ストックトンやハワードが背負った12番の系譜。ジョーダンも1試合限定で着用【NBA背番号外伝】

ストックトンやハワードが背負った12番の系譜。ジョーダンも1試合限定で着用【NBA背番号外伝】

かつてはストックトン(左)をはじめとするPGが背負っていた12番。現在はハワード(右)のようなビッグマンも付けている。(C)Getty Images

現代のNBAでは、背番号12はビッグマンのイメージが強い。最優秀守備選手賞3度のドワイト・ハワードは、プロ入りから8年間を過ごしたオーランド・マジック、その後ロサンゼルス・レイカーズ、ヒューストン・ロケッツ、シャーロット・ホーネッツで12番。その理由は3つあって、まず12月生まれであること、父親がかつてこの番号でプレーしていたこと、そしてもうひとつが、憧れの選手だったケビン・ガーネットのミネソタ・ティンバーウルブズ時代の背番号21を逆にした、というものだ。7年ぶりにレイカーズに戻った今季は12ではなく39番をつけている。

 ラマーカス・オルドリッジはテキサス大では23番だったが、ポートランド・トレイルブレイザーズ入団時にダリアス・マイルズがつけていたため、高校まで背負っていた12番を選択。サンアントニオ・スパーズへ移籍してからもこの番号を継続している。

 オクラホマシティ・サンダーの守備の要であるスティーブン・アダムスも最初からずっと12番。ミルウォーキー・バックスなどでは6番だったアンドリュー・ボーガットは、ゴールデンステイト・ウォリアーズ時代は6×2で12番を背負っていた。一昔前では、ヨーロッパ出身の選手として初となる平均ダブルダブルをマークしたブラデ・ディバッツも、レイカーズとホーネッツ在籍時に12番だった。
  オールドファンにとっては「12番=ガード選手」というイメージが強いはずだが、その代表がジョン・ストックトンだろう。通算アシスト、スティールの両部門で史上1位に輝く名司令塔は、ゴンザガ大からユタ・ジャズ入団後も一貫して背番号12。卒業後、20年間ゴンザガ大では12番の着用選手がおらず、事実上の欠番扱いだったが、2004年に正式に認定され、同年秋にはジャズでも欠番になっている。

 PGの12番では、現役では今季の新人王レースをリードしているジャ・モラント(メンフィス・グリズリーズ)がすぐに思い浮かぶ。中学校からずっと12番だったモラントは、今季グリズリーズに入団すると、昨季の12番だった渡辺雄太から馴染みの番号を譲ってもらい感謝していた(渡辺は18番に変更)。現役ではジョー(ブルックリン・ネッツ)とトバイアス(フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)の両ハリスも12番の好選手だ。
 2000年代では守備職人のブルース・ボウエンがこの番号をつけていた。身体能力は人並みながら、頭脳プレーでその不足分を補っていた点はストックトンと共通している。ボウエンはエースキラーとしてスパーズの3度の優勝に貢献。引退からわずか3年で同球団の永久欠番になった。
  頭脳派と言えば、マイアミ・ヒートの球団社長パット・ライリーも現役時代は12番だった。9年のキャリアで平均2桁得点をマークした年は1度しかなく、選手として一流とは言い難かったが、HCとしてはレイカーズを4度、ヒートをチーム史上初のチャンピオンに導き、通算1210勝は史上5位の好成績だ。通算1042勝で同9位のリック・アデルマンも現役時代は主に12番。4球団でHCを務め、91年にロケッツで最優秀コーチ賞を受賞したドン・チェイニーは、ライリーがレイカーズを退団した際、12番を譲り受けた。また、70〜80年代に人気を博した名選手ピート・マラビッチの実父で、大学で30年近くもコーチを務めたプレス・マラビッチも、選手としてプレーした唯一のシーズン(47年)に12番をつけていた。

 12番の永久欠番はストックトン、ボウエンのほかに3人いる。モーリス・ストークスは病気のためにNBAでは3年しかプレーできなかったが、56年に新人王、3年連続オールスターに選ばれ、シンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)の欠番に。オスカー・ロバートソンが大学時代に背番号12だったのも、ストークスに憧れていたからだそうだ。前述のディバッツがキングスに移籍した際、12番から21番に変えたのはストークスの欠番だったためである。
  ニューヨーク・ニックスのディック・バーネットは70年の初優勝時にウィリス・リード、ウォルト・フレイジャーに次ぐ第3の得点源としてチームを支えた。もう1人はデンバー・ナゲッツなどで46回もトリプルダブルを達成した万能選手ファット・リーバーで、3年前に12番で5人目の欠番になっている。

 そのほか著名な12番を年代順に挙げていくと、58年の得点王で殿堂入りもしているジョージ・ヤードリー、ブレイザーズのダンク王として短期間ながら強烈な印象を残したビリー・レイ・ベイツ、80〜90年代にダラス・マーベリックスの主力だったデレク・ハーパー。01年から4年間、リーグの選手会長を務めたマイケル・カリー、シカゴ・ブルズの先発PGカーク・ハインリック、5球団で12番を背負った守備職人ルーク・バー・ア・ムーテといったところか。

 実はマイケル・ジョーダンも、90年2月14日のマジック戦で1試合限定ながら12番を着用している。これは試合前に23番のジャージーを盗まれ、チームが急遽用意したものだったが、その影響をまったく感じさせず、ゲーム最多の49得点を叩き出してみせた。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2013年11月号掲載原稿に加筆・修正。

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