歴代屈指の"不作"と言われるも、ペイトンやジャクソンといった絶滅危惧種の個性派が揃う1990年【NBAドラフト史】

歴代屈指の"不作"と言われるも、ペイトンやジャクソンといった絶滅危惧種の個性派が揃う1990年【NBAドラフト史】

ペイトン、コールマン、ジャクソン、スコット、クーコッチと、稀にみる個性派が揃っていた1990年。(C)Getty Images

後の名選手を数多く輩出した年もあれば、まったくの不作と言っていい年もある。それがNBAドラフトの面白さでもあるが、今回紹介する1990年は後者の部類に属する。2位指名のゲイリー・ペイトン以外、歴史に名を残す選手は皆無だが、変人揃いという意味では、史上稀に見る豊作年だった。

■史上屈指の外れ年のひとつだが個性的かつ変わり種の多い1990年
 
 現地アメリカのスポーツ関連サイトが好んで掲載する「外れドラフト年トップ10」的な企画で、軒並み上位に食い込んでいるのが1990年だ。今回採り上げることになり、指名選手のリストをじっくり見てみたところ、軽く衝撃を覚えた。僕の大好きな、香ばしさや味わい深さに満ち溢れた、唯一無二の変わり種がゴロゴロいるではないか。実績面から見れば、外れ年にカテゴライズされても仕方がないだろう。ただし、現代では絶滅危惧種に近い個性派を数多く生み出した、特筆すべき年とも言えよう。

 1985年、タンク行為(試合にわざと負けること)の横行に業を煮やしたリーグは、コインの裏表でドラフト1位指名権を決めるというコインフリップの制度を廃し、プレーオフ進出を逃した全チームに対して均等にチャンスを与えるというシステムを採用する。だがその方法にも問題点がいくつか浮上したため、今回紹介する1990年からは確率調整システムを導入することになった。現在のピンポンマシン方式の原型である。

 この年のロッタリーで、1位指名権獲得率が最も高かったのがリーグ最下位のネッツ。66個のピンポン球のうち11個の当たり球が割り振られた(16.7%)。次に高確率を得たのがヒートで10個(15.2%)、3番目がマジックの9個(13.6%)。抽選の結果、珍しく波乱は起こらず、ネッツが1位指名権を獲得する。
 ■大本命の有力株が急死しコールマンがトップピックに

 ドラフトの3か月半前までは、ロヨラ・メリーマウント大4年のフォワード、ハンク・ギャザーズが1位指名の大本命とされていた。圧倒的な身体能力の持ち主で、NCAAディビジョンTの歴史において、同一シーズンに得点王とリバウンド王を獲得した史上2人目の選手(1人目はゼイビア・マクダニエル。その後カート・トーマスも達成)。その彼が、カンファレンス・トーナメントの試合中に心臓発作で倒れ、帰らぬ人となる。試合が生中継されていたこともあり、全米中をショックの渦に巻き込んだ一大悲劇だった。

 そのため、1位指名候補の筆頭はシラキュース大4年のフォワード、デリック・コールマンに移行する。コールマンも傑出したビッグマンで、身長208p、体重は100sを優に超えるという巨体ながら、パワーのみならずテクニックや柔軟性、俊敏性も兼ね備え、ゴール下では無類の強さを発揮した。

 サウスポーの優位性に加え、人一倍長い腕を持ち、ボールハンドリングも外見によらず巧み。さらには、当時の大柄選手には珍しく中長距離シュートも無難にこなし、ブロックのセンスにも非凡なものを持っていた。最終学年の成績は平均17.9点、12.1リバウンド、2.0ブロック、3ポイント成功率は36.6%を記録している。
  コールマンに次ぐ注目選手は、オレゴン州大4年のPG、ゲイリー・ペイトン。この年のドラフトクラスでは最高のPGと目され、4年時には平均25.7点、8.1アシスト、FG成功率50.4%という好成績をマークした。ドラフトのテレビ中継で紹介された選手の特徴については、次のような分析がなされている。「強み:素晴らしいパサーにしてボールハンドラー。自信家。弱点:ショットセレクション。態度?」

 ルイジアナ州大2年のPG、クリス・ジャクソンも、注目選手の1人。ペイトンとは違ったタイプのPGで、天才的とも言えるシューターであり、現代で例えるならステフィン・カリーに近いかもしれない。1年時に平均30.2点を叩き出し、翌年同大学にシャキール・オニールが入学してくるのだが、オニールの平均13.9点に対し、ジャクソンは27.8点をマーク。

 こんな驚きのエピソードもある。全米のエリートカレッジ選手を招集したナイキのバスケットボールキャンプにジャクソンも参加、そこへ当時20代中盤で全盛期を迎えようとしていたマイケル・ジョーダンが顔を出し、2人は1on1をプレーした。するとジャクソンはジョーダンを手玉に取ってみせたのだという。スコアはなんと10−0。その様子を、『SLAM』誌の元編集者で、現在『ESPN.com』で活躍しているスポーツジャーナリストのスクープ・ジャクソンが目撃している。
  迎えた6月27日、ニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン内にあるフェルト・フォーラムで、1990年度のNBAドラフトは開催された。指名は順調に進み、1位のネッツがコールマン、トレードで2位の指名権を手にしたソニックス(現サンダー)がペイトンを、同様に3位を獲得したナゲッツはジャクソンを指名。上位の3人に波乱は起こらなかった。

