“永遠の悪ガキ”チャールズ・バークレー。84年五輪メンバー落選を巡る裏話【NBAレジェンド列伝・前編】

“永遠の悪ガキ”チャールズ・バークレー。84年五輪メンバー落選を巡る裏話【NBAレジェンド列伝・前編】

バークレーはパワーフォワードとしては小柄ながら、屈強な肉体と運動量を武器にリーグを席巻した。(C)Getty Images

身長190cm台であれば、NBAではガードのポジションを任せられるのが一般的だ。しかし、チャールズ・バークレーは2mに満たない身体でパワーフォワードを務めあげ、「神からもらった才能」と自負するリバウンドで、時代を代表する選手となった。キャリアを通じて数々の賞を手にしたバークレーだったが、頂点に立ったことは1度もなかった。だが、彼が唯一無二の特別な存在であることに疑いを持つ人はいないだろう。

■学生時代から高い志を持ち、毎日練習に明け暮れる

 1992年のバルセロナ五輪で初代ドリームチームが結成されてから、30年近くが経つ。プロ選手の出場が解禁になったこの大会で、初めてNBAに触れた人も多かったはずだ。バスケットボール界最高峰の選手たちの強さと華麗さは世界中に鮮烈な衝撃を与えたが、なかでもチャールズ・バークレーの印象は一際強烈だった。

 迫力満点のプレーに加え、海坊主のようなルックス、尊大でありつつも愛嬌のある態度やコメントが、彼がマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンらとは異なるタイプのスーパースターであることを証明していた。
  バークレーは、NBAのパワーフォワードとしては極めて背が低かった。公称198cmだったが実際は195cm。現代で言えばジェームス・ハーデン(ヒューストン・ロケッツ)やデビン・ブッカー(フェニックス・サンズ)と同じくらいだった。これでもまだ伸びたほうで、高校2年までは178cmしかなく、チーム入りできなかったほどである。「将来はプロの選手になる」と主張しても、級友たちは相手にしなかった。

「誰も俺にボールを回してくれなかった。シュートを打ちたけりゃ自分でボールを取るしかないから、必死にリバウンドの練習をしたんだ」

 小さいだけでなく太ってもいた。オーバーン大時代は体重128kg。漫画のような体型は嘲笑の的になった。ニックネームはピサならぬ“ピザの斜塔”。試合前に相手校の学生がピザの配達員に扮装し、バークレーのもとへ注文を取りに来たりもした。
  けれども、試合が始まれば笑うのはバークレーの方だった。体型からは想像もつかないスピードでコートを疾走してはシュートを決め、リバウンドを取りまくった結果、“ラウンド・マウンド・オブ・リバウンド”――リバウンドを取る丸い小山――という別のニックネームもついた。

 彼の試合を観たフィラデルフィア・76ersのアシスタントコーチ、ジャック・マクマーンは「ウェス・アンセルドの身体とジュリアス・アービングのジャンプ力を持つ男」と形容した。

 3年時にはオーバーン大を学校史上初のNCAAトーナメント出場に導き、カンファレンス最優秀選手に選ばれた。

 84年には、同年に開かれるロサンゼルス五輪のトライアウトに参加した。シカゴ・ブルズのGMとして見学に訪れていたロッド・ソーンが、その時の模様を振り返る。

「バークレーは何かに取り憑かれているようだった。ディフェンシブ・リバウンドを奪って、そのままコートの反対側までドリブルし続けダンクを決める。あんなプレーはジュリアス・アービング以外に見たことはなかった」
  トライアウト参加者のなかでも、ノースカロライナ大のジョーダンとバークレーの2人が頭ひとつ抜けているとして、関係者の意見は一致していた。

 だが、ヘッドコーチのボビー・ナイトは二次選考でバークレーをカットした。参加者の1人で、最終的にメンバー入りしたレオン・ウッドはその実情を語る。

「一次選考のあと、ナイトに体重を落とすように言われたのに、チャールズは逆に太って現われた。彼は見せしめにされたのさ。コーチに従わないヤツはこうなるんだとね」

「俺の目的は、評価を上げてドラフト上位で指名されること。オリンピックは別にどうでもいい」との態度も不興を買ったかもしれなかった。

■強気な態度を懸念されるも、それに見合った活躍を披露

 だが、その目的は84年のドラフト5位でシクサーズに指名され達成された。チーム首脳の間では、バークレーの性格がチームカラーに合わないとして獲得に反対する声もあったが、オーナーのハロルド・カッツは彼に惚れ込んでいた。また、ジョーダンやサム・パーキンスら意中の選手が4位までに指名されてしまったこともあって、残ったなかで最も才能のあるバークレーを指名したのだ。
  シクサーズは2シーズン前に優勝したばかりで、アービング、モーゼス・マローン、アンドリュー・トニーらスターの中のスターが揃っていた。トレーニングキャンプでは、さすがの肝っ玉男バークレーも緊張したという。

「ドクターJ(アービング)を何て呼べばいいか考えたよ。“ミスター・アービング”、それとも“ジュリアス”? 迷っていたら向こうから“ドク”と呼んでくれと言われたんだ」。

 同年シクサーズに入団したウッドは「初めの頃はチャールズも謙虚に振る舞っていた」と言うが、長くは続かなかった。「チームミーティングで“もっと俺にボールを回すべきだ”と言い出した時は思わず下を向いたよ。普通、ああいう場では新入りはおとなしくしているものだからね」。
  それでもバークレーには、そう主張するだけの自信が備わっており、数字が実力を裏付けていた。82試合にフル出場し、平均14点、8.6リバウンドでオールルーキー1stチームに選出。喜怒哀楽を前面に出すプレーぶりも、敵味方を問わずファンの関心を惹いた。

 さらに彼の注目度を高めたのは、天才的なトークの上手さだった。ただの喋り好きではなく、内容がウィットに富み、適度に毒がまぶされ、常に本音で話すので、議論の的になるネタにも事欠かなかった。これではメディアが放っておくわけがない。

「マスコミは嘘ばかり書く有害な連中。俺は注目の的になんかなりたくない」と本人は言っていて、実際に多くの舌禍事件を起こしていたため本心だったのかもしれないが、周囲はそうは受け止めなかった。(後編へ続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2012年10月号掲載原稿に加筆・修正。

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