すべてに背を向けた孤高のスーパースター、カリーム・アブドゥル・ジャバ―が抱えていた葛藤【NBAレジェンド列伝・前編】

すべてに背を向けた孤高のスーパースター、カリーム・アブドゥル・ジャバ―が抱えていた葛藤【NBAレジェンド列伝・前編】

カリーム・アブドゥル・ジャバ―は、イスラム教に改宗した際に与えられた名前。両親から授かった名はルー・アルシンダーだ。(C)Getty Images

有り余る才能でNCAA、NBAを制覇したアルシンダー

 カリーム・アブドゥル・ジャバー……まるで呪文のような、魅惑的な響きを持つこの名前は、史上最高のセンターの1人である選手が両親から授かった名前ではない。抜群の才能と明晰な頭脳、極度に高い自尊心を持ち合わせていたルー・アルシンダーが、イスラムの教えに目覚めた時に与えられた新しい名前である。
 
 両親も長身だったアルシンダーは、幼少時から抜きん出て背が高かった。小学生の頃からフックシュートを打ち始め、中学生になるとダンクもできるようになった。ニューヨークのパワー・メモリアル高では驚異的な71連勝を記録し、ボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)のヘッドコーチ、ジーン・シューは「この高校生を手に入れるためならなら、ドラフト1巡目指名権をふたつ手放しても構わない」と言い切った。

 数々の有力大学による熾烈な勧誘合戦の末に、アルシンダーはUCLAに入学。当時1年生は公式戦に出場できなかったが、彼の率いる1年生チームは前年に全米王者となったレギュラーチームを破った。公式戦デビューでは学校記録を更新する56点をあげるなど、その実力は圧倒的だった。

 218pの身長が大きな武器だったのはもちろんだが、彼を無敵の選手としたのはフックシュートだった。NCAAが1967−68シーズンから試合中のダンクを禁止したため、アルシンダーはフックシュートに磨きをかけ、芸術の領域まで完成度を高める。長い腕を一杯に伸ばし、最高の打点からシュートを放たれては、対戦相手はただ外れるのを祈るしかなかった。この必殺技スカイフック″を駆使して、アルシンダーはコートを支配する。UCLAは67年から3年連続でNCAA選手権を制覇し、公式戦3年間の戦績は88勝2敗。いずれの年もファイナル4最優秀選手となったアルシンダーには、文字通り全米の注目が集まっていた。
  しかしながら、そうした状況は心地良いものではなかった。性格的にも注目されることを好まなかったし、傑出した黒人であることが、凡庸な白人たちからの妬みと憎しみを買った。アルシンダーは、自身も白人の血が流れていたにもかかわらず、白人たちへの反感を募らせる。68年にオリンピック・チームへの参加を拒絶したことや、同年にマルコムXの伝記に触発され、イスラム教へ改宗したのも、こうした複雑な感情が根底にあった。

 69年のNBAドラフトではミルウォーキー・バックスに1位指名され、平均28.8点(2位)、14.5リバウンド(3位)と期待通りの活躍。文句なしの新人王に選ばれ、バックスも前年の27勝から56勝へ急上昇した。続く70―71シーズンは、シンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)からオスカー・ロバートソンが加入。ビッグO″のパスを受けてアルシンダーは得点を稼ぎまくり、31.7点で得点王とMVPに輝く。チームも66勝し、ファイナルではブレッツに4連勝。アルシンダーはファイナルMVPに選ばれ、プロでも2年目にして易々と頂点に立った。
 すべてに背を向けた孤高のスーパースター

 カリーム・アブドゥル・ジャバーと改名したのは、その年の秋だった。ムスリムとなったのは3年も前だったし、ボクシング王者のカシアス・クレイが、イスラム教に改宗してモハメド・アリに改名した前例もあった。それでもクリスチャンが大半を占めるアメリカ社会においては反発や困惑は避けがたく、そうした反応がますますジャバーを頑なにした。チームメイトからは孤立し、メディアには背を向け、ファンからも遠ざかっていく。のちにロサンゼルス・レイカーズでチームメイトになるマジック・ジョンソンも、少年の頃ジャバーにサインを求めて断られたことがあるそうだ。

 どんな批判を浴びても、ジャバーは「自分らしくあるためには、何物にも煩わされたくない。知性を持った人間なら誰でもそうだろう」と態度を変えなかった。この頃の彼は、まさしく孤高のスーパースターだった。
  75年には自らの希望で、第二の故郷ロサンゼルスのレイカーズへ移籍。最初の8年間で5度もMVPに選ばれ、事実上ライバルが存在しなかったこともあって、彼の関心はバスケットボール以外に向かう。ブルース・リーに弟子入りしてカンフーの特訓を開始し、師匠の遺作『死亡遊戯』を皮切りに多くの映画に出演。80年の作品『エアプレイン』ではコミカルな演技も披露した。

 ジャズ・ミュージシャンでもあった父の影響でジャズにも傾倒し、レコード収集に没頭。セロニアス・モンクやマイルス・デイビスら一流ジャズマンとも交流した。「ブルースの教えはジョン・ウッデン(UCLA時代のコーチ)にも通じる。音楽を聴いてリズムやタイミングの感覚を養うのもバスケットボールに役立つ」とジャバーは語ったが、彼の心がバスケットボールのコートにないことをファンは感じ取っていた。(後編に続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2010年2月号掲載原稿に加筆・修正

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