史上最強のパワフルモンスター、シャックが残した伝説的なキャリア【NBAレジェンド列伝・前編】

史上最強のパワフルモンスター、シャックが残した伝説的なキャリア【NBAレジェンド列伝・前編】

19年間で4度の優勝を味わったシャック。その伝説的なキャリアを振り返る。(C)Getty Images

■弱冠13歳で大学からスカウトを受ける

「今の時代でプレーしたかった。平均60点はいっただろう」。

 つい最近、シャキール・オニールはこのような発言で物議を醸した。「ゲームがソフトになっていて、ハードなファウルができない」のがその根拠らしいが、いくらなんでもこれは盛りすぎだった。その少し前には、史上最高の選手は誰かという「GOAT論争」に参戦。マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームス、コビー・ブライアントを挙げ、自らの名前を出さなかったあたり、ついに謙虚さを身につけたのかと思いきや、俺様ぶりは全然変わっていなかったようだ。

 しかし、良くも悪くもこれがオニールという人間なのだ。もし彼が精神的にも成熟していたなら、史上最高の選手にすらなれただろうし、その反面オールスターで毎度のように余興を演じて、ファンに親しまれるような存在にはならなかっただろう。

“シャキール”とはイスラム教では小さな戦士という意味があると言う。その名前とは正反対に、オニールは子供の頃からとてつもなく巨大で、13歳の頃には身長が2mまで伸びていた。
  育ての父が軍人だったため、当時はドイツに住んでおり、そこでバスケットボールのキャンプに参加した。指導を行なっていたルイジアナ州立大(LSU)のコーチは、オニールが本職の陸軍兵士だと思い込み、まだ13歳だと聞いて驚愕。5年後はぜひLSUに来るように勧誘した。

 高校時代はサンアントニオで過ごし、所属チームを68勝1敗の好成績に導くと、かねてからの約束通りLSUに進学し、2年連続でオールアメリカンに選出された。単に巨体であるだけでなく、動きが意外なほど素早いオニールは、大学生では止めようがなかった。いや、それを言うならプロでも彼を止められる者はいなかったけれども……。

 92年の時点ですでに大学最高の選手と見なされ、同年のバルセロナ五輪ドリームチームの大学生枠候補にも挙がっていた。オニールをさしおいてデューク大のクリスチャン・レイトナーがメンバー入りしたのは、デュークという名門校の威光と、レイトナーが白人であったからだと信じている人も多い。
 ■新人時代にゴールを2度破壊センセーションを巻き起こす

 いずれにせよ、ドラフトではオニールが最高評価を得たのは当然であった。全体1位指名でオーランド・マジックに入団すると、平均23.4点に加え13.9リバウンドと3.5ブロックはリーグ2位。こうした数字以上に、迫力満点のプレーで大いに人気を集めた。

 とりわけ凄かったのが、両手でダンクを叩き込む必殺技“シャックアタック”で、二度もゴールポストをへし折ったこと。衝撃を吸収できるようにリムを改良し、壊れにくいバックボードが導入されたのはオニールがきっかけだった。

 93年にジョーダンが電撃的に引退すると、次なるリーグの顔としてオニールに期待が集まった。実力的には確かに適任だったが、問題が一つあった。彼はバスケットボールに集中できなかったのである。

 プロ入りした頃から「リングを2つくらい取ったら引退して別のことをやる」と公言していたのだが、まだリングが1つもない段階で芸能活動に積極的に乗り出していた。

 ラッパーとしてリリースした『スキルズ』はビルボードのHot100(シングルチャート)35位まで上昇。スポーツ選手の出した曲としては異例のヒットで、オニールの人気の高さを証明した。俳優としても93年に映画『ブルー・チップス』、96年には『カザーン』に主演した。
  こうした活動が悪いというわけではないが、本職であるバスケットボールで腕を磨くべき時期に優先させることでなかった。

 なぜなら、彼にはフリースローという明白な欠点があったからだ。手が大きすぎてボールをしっかり持てないのが理由とも言われたが、成功率は1年目が最高で、以後どんどん下がっていった原因は明らかに練習不足だった。

 歌ったり踊ったりしている暇があったら、そうした弱点を克服する努力をしたらどうなんだという声は、オニールの耳には届かなかった。

 フリースローが半分しか決まらないにもかかわらず、3年目の94−95シーズンには平均29.3点で初の得点王に輝く。マジックもリーグ最高勝率を記録し、初のファイナルに進出した。

 ところが、ヒューストン・ロケッツを相手によもやの4連敗。オニール自身は平均28点と奮闘したのだが、マッチアップ相手だったアキーム・オラジュワンを抑えられず、平均32.8点を奪われファイナルMVP獲得を許した。順風満帆だったキャリアにおいて、初めて味わった挫折だった。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2012年11月号掲載原稿に加筆・修正。

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