シャックの才能を開花させた名将コーチの存在。そしてコビーとのレイカーズ無敵時代へ…【NBAレジェンド列伝・後編】

シャックの才能を開花させた名将コーチの存在。そしてコビーとのレイカーズ無敵時代へ…【NBAレジェンド列伝・後編】

リングに手が届かなかった90年代後半。そして、名将コーチとの出会いがシャックの才能を開花させる。(C)Getty Images

■レイカーズ移籍4年目で初のチャンピオンに

 プロ3年目に初の得点王に輝き、チームもファイナルに進出。しかし、オラジュワン率いるロケッツに4連敗を食らう。順調すぎるキャリアの中で味わった初めての挫折だった。

 これをバネにして練習に励み、さらなる高みを目指す……とはならなかったのがオニールらしいところで、95−96シーズンは故障もあって成績がダウン。シーズン終了後FAとなると、アトランタ五輪参加中に、ロサンゼルス・レイカーズと7年1億2000万ドルで契約したことを発表した。

 中小都市のオーランドより大都会のロサンゼルスを選択したのは、ハリウッドに近く、芸能活動にも都合がいいこともあって、彼にとっては当然だったのだろう。

 しかし、いつでも取れると思っていたリングはなかなか手に入らなかった。97年はカンファレンス準決勝でユタ・ジャズに敗退、翌98年はカンファレンス決勝で同じくジャズに屈辱のスウィープ。99年もカンファレンス準決勝で、今度はサンアントニオ・スパーズにスウィープされた。

 この頃には、すっかり“次世代のジョーダン”の看板も色あせていた。他ならぬジョーダンが95年に復帰し、翌年から2度目の3連覇を達成。レイカーズ内ですら、新進気鋭のコビーの台頭により地位は安泰でなくなった。芸能活動での人気もフェードアウトしていき、本業で結果を出すしかない状態に追い込まれた。
  その意味でも、99年にフィル・ジャクソンがレイカーズのヘッドコーチに就任したのは、オニールにとっては最高の出来事だった。初対面でジャクソンはオニールに「君がMVPになれない理由なんてない。真面目に仕事に取り組めばの話だが」と言い渡した。

 選手を決して甘やかさず、それでいて感情的に怒鳴りつけることもなく、示唆に富んだアドバイスを送ることのできるジャクソンは、オニールを制御するには完璧な人材だった。

 この名将の下で、ついにオニールは全面的に才能を開花させる。自己最高の平均29.7点で2度目の得点王、年々減り続けていたリバウンドも13.6本にまで戻し、新人時代以来最高の数字を記録。ジャクソンの予言どおりMVPに選ばれた。

 リーグ最多の67勝をあげたレイカーズは、ファイナルでインディアナ・ペイサーズを退け12年ぶりの王座に就く。ファイナルMVPに選ばれたのは全試合で30点以上、平均38点をあげたオニールだった。プロ入り8年目、当初の期待からすれば遅すぎた栄冠だった。

 以後3年間、オニールは名実ともにNBAの王者として君臨する。01年ファイナルはフィラデルフィア・76ersを5戦で退け、02年はニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツを軽々とスウィープ。いずれの年もファイナルMVPに輝いた。3年連続の受賞はジョーダン以来史上2人目(3度目)。この頃のオニールはまさしく“無敵”。行くところ可ならざるはなしといった感があった。
 ■晩年は各球団を転々とし脇役としてエースを補佐

 だが、敵は身近なところにいた。コビーとの確執が、年々悪化の一途を辿っていったのである。コビーにとってオニールは目の上の瘤であり、オニールにとってもコビーは目障りで仕方のない存在だった。

 それでも勝利が辛うじて2人を結びつけていたのだが、04年のファイナルでデトロイト・ピストンズに敗れると、レイカーズの主の座を巡ってパワーゲームが開幕した。

 勝利を収めたのは、オーナーを味方につけたコビーのほうだった。形勢不利を悟ったオニールは、自ら申し出てマイアミ・ヒートへとトレードされた。

「物事がうまくいかないときは、いつでも俺がスケープゴート(身代わり)だ。俺は度量が広いからそれを受け入れたがな」と嘯いていたが、内心で激しくレイカーズとコビーに恨みを抱いていたのは明らかだった。

 06年、ヒートの一員として4つ目のリングを手にすることで、その鬱憤は存分に晴らすことができた。
 「あと最低2つはリングが取れるだろう」との目論みに反し、リングのコレクションはこれで打ち止めになった。

 晩年はフェニックス・サンズ、クリーブランド・キャバリアーズ、ボストン・セルティックスに“優勝請負人”として迎えられながら役目を果たせず、10−11シーズンを最後に引退した。

「彼は試合を支配しただけでなく、人間性の大きさでコート以外でも人々を支配した」。マジック・ジョンソンはこのようなメッセージを送り、オニールをねぎらった。

 結局、オニールという男は今でも“大きな子ども”なのだ。好奇心旺盛でジョーク好き、常に自分が一番でなければ気のすまない性格。彼のそうした面を愛する人もいれば、思慮の浅い行動や言動に眉をひそめる者もいた。

 それでもこれだけは確実に言える。2000年代で最初の10年間、NBAの主人公はコビーでもティム・ダンカンでも、レブロンでもなく“ディーゼル”であったのだ。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2012年11月号掲載原稿に加筆・修正。

関連記事(外部サイト)