【NBA名脇役列伝・後編】30歳で帰らぬ人に…誰からも愛された男、マリーク・シーリーの色褪せぬ記憶

【NBA名脇役列伝・後編】30歳で帰らぬ人に…誰からも愛された男、マリーク・シーリーの色褪せぬ記憶

シーリーはクリッパーズに移籍後、シューティングガードで起用され、大活躍した。(C)Getty Images

■98年オフにウルブズへ移籍。KGの指南役を買って出る

 キャリアの転機が訪れたのは、マーク・ジャクソンらとの交換でロサンゼルス・クリッパーズに移った3年目のシーズンだった。当初はベンチスタートだったが、開幕から1か月で先発の座を掴むと平均14.7点を稼ぐ活躍。ペイサーズ時代はスモールフォワードで起用されていたが、新天地ではシューティングガードに回ったことで、持ち前のサイズをディフェンス面で生かせるようになったのだ。

 移籍3年目の96−97シーズンは1試合を除いてすべて先発出場、平均13.5点でチームのプレーオフ進出に大きく貢献する。フリースロー成功率87.6%はリーグ7位で、グレン・ライスやマリン、ジョン・ストックトンらの名シューターよりも高い確率を誇った。

 プレーオフでもチーム2位の平均12.5点をあげたシーリーだが、クリッパーズは彼との契約更新を見送る。その後、デトロイト・ピストンズに拾われたものの、ロックアウト明けの99年1月には解雇されてミネソタ・ティンバーウルブズと契約。ケビン・ガーネットとの出会いはこの時だった。
  ガーネットがシーリーに憧れるようになったのは、8歳の頃にテレビでセントジョンズ大の試合を見たのがきっかけだったという。それ以降、彼はシーリーの体格やプレースタイルに自分自身を投影した。

「身長が高い割にシュートが上手く、コート中を自由自在に走り回っていた。まるでマジック・ジョンソンのようだったよ。マリークみたいな選手になりたいと思って、プレースタイルを真似したものさ」

 ガーネットは当然のように、シーリーの代名詞だった背番号21番をプロ入り以来ずっと身に付けてきた。そのため、シーリーはウルブズでは慣れ親しんだ21番をつけられず2番へ変わったのだが、彼は自分を敬愛する後輩の指南役を買って出た。

「“ケビン・ガーネット”であることをプレッシャーだと思わず、楽しむんだ」
  憧れの選手からのアドバイスは、若きスーパースターとして扱われ、チームで孤立しかけることもあったガーネットの胸に真っ直ぐ届き、彼は自分自身を取り戻すことができた。ガーネットは今もシーリーへの感謝を忘れない。

「誰にでも人生を変えてくれた人が1人はいるはずだ。俺が今の俺であるのは、マリークがいたからだ」

■デザイナーや俳優業などコート外でも才能を発揮

 シーリーの活躍の場はコートの上だけではなかった。プロ入り後に『マリーク・シーリーXXI』というネクタイと洋服のブランドを立ち上げ、ペイサーズのダンスチームのユニフォームもデザインした。

「母に教えられて子どもの頃から裁縫をしていたから、ウチの家族はみんな手先が器用なんだよ」。選手として今ひとつだった頃には「彼の存在を最も警戒しているのは、NBAの球団ではなくイヴ・サンローランだろう」とからかわれたりもした。
  96年には、ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画『エディー』に出演。その後『ザ・センティネル』などのテレビドラマにも顔を出し、2000年にはベースライン・スタジオという音楽スタジオを開設した。このスタジオは、ラッパーのJAY−Zやキャムロンが数多くのヒット曲を録音したことで音楽ファンにもよく知られている。

「俺はアーティストで、デザイナーで、アスリートでもある。できないことなんて何もないのさ」とシーリーは誇らしげに語ったが、彼は確かにそれだけの才能に恵まれていた。
 ■弟分の誕生会の帰り道で起きた事故で帰らぬ人に…

 だが2000年5月20日の早朝、シーリーに突如として悲劇が襲いかかる。ガーネットの24歳の誕生日を祝うパーティーからの帰り道、愛車のレンジローバーでハイウェイを走行中、酔っ払いが運転するピックアップトラックが逆走してきて正面衝突されたのだ。トラックの運転手は一命を取りとめたが、シーリーは即死。30歳という若さで、彼が積み上げてきたキャリアは一瞬にして絶たれた。妻のリサは実父を亡くしたばかりで、相次ぐ悲報に言葉もなかった。

 葬儀にはウルブズの選手、NBAの仲間たち、プレーグラウンドで共に汗を流した旧友が参列。故人と最も親しかった人物が務める棺の付添い人は、ガーネットが担当した。シーリーが弟分に最後に残した教えは「最悪の事態にどう対処すべきか」ということだった。事故から長い年月が過ぎてもなお、その日のことを尋ねられるとガーネットは涙を堪えられない。彼の右腕にはシーリーを偲んで「安らかに眠れ、MS2」とタトゥーが彫られている。
  元チームメイトのサム・ミッチェルは、生前のシーリーについて次のように語る。

「いつも彼は、嫉妬やビジネスを脇に置いて、みんなが心をひとつに合わせればどんな相手にも必ず勝てると言っていた。彼がロッカールームに入ってくると、その瞬間に空気が変わるほどの存在だった。沈んだ顔をしていたり、自分を哀れんだりなど絶対にしない男だったよ」

 高校時代は良きライバルとしてしのぎを削ったケニー・アンダーソン(元ネッツほか)も「マリークについて否定的な話をする人は皆無だ」と断言する。

 バスケットボール選手としてのシーリーの記憶は、ファンの間では時の流れとともに薄れつつある。だがガーネットをはじめ、彼をよく知る者たちにとってはそうではない。1人の人間としてのシーリーの記憶は、いつまでも彼らの心の中に残り続け、決して色あせることはないのだ。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年10月号掲載原稿に加筆・修正。

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