【名作シューズ列伝】与えられたのは後輩のモデル。リッチモンドが“代役”として着用した「NIKE AIR FLIGHT」の裏事情

人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり! 

 ドリームチームIIIのシグネチャーモデル第6弾、本編22箱目は、ミッチ・リッチモンドが着用したオリンピックモデル「NIKE AIR FLIGHT」のお話です。

 リッチモンドは、1965年6月30日、アメリカ合衆国フロリダ州フォートローダーデイルで生まれました。カンザス州大を卒業した1988年のNBAドラフト1巡目5位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名されると、1年目から平均22点、4.2アシスト、5.2リバウンドの好成績を残して新人王を獲得。その後、クリス・マリンとティム・ハーダウェイとともに“ランTMC”と呼ばれるハイスコアリングトリオを結成し、センセーションを巻き起こしました。

 しかし1991年にサクラメント・キングスにトレード。当時のキングスはドアマットチームでしたが、リッチモンド自身は毎年安定した数字を残し続け、95年のオールスターゲームでMVPを手に。実力はもちろんのこと人間としても素晴らしく、アトランタ五輪のアメリカ代表にも選出されました。
 

 彼に用意されたシューズは「AIR FLIGHT」。デザインから前回紹介したペニー・ハーダウェイの「AIR ZOOM FLIGHT 96」の廉価版と思われがちですが、「AIR ZOOM FLIGHT 95」(ジェイソン・キッドの準シグネチャー)との“ハーフ&ハーフ”的な位置付けが正しいと思われます。

 そもそも、「AIR FLIGHT」は、キッドのために開発されたモデルでした。「AIR ZOOM FLIGHT 95」にあるミッドソールの目玉状カーボンパーツを想起させるデザインが施されていたり、キッドもNBAではチームカラー(ダラス・マーベリックス)の「AIR FLIGHT」を着用していたことからも、そのことが伺えます。

 しかし、残念ながらキッドがアメリカ代表に選ばれることなく、NIKEの契約選手でメンバーに選ばれたリッチモンドが“代役”として着用することになったのです。



 テクノロジーは、ヒールに“AIR SOLE UNIT”が入っていること以外、特筆すべき部分はありません。
  シューズBOXも他と同様にNIKEのデフォルト。ダンボール地にブラックのスウッシュ、側面の上部はオレンジ、下はブラックで統一ですが、今回はBOXの底もご紹介しましょう。



 通常はあまり見ない場所ですが、NIKEロゴやスウォッシュロゴなどの一覧がプリントされたシールが貼ってあります。現在でもNIKEのBOX底面には使用されているブランドのロゴが印刷、もしくはシールが貼られているので是非チェックしてみてください。

 リッチモンドは大学時代の1988年、ソウルオリンピックのアメリカ代表に選ばれましたが、屈辱の銅メダルという結果に。しかしその8年後、NBAでスターとなったリッチモンドは“初代ドリームチーム”でマイケル・ジョーダンが着用した9番のジャージを背負い、母国開催の五輪に挑みました。
  当時31歳だったスコアラーは8試合中3戦で先発を務め、平均9.6点を記録。悲願の金メダルを獲得し、ソウル大会の悪夢を拭い去ることができました。

 NBAでは現役最終年に所属したロサンゼルス・レイカーズでチャンピオンリングをゲット。自身はベンチウォーマーだったものの、最後にNBAの頂点に立ち、勝者としてユニフォームを脱ぎました。

 キングスという地味なチームで全盛期を過ごしたこと、同じ時代にジョーダンやレジー・ミラーといったスターガードがいたこと、そして控えめな性格ゆえにスポットライトを浴びる機会は限られたリッチモンド。しかしジョーダンからも「得点力に関しては自分を超えることができるセンスを持っている」と称されたほどの名選手でした。

 与えられたシューズも後輩キッドのモデルと、どこまでも“アンラッキー”なイメージが強いですが、終わり良ければすべて良し。今となっては本人も気にしていないでしょう。

文●西塚克之

【著者プロフィール】
西塚“DUKA”克之/日本相撲協会公式キャラクター「ハッキヨイ!せきトリくん」の作者として知られる人気イラストレーター。入手困難なグッズやバッシュを多数所有する収集家でもあり、インスタグラム(@dukas_cafe)では、自身のシューズコレクションを公開中。ダンクシュートでは名作シューズ列伝『SOLE&SOUL』を連載している。

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