寡黙なブルーワーカー、ビル・カートライト。順風満帆だったキャリアが、起用法と故障癖で…【NBA名脇役列伝・前編】

寡黙なブルーワーカー、ビル・カートライト。順風満帆だったキャリアが、起用法と故障癖で…【NBA名脇役列伝・前編】

ニックスでのルーキーイヤーまで、カートライトのバスケ人生は順風満帆だった。しかし、起用法と故障癖が彼のキャリアを狂わせていく。(C)Getty Images

シカゴ・ブルズが最初の3連覇を達成してから、四半世紀が経過した。当時の主力選手のうち、マイケル・ジョーダン以外のメンバーは名前を聞く機会も少なくなっていたが、ここへきてドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』が放送されたことで、再び脚光を浴びている。

『ザ・ラストダンス』に対する評価は様々で、ホーレス・グラントなどは「90%がでたらめ」と発言。では、前期スリーピート達成時に先発センターを務めていたビル・カートライトの見解はどうか。

「3回分くらいしか見ていないが、私が知っているのではないストーリーが語られている。ただ、娯楽作品なのだからポジティブに受け止めたい」

 グラントの発言を支持しつつ、大人の対応を見せたその姿は、ジョーダンという唯一無二の存在に振り回されるチームにあって、良心的に振る舞い精神的支柱になっていた現役時代を思い起こさせるものだった。
 ■高卒でのプロ入りも噂されるが、母親の希望もあって大学へ進学

 カートライトはカリフォルニア州サクラメント近郊の、エルクグローブという町で育った。7人姉弟で唯一の男の子だった彼は、幼い頃から父の働く農場を手伝っていたという。

「7〜8歳でもうトマトやリンゴを収穫していた。夏の甜菜畑なんて40度近くになるからね。毎日そんなところで作業していたら、自然と忍耐力も身につくものさ(笑)」

 少年時代は野球が好きで、中学校では長身の投手として注目された。だが身長が2mを超す頃には、彼に最も向いているスポーツがバスケットボールであることが、誰の目にも明らかになる。

 高校時代には1試合66得点を叩き出すなど、平均40点、22リバウンド、8ブロックという驚異的な数字をマーク。最大の武器が最終的に216cmまで伸びた長身であることに違いはないが、ターンアラウンドジャンパーやフェイダウェイも決めるシュート力にも定評があった。

 最終学年でチームは30戦全勝を達成。多くの大学から勧誘が届く一方で、卒業後に直接NBA入りするのではとの噂もあった。なかでもフィラデルフィア・セブンティシクサーズが熱を上げており、カートライトか、同じく高校生だったダリル・ドーキンス(元シクサーズほか)のどちらかのドラフト指名を検討していたという。しかし、大学進学を望んだ母親の願いを聞き入れ、サンフランシスコ大へと進路を決める。
  同大ではフォワードのジェームズ・ハーディ(元ユタ・ジャズ)とともにチームを牽引すると、2年時には29連勝を記録し、全国ランキング1位の座に君臨。カートライトとハーディのコンビは、大学の偉大な先輩ビル・ラッセルとKC・ジョーンズ(ともに元ボストン・セルティックス)の再来とまで言われた。

 NCAAトーナメントでは2度にわたってスウィート16で敗れ去ったものの、在学4年間で平均19.1点、10.2リバウンド、さらに通算2116得点の学校記録も樹立。そして母の望み通り、社会学の学位も手に入れた。
 ■2人のスターに隠れながらも、新人王に匹敵する活躍を披露

 満を持して臨んだ1979年のNBAドラフトでは、全体3位指名を受けてニューヨーク・ニックスに入団。当時のヘッドコーチ(HC)だった名将レッド・ホルツマンは、ビッグマン離れしたシュート力を見込んでカートライトを中心にした戦術を取り入れる。

 その結果、1年目から平均21.7点、8.9リバウンドの活躍を見せ、オールスターにも選出。不運にもこの年はマジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)とラリー・バード(元セルティックス)のルーキーイヤーと重なり、2人の陰に隠れてしまったが、「普通の年だったらカートライトが新人王を獲っただろう」とも言われた。

 プレーはもちろん人間性にも優れていたカートライトに対し、1982〜86年にニックスのHCを務めたヒュービー・ブラウンは「プロフェッショナルという点ではNBAでも5本の指に入る。いつでも全力を尽くし、練習にも遅れず、コーチ批判も一切しなかった」と高く評価。知的で洞察力に富み、音楽とチェスを愛し、寡黙で感情を表に出さない彼は、ロッカールームでも一目置かれる存在だった。

「いつでも勝つために必要なことをする。オープンの選手がいればパスをするし、シュートを打つ必要があればそうするまでだ」

 だがそう本人が語ったように、エゴのなさ、そして適応能力の高さが逆に仇となる。指揮官たちの要求に応えようとするあまり、カートライトは自身のプレースタイルを見失ってしまったのだ。
 「時にはスコアラー、またある時はリバウンダー。インサイドでプレーしていたかと思えば、いきなりアウトサイドへ回ってくれとも言われた」

 元ニックスのマイク・グレンは「レッドがコーチのままだったら、彼はリーグ屈指のスコアラーになれただろう」と語っているが、1年目をピークに平均得点は少しずつ下がっていった。
  また、起用法だけでなく故障にも苦しめられる。左足の疲労骨折で1984−85シーズンを全休すると、翌年も2試合に出ただけで再び同じ箇所を負傷。ファーストネームに因んだニックネームは、入団当初は“ダラー・ビル(ドル紙幣)”だったのが、いつしか“メディカル・ビル(医療費の請求書)”に変わっていた。(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年5月号掲載原稿に加筆・修正。

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