主役級は不在も、名バイプレーヤーを数多く輩出した“脇役の豊作年”【NBAドラフト史|1988年】

主役級は不在も、名バイプレーヤーを数多く輩出した“脇役の豊作年”【NBAドラフト史|1988年】

5位指名のリッチモンドは、入団1年目から10シーズン連続で平均20点以上を記録。88年組で唯一殿堂入りを果たしている。(C)Getty Images

■最大の実力者リッチモンドにも脇役感が漂う脇役の豊作年?

 1988年のドラフト組を一言で表わすなら、「脇役の豊作年」といった感じだろうか。それも、記憶に残る愛すべき名脇役を数多く輩出している。

 この年のドラフト組を象徴し、出世頭でもあるミッチ・リッチモンドは、キャリアを通じて主役級の活躍を見せた唯一の存在であり、殿堂入りも果たした往年の名選手だ。バスケットボールの腕前も突出しており、かのマイケル・ジョーダンに「ディフェンスするのが最もタフなSG」と言わしめた実力者でもある。

 だが、弱小球団を渡り歩いたせいか、バリバリの主役感?は薄い。温厚な人柄も相まって、主役選手にありがちなギラついた感じやイケイケ感もなく、堂々の主役というよりは超凄腕の名脇役?的な雰囲気を常に漂わせていた。

 他にも、リック・スミッツ、ダニー・マニング、チャールズ・スミス、ダン・マーリー、レックス・チャップマン、ロッド・ストリックランド、ブライアン・ショウ、スティーブ・カーなど、主役になりきれず脇役に甘んじた選手や、生涯一脇役?、脇役のプロ?的な、とびきり印象深いバイプレーヤーを多数世に送り出している。
  また、ヴァーノン・マックスウェルやアンソニー・メイソンなど、頭のネジが完全に緩んでいる選手ですら、無茶苦茶な面は多分にあったものの、どこか憎めない愛すべき名脇役として1990年代のNBAシーンに彩りを添えた。1988年組の脇役選手が成し遂げた成果や、エピソードの数々をまとめるだけで、一冊の本が出来上がるだろう。

 偶然にしてはあり得ないくらい、数多くの名脇役を輩出した1988年のドラフト組。前年の1987年は歴代有数の当たり年とされ、デイビッド・ロビンソンやレジー・ミラー、スコッティ・ピッペン(超名脇役とも言えるが)、ケビン・ジョンソン、レジー・ルイスなど、いろいろな意味でNBA史に名を刻んだ主役級選手を何人も輩出しているだけに、リーグ内のバランスを取るべく、バスケットボールの神様が調整を加えたのだろうか。

■リバウンド王と新人の交換に騒然となったドラフト会場

 プレーオフ進出を逃した全チームに対し、1位指名権獲得のチャンスを均等に与えるというロッタリーシステムが採用されたのは、1985年のことだった。カレッジ界のスーパースター、パトリック・ユーイングの獲得競争を緩和させるために導入されたのだが、その制度にも問題点が浮上し、1990年からは確率調整システムが導入されている。
  1988年のドラフトロッタリーで用意された封筒は、ウォリアーズ、ペイサーズ、クリッパーズ(2枚。1枚はキングスから)、ネッツ、シクサーズ、サンズの計7枚。NBAコミッショナーのデイビッド・スターンが最初に引いた封筒から出てきたのは、クリッパーズのロゴが描かれたカードだった。確定した指名順は、1位クリッパーズ、2位ペイサーズ、3位シクサーズ、4位ネッツ、5位ウォリアーズ、6位クリッパーズ、7位サンズ。

 6月28日、ニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン内にあるフェルト・フォーラムで、1988年NBAドラフトは開催された。時代背景的には、そのちょうど一週間前に行なわれたNBAファイナル第7戦において、マジック・ジョンソン率いるレイカーズとアイザイア・トーマスのピストンズが死闘を演じ、レイカーズが2連覇を果たしている。また、レギュラーシーズンMVPを受賞したのは、プロ4年目の若武者マイケル・ジョーダン。自身初のMVP獲得だった。

