【NBA背番号外伝】ノビツキーやアンセルドが背負った41番。過去の着用者にはある共通点も

【NBA背番号外伝】ノビツキーやアンセルドが背負った41番。過去の着用者にはある共通点も

ノビツキ−(左)を筆頭に多くの名選手が着用した背番号41の歴史を掘り下げる。(C)Getty Images

■唯一の欠番はアンセルド、最大のスターはノビツキー

 これまで背番号41でプレーしたことがある選手は107人いる。このうち永久欠番になっているのは1人だけだが、着用者の特徴は見た目以上に器用な選手が多い点だ。

 今のところ唯一の欠番選手であり、先頃74歳で亡くなったウェス・アンセルドがまさにそのタイプだった。身長201cmとセンターとしては小柄ながら、上背の不足を補って余りある横幅と強靭なフィジカルが武器で、スクリーンプレーでピックをかけた時はどんなに押されても微動だにしなかった。そんな体格でありながらパスが上手く、ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)一筋13年間で積み上げた通算3822アシストは、センターでは史上5位。1969年には新人王とMVPの同時受賞を果たしている。
  アンセルドのデビューから1年後、コイントスに敗れルー・アルシンダー(=カリーム・アブドゥル・ジャバー)を指名できなかったフェニックス・サンズが、2位で獲得したのがニール・ウォーク。バスケIQが高く、72−73シーズンに平均20.2点、12.4リバウンド、3.5アシストの好成績を残した。アンセルドに負けず劣らずの肉体派のビル・レインビアは、デトロイト・ピストンズ時代に着用していた40番のイメージが強いが、プロ入りして最初の2年間を過ごしたクリーブランド・キャバリアーズでは41番。ラフプレーの常習犯で、アウェーでは常にブーイングを浴びるなど、リーグきっての嫌われ者だった。その一方で頭の切れる選手でもあり、当時のセンターとしては珍しく3ポイントを多用し、90年のファイナル第2戦では6本を沈めている。

 史上最高の41番として名高いダーク・ノビツキーも、ビッグマン離れしたシュート力が持ち味だ。もともとは14番を着用していたがダラス・マーベリックス入団時にロバート・パックが着用していたため、ひっくり返して41とした。21年のキャリアをマブズ一筋で過ごし、2011年にチームを優勝に導いたフランチャイズプレーヤーは、来年にも41番で2人目の欠番入りとなる予定だ。
  ノビツキーと同様、サム・パーキンスも14が埋まっていたため41をチョイス。マブズに入団して最初の2年間が41番で、90年にロサンゼルス・レイカーズへ移籍してから引退まで14番で通した。彼もまたセンター並みの長身ながら、3ポイントが得意技だった。主にユタ・ジャズで活躍したサル・ベイリーや、現役組ではケリー・オリニクも同じカテゴリーに分類される。現在はマイアミ・ヒートで背番号9のオリニクは、ボストン・セルティックス時代に41番だったが、ノビツキーとは関係なく「(永久欠番の多い)セルティックスでは空いている番号が少なかったから」だそうだ。

 41番のビッグマンはほかに、ラサール・トンプソン、マーク・ウエスト、エルデン・キャンベル、コスタ・クーフォスなど。現役ではウィリー(シャーロット・ホーネッツ、現在は9番)とファン(ミネソタ・ティンバーウルブズ)のエルナンゴメス兄弟もいる。

 アンセルドの入団前にブレッツの41番だったジム・“バッド・ニュース”バーンズは64年のドラフト全体1位指名ながら、7年間で平均8.8点、6.5リバウンドと大成できなかった。シカゴ・ブルズ3連覇時(91〜93年)のセンターとして有名なウィル・パデューは、サンアントニオ・スパーズ移籍後に32番から41番に変更、99年に4つ目のリングを獲得した。ウルブズのエディ・グリフィンは、亡くなった兄弟がつけていた番号である41番を背負っていたが、自らも07年に25歳の若さで飲酒運転により事故死した。長くレイカーズGMを務め、現在はホーネッツで同職にあるミッチ・カプチャックは、ブレッツ時代はアンセルドの控えで背番号25。レイカーズに移籍した81−82シーズンに41番に変え、翌年には25に戻している。
  90年代後半にノビツキーが登場するまで、41番の代表格だったのがグレン・ライスだ。ヒート創設時のエースで、95年に記録した1試合56得点は球団史上2位。ホーネッツ時代は3年連続でオールスターに選ばれ、97年には大会MVPに輝いた。在籍6球団すべてで41番を貫き、ミシガン大では永久欠番になっている。99年にライスがレイカーズにトレードされた際、交換要員となったのが前述のキャンベルで、珍しい41番同士のトレードになった。息子のグレン・ライスJr.は13年のウィザーズ入団時、41がアンセルドの欠番だったため14に変えている。

 75年にゴールデンステイト・ウォリアーズで新人王に選ばれたキース・ウィルクスも、当時は41番。その後イスラム教に改宗し、名前もジャマール・アブドゥル・ラティーフに変わったが、選手登録はジャマール・ウィルクス。レイカーズ移籍後は背番号52で、ショータイムバスケットの一翼を担った。そのほか、ピストンズ在籍時の80年代前半に強烈なブロックで名を馳せたテリー・タイラー、セルティックスが08年に優勝した際、控えから渋い活躍でチームを支えたジェームズ・ポージーもこの番号だった。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2015年5月号掲載原稿に加筆・修正。

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