだ。シーリーに対する彼の想いは、それほどまでに強いのだ。
 ■ペイサーズ入団1年目にとんでもない失態を犯す

 シーリーの父シドニーは元ボクサーで、現役引退後に公民権運動の伝説的指導者だったマルコムXのボディガードを務めていた。イスラムの言葉で“王”を意味するマリークという名前も、マルコムXの本名マリーク・シャバズからとられたものである。

 ブロンクス生まれで、少年時代からストリートバスケットの世界では名の知れた存在だったシーリーは、トレンタイン高校時代にチームを州大会優勝、全国ランキング1位に導き、自身もオールアメリカンに選出される。
  大学はシラキュースとセントジョンズのどちらかで迷ったが、OBのマーク・ジャクソンの勧誘もあってセントジョンズ大を選択。ここでも中心選手として活躍し、通算2401得点はクリス・マリンより38点少ないだけで同大学史上2位、そして238スティールは堂々の1位である。さらに2年連続でオールビッグイースト・カンファレンスチームに選ばれ、92年にはAP通信選出のオールアメリカン3rdチームにも名を連ねた。

 その92年にドラフト1巡目14位指名を受けてインディアナ・ペイサーズに入団したシーリーだが、プレーオフでとんでもないトラブルに見舞われる。ニックスと対戦するためニューヨークへ遠征した際、彼はスカウティングレポートを克明に記したプレーブックをケネディ空港に置き忘れてしまったのだ。不運にもそのプレーブックはニューヨークのDJの手に渡り、ラジオ番組で内容を読み上げられる事態に……。

「これを彼に返すつもりはない。そもそも開いた形跡があるようにも見えなかったからね。どうしても必要だったらチームメイトに見せてもらえばいいだろう?」

 DJはそう言い放った。
 「何と言っていいかわからないな。よりによってあんな悪趣味なヤツの手に渡るなんて」とシーリーは吐き捨てたが、そもそも大事なプレーブックを置き忘れたのはシーリーの失態である。当時ニックスのアシスタントコーチだったジェフ・ヴァンガンディに「あのDJをコーチに雇うべきだ。我々のプレーをとてもよく知っているようだからね」と皮肉られても、返す言葉はなかった。

 翌93−94シーズンは汚名返上とばかりに、開幕から絶好調。初戦で27得点をあげ、7戦目からは先発に昇格していた。ところが、12月にケガで1か月間戦列を離れるとそのまま居場所を失い、プレーオフのロースターからも外されてしまう。

「テレビでプレーオフの試合を見る気にもなれなかった。しばらくの間はチームにも帯同せず、家に引きこもっていたよ」

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年10月号掲載原稿に加筆・修正。

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