新垣比菜を育てた宮里藍への憧れと”同期”の相乗効果。アマチュア時代に見せた輝きを取り戻せば…【黄金世代の歩み】

新垣比菜を育てた宮里藍への憧れと”同期”の相乗効果。アマチュア時代に見せた輝きを取り戻せば…【黄金世代の歩み】

新垣の今シーズンの目標は、2年ぶりのツアー2勝目と賞金ランキングでの初のトップテン入りだ。(C)Getty Images

黄金世代で最初に世間の注目を集めたのは、15歳でツアー初優勝を飾った勝みなみだが、ゴルフ界の注目を集めたのは新垣比菜だった。11年のダイキンオーキッドレディスに12歳と74日で出場。小6ながら、大会の予選会を突破しての本戦出場を決めたのだ。残念ながら予選通過はならず、ラウンド後は悔し涙を流していたが、その初々しいプレーぶりは多くのギャラリーから拍手を浴びていた。

 新垣が初めてクラブを握ったのは、8歳のときだ。当時活躍していた宮里藍に憧れたのがきっかけだった。これは新垣に限らず、黄金世代の選手に共通する部分でもあるが、同じ沖縄県出身ということもあり、その思い入れはかなり強かった。「いつかは自分も宮里のように世界を舞台に活躍したい」と夢を描きながら練習に明け暮れたことで、2年後には沖縄のジュニア大会で優勝を飾っている。
  その後も、新垣は順調に成長し、ダイキンオーキッドレディスでは中2から高3まで5年連続でベストアマに輝き、小6で出場したときのリベンジを果たしている。圧巻だったのは高2だった15年のシーズンだ。ステップアップツアーの開幕戦であるラシンク・ニンジニア/RKBレディースで2位以下に4打差をつけて優勝を飾る。いくら下部ツアーとはいえ、プロの試合でなかなか勝てるものではない。その実力を証明するかのように、夏場に開催されたサマンサタバサレディース、センチュリー21レディス、大東建託・いい部屋ネットレディスの3連戦で、なんと9位タイ、6位タイ、7位タイと3週連続でトップテンに入って見せたのだ。

 アマチュアとしては史上初の快挙だったが、本人はさほど驚いた様子でもなかった。大東建託・いい部屋ネットレディスでは、最終日最終組でのラウンドだけに、さぞかしプレッシャーがかかったのかと思いきや、「トップと1打差になったときはもしかしたら勝てるかなと思いましたが、あと一歩届かなかったですね。意外と緊張せず、最終組の雰囲気を味わえて楽しかったです」と笑顔を見せたほどだ。ただ、同組で回った原江里菜やアン・ソンジュをオーバードライブするなど、改めてポテンシャルの高さを周囲に印象づけた試合ではあった。
  アマチュア時代に唯一不調だったといえば、高3になった16年だろう。新垣にとって大きな武器だったドライバーショットが左右に曲がり始めたのだ。当然のようにスコアメイクに支障が生じるため、曲がるのを嫌ってインパクトでクラブフェースを合せるような打ち方をしたが、飛距離が落ちてしまう。「このまま立ち直れないのでは」という不安に襲われたが、それを打ち消すためにひたすらボールを打ち込んだ結果、8月の日本ジュニアを制するまでに復活している。
  翌17年に行われたプロテストでは周囲の期待どおり一発合格を果たし、プロの仲間入りを果たした新垣。最終予選会では45位と今一つだったが、翌18年は出場6試合目となったサイバーエージェントレディスでついに念願のツアー初優勝を飾る。勝、畑岡奈紗に続く黄金世代3人目のツアー優勝者となったが、「勝さんや畑岡さんはまだまだ上の存在です。でも同世代に上手な選手がいて本当によかったです。もっと頑張ることができますからね」と、同期の相乗効果を語っていた。ある意味、黄金世代が強い秘密はここにあるのかもしれない。

 19年はさらなる飛躍が期待された新垣だが、未勝利に終わっただけでなく、賞金ランキングも前年の23位から27位に落とした。ドライビングディスタンスも下がり、240ヤードを割ったことは少し寂しい。今年のオフは体幹を中心に鍛えるトレーニングを行い、飛距離アップに成功したという言葉を信じたいところだ。今シーズンの目標は2年ぶりのツアー2勝目と賞金ランキングで初のトップテン入りという新垣。アマチュア時代に見せた輝きを取り戻すことができたなら、あっさりとその目標をクリアするに違いない。

取材・文●山西英希

著者プロフィール/平成元年、出版社に入社し、ゴルフ雑誌編集部所属となる。主にレッスン、観戦記などのトーナメントの取材を担当。2000年に独立し、米PGAツアー、2007年から再び国内男子、女子ツアーを中心に取材する。現在はゴルフ雑誌、ネットを中心に寄稿する。

【PHOTO】”黄金世代”きっての美女ゴルファー新垣比菜の厳選ショット!

関連記事(外部サイト)