 1位指名権を持つクリッパーズは、指名選手の名前を事前に公表していた。直前のNCAAトーナメントで、カンザス大を優勝に導いたマニングである。身長208pのPFは、4年時に平均24.8点、9.0リバウンドを記録し、最も権威があるとされるジョン・ウッデン賞とネイスミス賞の両アウォードを受賞。2年連続リーグ最下位の座に甘んじ、2シーズンで計29勝しかしていないドアマットチームにとって、待望のエース候補だった。
  ドラフトの1か月前に開催されたロッタリーで、1位指名権の行方がクリッパーズに決まった瞬間、エルジン・ベイラーGMはあらかじめ準備していたマニングの新ユニフォームを披露している。この日も、ドラフト開始後にスターンが壇上で1位指名選手の選択を促してから28秒後には、指名選手の名前が告げられた(各チームの持ち時間は5分)。

 2位のペイサーズも、同じようにマリスト・カレッジ4年のスミッツを指名すると前もって明言していた。身長224pの大型センターは、その年のドラフト選手どころか、歴代NBA選手の中でも10番目(タイ)の高身長を誇る。オランダはアイントホーフェン出身のスミッツは、14歳でバスケットボールを始め、17歳で渡米を決意。ニューヨーク州の田舎街にある、バスケットボールではほぼ無名の大学に、奨学金支給要請の手紙を自らしたためたという一風変わった経歴を持つ。大学時代につけられたニックネームはダンキン・ダッチマン?。

 ビッグマンにしては非常に柔らかいシュートタッチを持ち、4年時の成績は平均24.7点、8.7リバウンド、3.9ブロック、FG成功率62.3%。GMのドニー・ウォルシュは『ワシントン・ポスト』紙とのインタビューで、「20年に1人の選手。ユーイングやアキーム・オラジュワン、ジョーダン、ラリー・バード、マジックといった選手とのトレードオファーなら、聞く耳を持ってもいい」と豪語するなど、ペイサーズ首脳陣はスミッツのサイズと能力にすっかり惚れ込んでいた。
  3位のシクサーズは、ピッツバーグ大4年のPF、チャールズ・スミスを指名。続いて4位のネッツはオーバーン大4年のSF、クリス・モリスを、5位のウォリアーズはカンザス州大4年のSG、リッチモンドを、そして6位の指名権も持つクリッパーズは、ブラッドリー大4年のSG、ハーシー・ホーキンスをそれぞれ指名した。

 カレッジ史上有数の点取り屋であるホーキンスは、4年時に平均36.3点という驚異的な数字をマークして得点王を獲得。カレッジ界での評価は高く、この年はマニングと並ぶ3つの主要個人アウォードを受賞している。

 順調に進行していたドラフトにどよめきが起こったのは、15位の指名選手が選ばれた直後だった。突如スターンからトレードが発表されたのだが、ドラフト日にありがちな新人選手同士の交換ではなく、そのなかになんと直近シーズンのリバウンド王、マイケル・ケイジの名前が含まれていたのである。近年で言えば、2016-17シーズンに飛躍を遂げて自身初となるリバウンド王を手にしたブレイザーズ(当時はヒート)のハッサン・ホワイトサイドが、タイトル獲得の2か月後にドラフト選手とのトレードで放出されるようなもの。会場に衝撃が走るのも無理はなかった。

 クリッパーズのケイジは、プロ4年目にしてリーグのトップリバウンダーへと成長し、卓越したディフェンス力を武器に絶賛売り出し中の若手選手。1年目と2年目の平均リバウンド数は5本台だったが、3年目に11.5本、4年目には13.0本まで記録を伸ばしてリバウンド王を獲得した。
  無限の可能性を秘めたケイジという金脈を掘り当てたクリッパーズに対し、多くのチームが羨望の眼差しを向けるなか、彼の獲得を熱望し、密かに水面下で動いていたチームがあった。ソニックス(現サンダー)である。そしてドラフト前夜、シクサーズを絡めたプランがまとまり、ギリギリで合意に達したのだった。

