「私たちは真のチームだった」殿堂入り選手のドレクスラーがライバルのジョーダンに"反論"?

「私たちは真のチームだった」殿堂入り選手のドレクスラーがライバルのジョーダンに"反論"?

ドレクスラー(右)率いるブレイザーズは90、92年にファイナルへ進出。優勝には手が届かなかったが、選手層が厚く、90年から3シーズン連続で55勝以上をあげる好チームだった。(C)Getty Images

“神様”マイケル・ジョーダンを中心に、シカゴ・ブルズが最後に優勝した1997−98シーズンに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』が放映され、1990年代にスリーピート(3連覇)2回を達成して王朝を築いた偉大さが改めて称えられた。

 しかし、ブルズ前期3連覇(1991〜93年)時にしのぎを削り、1992年にはファイナルで対戦した殿堂入り選手のクライド・ドレクスラーは、当時所属していたポートランド・トレイルブレイザーズも称賛に値するチームだったと主張している。

 1983年のドラフト1巡目14位指名でブレイザーズ入りしたドレクスラーは、ルーキーイヤーこそ控え起用だったが、2年目のシーズン途中からスタメンに定着。1986−87シーズンには平均21.7点を叩き出すと、以降は6年連続で平均20点以上をあげるなど不動のエースにのし上がった。

 ドレクスラーを中心としたブレイザーズの最盛期は、1989−90シーズンからの3年間だろう。シュート力に優れた司令塔のテリー・ポーター、インサイドを支えたバック・ウィリアムズとケビン・ダックワース、豪快なダンクと中距離ジャンパーを売りとしたジェローム・カーシー、スーパーサブのクリフォード・ロビンソンとタレントがズラリ。マジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズ、ジョン・ストックトン&カール・マローン擁するユタ・ジャズ、デイビッド・ロビンソンが中軸を担うサンアントニオ・スパーズと、強豪ひしめくウエストで3年連続カンファレンス決勝進出。そのうち2度はファイナルまでたどり着いた。
  90年は“バッドボーイズ”ことデトロイト・ピストンズ、92年はジョーダン率いるブルズにファイナルで敗れて涙を呑んだが、7人が平均2桁得点をマークした90−91シーズンの63勝は今もフランチャイズ記録として刻まれている。

 当時リーダーだったドレクスラーは「USAトゥデイ」で、ウィリアムズのポストでの存在感と身体能力を「リーグでベストの攻撃的センターの1人」と評価。ポーターについても「最高の3ポイントシューターの1人」と称えるとともに、自分たちは十分な評価を受けていないと主張した。

「あの時代のNBAでファイナルにたどり着くためには、本当に、本当に良いチームでなければいけなかった。3年間、常に上手くケミストリーを構築できて幸運だったし、タイトルを獲得する絶好のチャンスだった。私たち(89〜92年のブレイザーズ)は真のチームだった」
 『ザ・ラストダンス』では92年のNBAファイナルの模様も描写され、ジョーダンは当時ライバルと言われていたドレクスラーに対して、「クライドが脅威じゃなかったとは言っていない。でも、彼と比較されるのは腹が立った」と発言したことも注目を集めた。これに対してドレクスラーは、『SportsTalk 790』で静かに“反論”している。

「マイケルのドキュメンタリーだから、当然彼の視点からのものになる。誰もが自分の意見を受け入れる権利がある。多くの場合、他のチームから来た選手などはお互いに嫌い合っていたりするけど、年を重ねることでそれを乗り越える。一緒に戦った仲間や、対戦した相手に愛と敬意を払うものさ」
 「バスケットボールはチームスポーツだ。1人で戦うわけじゃない。1人で50得点、40リバウンドを記録することはできるけど、試合に負けたら他のチームの全員よりも劣っているか。それもまた違う。だから、私はみんなが個人の争いのように振る舞うのは好きじゃない。私は一晩に35本シュートを打ったり、20本のフリースローを得たりしなかったし、40得点をあげるつもりはなかった」

 あくまで“チームとしての美学”を説いたドレクスラー。もし、当時のメンバーで一度でもタイトルを手にしていたら、その評価はまた違ったものになっていたかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

【PHOTO】引退後もその影響力は絶大!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの”神様”マイケル・ジョーダン特集
 

関連記事(外部サイト)