NBAでの2度の優勝を経て、欧州屈指のプレーヤーとなったノリス・コールの物語

NBAでの2度の優勝を経て、欧州屈指のプレーヤーとなったノリス・コールの物語

行く先々でチームを国内優勝に導いてきたコール。新天地となったフランスのアスヴェルでは、悲願のユーロリーグ制覇を果たすことができるか。(C)Getty Images

6月3日(日本時間4日、日付は以下同)、トニー・パーカー(元サンアントニオ・スパーズほか)が会長を務めるフランスリーグのアスヴェルは、かつてマイアミ・ヒートでレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)らとともに2度のNBAチャンピオンを勝ち取ったポイントガード(PG)、ノリス・コールと2年契約を結んだことを発表した。

「彼の実力は、NBAやユーロリーグ、そしてジープ・エリート(フランスの国内リーグ)でも証明済みだ。彼はあらゆる状況に対応できる術を知った選手で、我々のオフェンスを牽引するリーダーとなってくれることだろう」とパーカー。強力なメンバーの獲得に、喜びを隠しきれない様子だった。

 今季、コールはアスヴェルと同じフランスリーグのASモナコに所属。同球団はコロナ禍でシーズンが中断された時点で、アスヴェルと同率でリーグ首位に立っていた国内の強豪の一角であり、そこでコールはともにチームベストの平均14.3点、 4.5アシストをマークしていた。
  現役時代はユーゴスラビア代表でガードとしてプレーし、現在はモナコを指揮するサシャ・オブラドビッチHC(ヘッドコーチ)も「彼が加わった途端に、チームはガラリと変わった。ゲームの流れを読む力、ベストのオプションを選択できる状況判断力、そしてチームに貢献しようという献身さ。彼には周りの選手たちに影響を与える力がある」と絶賛していただけに、チームのベストプレーヤーを引き抜かれたのは大きな痛手となったに違いない。

 ただ、アスヴェルへの移籍により、来季のコールはモンテネグロのブドゥチノスト・ヴォリで参戦した2018−19シーズン以来、2年ぶりにユーロリーグの舞台に立つことになる。

 ユーロリーグの出場枠拡大に伴いワイルドカードをゲットしたアスヴェルは、今季10年ぶりに欧州最高峰のリーグに参戦。序盤は強豪CSKAモスクワ(ロシア)を破るなど善戦したが、年明けからは6連敗と低迷し、28節で中断した時点では15位と、プレーオフ出場圏内から完全に脱落していた。その意味でも、彼らにとって今回のリーグ打ち切りは体制を立て直すいい機会となっただろう。
  アメフトでも奨学金をオファーされたほどの万能アスリートだったコールは、2011年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズから1巡目28位で指名を受ける。しかしすぐにミネソタ・ティンバーウルブス、そしてマイアミ・ヒートへとトレードされるなど、いきなりチームを転々とする幸先の悪いスタートに。しかし本人ものちに「一番いい状況がやってきた」と振り返ったように、レブロン・ジェームズ、ドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュの“ビッグ3”が君臨していた最強ヒートでルーキーイヤーを迎えたことで、結果的に2度のリーグ制覇を経験する幸運に授かることができたのだ。

 マリオ・チャルマーズのバックアップとして、1年目は平均6.8点とまずまずの数字をマーク。“ウェイドとのパス交換からレブロンへのアリウープをお膳立て”といった、なんとも豪華なコンビプレーも経験している。

「トッププレーヤーたちと毎日一緒に練習できる。それを、キャリアの駆け出しの時に体験できたのは、本当にすごいことだった。NBAで望みうる最高の出来事であるチャンピオンシップ獲得を、2度も味わえたんだからね」
  当時をそう回顧したコールだが、キャリア4年目の2014−15シーズン途中にニューオリンズ・ペリカンズへと放出されると、翌年は自己ベストの平均10.6点を記録。にもかかわらずオフに新たな所属先を見つけることができず、中国リーグの山東ゴールデンスターズと契約した。

 しかし異国の地では9試合プレーしたのみで、2017年3月にNBAに復帰。オクラホマシティ・サンダーの一員としてプレーオフにも出場したが、結果として現時点ではこれがNBAでのラストイヤーとなっている。

 2017−18シーズン、戦いの場をヨーロッパに移したコールは、マッカビ・テルアビブ(イスラエル)に所属しユーロリーグに初参戦。翌18−19シーズンはイタリアリーグのスカンドーネに移籍し、FIBAヨーロッパが主催するバスケットボール版チャンピオンズリーグに出場すると、平均16.1点、4.4リバウンド、6.6アシストとMVP級の活躍を披露した。
  しかしクラブの財政破綻により退団を余儀なくされ、16年ぶりのユーロリーグ出場で補強に積極的だったブドゥチノスト・ヴォリに加入。シーズン途中、しかもチーム合流からわずか数日でのデビューとなったが、そのバイエルン戦でゲームハイの27得点、6アシストと、元NBAチャンピオンの実力を遺憾なく見せつけた。

 マッカビではリーグ優勝、ヴォリでもリーグとカップの2冠を達成。マイアミでの2連覇に始まったコールのキャリアは、どうやらトロフィーに縁があるようだ。

 ヒート退団後は短期間でチームを転々としているが、そんな状況にも、「俺は大好きなスポーツをやって生きている。“自分は恵まれている”ということを、常に忘れないようにしているんだ」と地に足がついている。
  ヒート時代の仲間たちとはいまだに連絡を取り合っており、特に仲が良いウェイドは、「俺たち2人の間には、特別なものがある」と話す。つい先日のポッドキャストでも、ヒート時代に「ハーフコートからシュートを決めたら俺のポルシェの鍵をやる」というウェイドからの賭けの申し出に、コールが見事に勝って実際にポルシェを貰い受けたとのエピソードを、2人で和やかに語っていた。

 また、ともにオハイオ出身で同郷のレブロンとも、自宅に招かれるほどの関係性を築いていた。コールはヒート時代の先輩たちにとって、かわいい弟分だったようだ。

「俺は、自分のクラブやチームメイトたちにインスピレーションを与える選手になりたい。そして、バスケットボールを通じてみんながひとつになれたら良いと願っている。それが俺のモチベーションだ。神様が自分に与えてくれた力を最大限に使ってね」

 クリーブランド州大でチーム史に名を刻み、永久欠番になっている背番号30は、その後も背負い続けている彼のラッキーナンバーだ(ヴォリ時代はすでに使用者がいたため3を着用)。来季はユーロリーグの舞台で、元気にコートを駆け回る“30 COLE”を観ることができるだろう。

文●小川由紀子

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