 それ以降の指名選手で、後にリーグを騒動の渦に巻き込んだ選手を2人ほど紹介したい。

 21位でシクサーズに指名されたジェイソン・ウィリアムズは、3年目にネッツに移籍し、8年目にオールスターに選ばれ、その翌年自宅のパーティーでリムジンドライバーを射殺した。新築の大豪邸を自慢しようと、パーティー参加者を引き連れて施設を案内していた際、ふざけて持っていたショットガンを誤射させてしまったのだった。

 スター選手が引き起こした騒動であり、なおかつ事の顛末があまりにショッキングなだけに、この事件と裁判は全米で話題となった。ウィリアムズはその後もホテルでの自殺未遂やバーでの暴力行為、飲酒運転での逮捕など、トラブルを起こし続けた。
  48位でサンズに指名されたセドリック・セバロスの逸話もなかなか凄い。1992年のスラムダンク・コンテストで目隠しダンクを披露し、一躍全国区のスターとなったセバロスは、1994年にレイカーズに移籍しエースとして活躍していた。ところが、1996年1月、HIV感染で引退していたマジック・ジョンソンがチームに舞い戻ると、話題はマジック復帰一色となり、チームの顔もマジックに。

 セバロスへの注目度は低くなり、出場時間も徐々に減少、それを面白く思わなかった彼はなんとシーズン中に失踪してしまう。3日間連絡が取れず、見つかったシチュエーションが完全に斜め上を行っていた。アリゾナの湖でハウスボートを借り、新しい奥さんとのんびりしていたそうだ。
 ■変わり者揃いだった1990年組の上位指名3人のNBA人生

 最後にトップ3選手のその後を簡単に紹介したい。まずはこの年のドラフト組において、唯一にして最大のスター選手となったペイトン。2013年に殿堂入りを果たしたという事実が、すべてを物語っているだろう。

 僕にとって、ペイトンの最大の魅力は、あの生意気さと、異様なテンションの高さだ。テクニカルファウルを喰らいまくり、その大半がトラッシュトークによるもの。『sportscasting.com』によると、カール・マローン、チャールズ・バークリー、ラシード・ウォーレスに次いで、歴代4位の回数を誇るそうである。全盛期の頃は、「相手チームの選手に『最近どうよ?』と家族のことを尋ねても、笛を吹かれた」と本人は語っている。

 ある時は半笑いという、相手を最も小馬鹿にした表情で、またある時は食ってかかるような態度で、顔を揺らしながら炸裂するペイトンのトラッシュトークは、ある意味芸?の域に達していたと思う。
  次に、そこそこの成績を残しながら、大きく期待を裏切ったとされるコールマン。現役15シーズンの成績は平均16.5点、9.3リバウンドと、数字だけ見れば最低限の仕事をしたと思われても良さそうだが、実際はダメダメな印象が強い。自己中でワガママ、素行の悪さに加え、怠け者で練習嫌いとくれば、伸びる才能も伸びないだろう。あれだけの才能を持ちながら、その半分も発揮できなかったのではないだろうか。

 新人王を獲得し、近い将来、カール・マローンやチャールズ・バークレーを凌駕する?とまで言われたダイヤの原石が、普通の石のままで終わってしまった。1995年には、自分のプレーを真面目に批評したマローンを、練習後の囲み会見でアンクル・トム(白人に媚を売る、卑屈な黒人)?呼ばわりし、物議を醸している。色んな意味で、鑑賞のし甲斐がある選手だった。
  そして1990年組の真打ち登場である。クリス・ジャクソン改めモックムード・アブドゥル・ラウーフだ。1991年、イスラム教に改宗したジャクソンは、1993年に改名し完全に生まれ変わる。

 幼い頃からトゥレット症候群というチック障害の一種を患っていたラウーフは、身の回りのあらゆることを完璧にやらなければ気が済まなかった。靴の紐を結ぶ作業や、シャツの裾をズボンに入れるのに何十分もかかることがあった。完璧にできたと感じるまで、止めることができなかったのだ。

 それはバスケットボールでも同じだった。完璧に打てたと感じるまで、2時間ぶっ続けでシュートを打つことも珍しくなかった。頭や身体は止めたがっても、病気がそれを止めさせなかった。その結果、彼のシューティング能力は極限まで高められることになる。
  1993年には最も成長した選手に贈られるMIP賞を受賞し、前途は洋々だった。ところが、1995年にリーグを揺るがすレベルの大騒動を巻き起こす。イスラム教へますます傾倒していったラウーフは、「アメリカ国旗は圧制の象徴である」との考えから、試合前の国家斉唱中に起立しないという行動に出た。起立ボイコットは60回以上にも及び、リーグから制裁を加えられても止めようとしなかった。

 その騒動を境に、彼は下り坂を転げ落ち、わずか9年間でNBAのコートから姿を消した。生き方は不器用ながら、天才的なシューティング能力を持ち、ひたすら我が道を突き進むラウーフは、個人的に大好きな選手だった。
  YouTubeにアップされている当時のドラフト中継番組が面白い。デイビッド・スターンNBAコミッショナーから名前を読み上げられ、ガムをクチャクチャさせながら壇上に上がり、スターンと一緒に記念写真に収まるペイトン(ガムを噛みながら登壇した選手は初めて見た)。指名直後のインタビューで、笑顔をまったく見せることなく、淡々と質問に答える、とても21歳には見えない老成したジャクソン。

 時代が変わったと言ってしまえばそれまでだが、個性的なキャラクターの選手の数は、年々少なくなっているように思う。ペイトンやジャクソンのような一風変わった選手たちが、なんとなく懐かしい今日この頃である。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2017年6月号掲載原稿に加筆・修正。

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