ジョーダン引退後のブルズが目論んだ“起死回生”の補強プランが発覚。もし成功していれば…

ジョーダン引退後のブルズが目論んだ“起死回生”の補強プランが発覚。もし成功していれば…

ダンカン、ヒル、マッグレディの3人うち2人でも獲得できていたら、ブルズは2000年代に再び王朝を築いていたかもしれない。(C)Getty Images

シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997−98シーズンに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』は大きな反響を呼んだ。マイケル・ジョーダンは7度目の優勝に向けた意欲は持っていたが、全幅の信頼を置いていた指揮官のフィル・ジャクソンが現場からの一時休業を望んだことで現役引退。相棒スコッティ・ピッペンはヒューストン・ロケッツへトレード、デニス・ロッドマンは放出され、あえなく常勝軍団は解体となった。

 ブルズはその後、トニー・クーコッチが主軸となった1998−99シーズンは13勝37敗、1999−2000シーズンはドラフト全体1位でエルトン・ブランドを指名したが、17勝65敗と下位に低迷。そこで、黄金期の土台を築いたジェリー・クラウスGMは2000年のオフに“起死回生”の大補強を目論んでいたという。

 同年のドラフト1巡目8位でクリーブランド・キャバリアーズから指名を受け、トレードでブルズ入りしたジャマール・クロフォードが『The Platform Basketball Podcast』に出演。クラウスGMが思い描いていた一発逆転のプランを明かした。
 「俺のルーキーイヤーと2年目は、(ブルズは)リーグで最も若いチームだった。そしてファンは『OK、再建の年になるだろう』と分かっていた。でも、俺のルーキーイヤー、ジェリーはグラント・ヒル、ティム・ダンカン、トレイシー・マッグレディを獲得しようとしていた」(クロフォード)

 クラウスGMと言えば、1994年にピッペンとショーン・ケンプ(当時シアトル・スーパーソニックス)、2連覇直後の1997年にはピッペンとマッグレディ(同年のドラフトでトロント・ラプターズに入団)のトレードを画策していたのが有名だ。

 しかし、2000年オフ、デトロイト・ピストンズでの6年間で平均21.6点、7.9リバウンド、6.3アシストをあげたヒル、97年のデビューからサンアントニオ・スパーズを牽引してきたダンカン、3年前にも獲得に動いていたマッグレディの“ビッグ3”を新たな柱として考えていたという。

「MJは引退したばかり。キャップスペースはフルで空いていた。そしてグラント、ティム、T-MACの3人は全員フリーエージェント。ジェリーは3人獲得できると心底信じていたよ。その時、たとえ2人でも獲得できていたら、凄い人気になっていただろうね」
  当時、オーランド・マジックも同じ“3人獲り”を画策していた。ダンカンはマジックの6年総額6750万ドル(現在のレートで約72億7000万円)のオファーを断り、結局スパーズと3年総額3260万ドル(約35億円)で再契約。マジックはヒルとマッグレディを新戦力として加えたが、マッグレディは2度の得点王に輝いた一方で、ヒルは度重なるケガに苦しみ、不運にもマジック移籍を境に凋落を味わうことになった。
  ちなみに、ダンカンはマジックとの交渉の際、ドック・リバース・ヘッドコーチ(現ロサンゼルス・クリッパーズHC)に、シーズン中に何度か家族をチーム専用機に同乗させて遠征に行くことをリクエストしたが、受け入れられずにスパーズ残留を決断したと報じられていた。しかし、実際は少々事情が異なるようで、リバースHCは今年5月に“NBA Together”で「ティムは『僕がオーランドに行くのはまず間違いないと思う。僕はポップが好きで、最後にポップと会いたいから、サンアントニオに戻らないといけない』と話していた」と正しく情報が伝えられていないと主張している。

 結局、2000−01シーズンのサラリーキャップは3550万ドル(約38億3000万円)で1800万ドル(約19億4000万円)が使えたブルズは、3人のスターを全員獲り逃し、最大の補強は4年総額2700万ドル(約29億円)で獲得したロン・マーサーという不発のオフに終わった。もし、“夢のビッグ3”が実現していれば、ブルズはラストダンス後に再び王朝を築いていたかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

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