家族思いのピュアシューター、ジェフ・ホーナセックがフリースロー前の儀式に込めた秘密のメッセージ【NBA名脇役列伝・前編】

家族思いのピュアシューター、ジェフ・ホーナセックがフリースロー前の儀式に込めた秘密のメッセージ【NBA名脇役列伝・前編】

フリースローの前に頬を触るホーナセック特有の儀式は、子どもたちへのメッセージだった。(C)Getty Images

現役時代はリーグ屈指のピュアシューターとして鳴らしたジェフ・ホーナセックだが、ひとたびコートを離れれば、3人の子どもをこよなく愛する良き父親でもあった。それはフリースロー前のある儀式からも見てとれる。そこには息子たちに向けた秘密のメッセージが込められていた。

■自宅の裏庭で生み出された独自のハイアーチショット

 個性派揃いのNBAだけに、最も動きの少ないプレーであるフリースローにも、選手によって様々な特徴や癖がある。ジェイソン・キッドはかつてリムに向かって投げキスを送るのが恒例だったし、スティーブ・ナッシュはベロベロと手を舐め、ギルバート・アリナスはボールを腰の周りでぐるぐると回してからシュートを放った。

 今回の主人公ジェフ・ホーナセックの場合は、必ず右の頬を3回触ってからシュートを打つという独特の儀式で知られていた。これは3人の子どもへの、父からのメッセージだった。「テレビに映った時に手を振ってほしいと息子たちにせがまれていたけど、プレー中はできないからね。その代わりに、フリースローの時に秘密のシグナルを送っていたんだ」。

 子どもたちの写真で彩られたピローケースを長年使い続けるなど、よき家庭人だったホーナセックならではのエピソードと言える。
  ホーナセックがバスケット選手への道を歩んだのは、父親の影響が大きかった。父ジョンは地元シカゴの高校で35年にわたりバスケットのコーチを務め、教え子の中には後のNBAプレーヤーであるアイザイア・トーマスもいた。当然、息子たちも幼い頃からバスケットに親しみ、自宅の裏庭にはリングも設えられていたのだが、問題がひとつあった。庭に通っている電線が邪魔で、真正面からシュートが打てなかったのだ。

「シュートを決めるには、電線を越えて大きな弧を描くように打たなきゃならなかった。だから自然とシュートの軌道が高くなったんだ」。こうしてホーナセックの特徴的なハイアーチショットは生み出されたのである。

 高校卒業時にはシカゴで名の知れた存在だったホーナセックだったが、有力大学から声はかからず、一旦は紙コップの製造工場に就職する。その後、父の友人であるジョニー・オーの伝手を頼ってアイオワ州大へ進むが、それも奨学金のない“ウォークオン”としての入学だった。オーでさえ「彼が将来NBAで活躍するとは到底思えなかった」と振り返っている。
  だが、ホーナセックは気後れしなかった。「チームにはシカゴで顔見知りだった連中もいたから、自分の力がどの程度通用するかは把握できていた。チャンスさえ貰えればやれると思っていたよ」。

 その言葉通り、ホーナセックは高いバスケットIQを武器に頭角を現わすと、4年時にはアイオワ州大をNCAAトーナメントのスウィート16へと導いた。

「ジェフはリーダーであり、コート上のコーチでもあった。指導者が選手に求めるすべてのものを持っていた」とオーに称賛されるまでの存在となったホーナセックは、通算アシスト数のカンファレンス記録も塗り替えてみせた。

■KJとともに新生サンズの中心として位置づけられる

 NBAから声がかからなかった場合に備えて就職活動も行なっていたホーナセックだが、1986年のドラフト2巡目46位指名でフェニックス・サンズに入団する。1年目から控えの重要な戦力となるも、この頃はまだ後年のような正確無比のシューターではなかった。シュートを放つ際、左手に添えた指のせいで軌道が安定しなかったのだ。悩みの種になっていたこの悪癖を修正したのは、意外な人物だった。シュート練習に付き合っていた妻のステイシーである。

「フォロースルーの時にバスケットを指差してみたら?」との助言に従ったところ、ちゃんと意図した方向へボールが飛ぶようになったのだ。その甲斐あって、2年目は開幕から先発として起用されると、FG成功率が5割を超えただけでなく、アシストとスティールでもチーム最高の成績をマークする。
  ただ、当時のサンズは、主力選手の多くがドラッグの悪習に染まっていて、根本からチームを作り直す必要があった。そこで新星サンズの中心に位置づけられたのが、頭脳明晰かつ品行方正で人当たりの良いホーナセックと、敬虔なクリスチャンだったケビン・ジョンソン(KJ)だった。KJが正司令塔となってからシューティングガードに固定されたホーナセックは、89−90シーズンはガードとしてはリーグトップのFG成功率53.6%の高確率を叩き出した。

「敏捷でもなければ強靭でもなく、ジャンプ力もない。でもコーチが求めることは何でもこなすし、何より難しいシュートを決められる」

 KJが語る通り、ホーナセックの最大の魅力はシュートの正確さと、そのレパートリーの豊富さだった。ジャンパー、フェイダウェイ、フックシュート……場面に応じて適切なシュートを瞬時に選択できたのは、普段からあらゆる状況を想定しながら練習をしてきた努力の賜物と言えた。

 92年には自己最高の平均20.1点をあげオールスターに初選出される。だが、サンズのジャージーを着て戦ったのはこの年が最後となった。シーズン終了後にチャールズ・バークレーとの3人の交換要員の1人として、フィラデルフィア・セブンティシクサーズへの移籍が決まったのだ。

 さらにその1年半後、今度はユタ・ジャズへトレード。子どもの頃、シカゴ・ブルズのスターだったジェリー・スローンのプレーを見て育った彼は、そのスローンがHCを務めるチームへの移籍を喜んだ。(後編へ続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年8月号掲載原稿に加筆・修正。

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