 詳細は次の通り。まずシクサーズが3位でスミスを指名。4、5位指名の後、6位のクリッパーズはホーキンスを、15位のソニックスはミシガン大4年のゲイリー・グラントを指名した。その直後、トレードの成立がリーグに報告される。ソニックスはケイジ獲得の見返りに、グラントと翌年の1巡目指名権をクリッパーズに譲渡。そしてクリッパーズとシクサーズとの間で、6位指名のホーキンス+翌年の1巡目指名権と3位指名のスミスとのトレードが敢行された。

 リバウンド王ケイジの奪取を目論んだソニックス、点取り屋ホーキンスと翌年の1巡目指名権を欲していたシクサーズ、マニングとスミスの大型デュオを手に入れたかったクリッパーズ、それら3チームの思惑が重なり、現役リバウンド王を絡めた移籍劇が見事完結したのだった。

 このトレードに対し、ケイジ本人は「非常に大きなショックを受けた」と語っている。またトレードが発表された瞬間、1000人以上のクリッパーズファンが詰めかけていたロサンゼルスのホームアリーナでは、大ブーイングが巻き起こったという。
  12シーズン連続でプレーオフ進出を逃していたクリッパーズは(当時の歴代最長記録)、前のシーズンから指揮を執っていたジーン・シューHCの方針により、スピードを前面に押し出したチームに生まれ変わろうとしていた。守備の要であるケイジを失ったものの、活きのいい新人3選手を獲得することができたクリッパーズにとって、収穫の多いドラフトだった。

 だが、最優秀コーチ賞を2度受賞した経験を持つシューの手腕を持ってしても、クリッパーズを短期間で立て直すことは難しく、迎えた1988−89シーズンは38試合を終えた時点で10勝しかできず途中解雇。クリッパーズのプレーオフ連続不出場記録はその後15シーズンまで延び、その数字は歴代最長として記録リストに載っている。現在キングスが13シーズンで猛追中。

■現役引退後、別の世界で主役となったスミッツ

 ドラフトという新人にとって最も重要な一大イベントのトップニュースまで、現役選手に奪われた感のある1988年組。不憫と言えば不憫だが、彼らの引退後をリサーチしていた際、人生の第二幕で主役を務めている人物がいたので、ぜひご紹介したい。2位でペイサーズに指名され、同チームで12年間を過ごし、1999−00シーズンを最後に引退したリック・スミッツのその後がとにかく凄いのだ。
  彼が引退後に情熱を注いだのは、なんとバイク。それもヴィンテージのモトクロス車専門というマニアックな世界で、指折りのコレクターとして、またレーサーとして、その界隈では名の知れた人物になっていたのである。レースでは何度か優勝し、2017年まで住んでいたインディアナポリスの郊外にはダートコースまで造ったというからホンモノだ。現在はアリゾナに住んでいるという。

 スミッツがバイクに興味を持ち始めたのは7歳の時。盗まれた祖父の50tのバイクが、ダート仕様のバイクに改造された状態で発見されたことがきっかけだった。祖父からそのバイクを与えられたスミッツは、バイクいじりとダートでの走行にどっぷりとはまっていく。ところが、バスケットボールでアメリカへ渡ることになり、さらにNBAでは契約時にバイクの運転が禁止事項となっているケースが多い。スミッツは大好きだったバイクの趣味を封印せざるを得なかった。

 そして引退後、彼は堰を切ったようにヴィンテージバイクの世界にのめり込んでいく。インディアナポリス時代の自宅には広大なガレージが2つあり、多い時には160台のバイクを所有していた。なかには世界に数台しか現存しない、歴史的価値のある貴重なバイクも。

 現在ではモトクロスバイクのオークションを主催するまでに至り、全米からマニアが集まってくるという。ヴィンテージのモトクロスバイクというある意味特殊な世界で、スミッツは堂々と主役を張っているようだ。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2017年8月号掲載原稿に加筆・修正。

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