【NBA背番号外伝】トーマス、ヘイズ、ヤオ、サボニス親子……。“3つのタイプ”に大別される背番号11の歴代着用者たち

【NBA背番号外伝】トーマス、ヘイズ、ヤオ、サボニス親子……。“3つのタイプ”に大別される背番号11の歴代着用者たち

歴代の11番着用者は“俊敏なガード”“ストレッチ・ビッグマン”“外国人の名選手”の3タイプに大別される。(C)Getty Images

現役でも多くの選手が着用するなど、人気のある背番号11。これまで活躍したプレーヤーは“スピードのあるガード”“シュート力のあるビッグマン”“外国人の名選手”と3タイプに大別でき、2、3番目の要素を併せ持った者も多い。

 “スピードのあるガード”の代表格はアイザイア・トーマス(元デトロイト・ピストンズ)だ。抜群の敏捷性とシュート力で得点を稼ぎまくっただけでなく、パスセンスに優れ、不屈の闘志と冷静さも兼備。ジュリアス・アービング(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)をして「もう少し身長が高ければ、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)以上の選手になっていただろう」と言わしめた。

 1950年代にロチェスター・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)で司令塔を務めたボブ・デイビスの11番も欠番。ノールックやビハインド・ザ・バックなどの華麗なパスをいち早く使いこなしたショーマンで、1951年にチームをフランチャイズ唯一の優勝に導いている。

 同タイプの選手ではアール・ボイキンスの印象も強い。リーグ史上2番目に低い身長(165cm)ながら、2007年には4試合も30得点超えをマーク。全盛期を過ごしたデンバー・ナゲッツ時代をはじめ、6球団で11番を着けた。
  現役ではドリュー・ホリデーが、シクサーズ時代からニューオリンズ・ペリカンズに所属する現在までずっと11番を着用。クリーブランド・キャバリアーズでは背番号2だったカイリー・アービング(現ブルックリン・ネッツ)が、ボストン・セルティックス移籍時に11に変えたのは、同じくプロ選手だった父の現役時代の番号という理由だった。キャリア2年目で早くもリーグ4位の平均29.6点を叩き出したトレイ・ヤング(アトランタ・ホークス)は、次代の11番スター候補だ。

 ジャマール・クロフォードとマイク・コンリーも、現在は違うが長年この番号でお馴染みだった。プロ入り当時1番だったクロフォードは、2004年にニューヨーク・ニックスへ移籍した際、当時チームのヘッドコーチを務めていたトーマスにあやかって11番に変更。その後、ゴールデンステイト・ウォリアーズでの1年を除いてずっと11番だったが、ネッツでプレーした今季は16年ぶりに1番に袖を通した。メンフィス・グリズリーズのスターだったコンリーは「11番はメンフィス以外のチームでつけたくない」との理由により、現所属のユタ・ジャズでは10番に変更している。

 11番の現役ガードで一番のビッグネームであるクレイ・トンプソン(ウォリアーズ)は、スピードよりもシュート力が売り物。大学時代の1番が入団当初空いていなかったので、ドラフト11位指名にちなんでこの番号を選んだ。
  “シュート力のあるビッグマン”に分類されるアメリカ人選手では、エルビン・ヘイズが代表格。パワーフォワード/センターでありながらミドルシュートが得意で、サンディエゴ(現ヒューストン)・ロケッツでデビューした1969年にリーグトップの平均28.4点を記録した。背番号は最初の3年間が11番、その後44番に変えたがボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)に移籍した1973年から11番に戻し、同球団の欠番になっている。

 ボブ・マッカドゥーも得点力が高く、バッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)在籍時の1974〜76年に平均30点超えを叩き出し3年連続で得点王に輝いた。通算得点で史上2位のカール・マローンは、現役最後の2004年、ロサンゼルス・レイカーズ時代のみ11番。ジャズ時代に着用した32番はマジック・ジョンソンの欠番だったため、1992年バルセロナ五輪のドリームチームで着けた番号を選んだ。

 現役ではブルック・ロペス(ミルウォーキー・バックス)がまさにこのタイプ。プロ入りから最初の8年間で3ポイントは合計3本だったが、2016−17シーズンから突如としてストレッチ5に変身、以後は4年連続で100本以上を沈めている。
  2、3番目の両方に該当し、永久欠番になっているのはジードルナス・イルガスカス。リトアニア出身で、同国の英雄アルビダス・サボニス(元ポートランド・トレイルブレイザーズ)に憧れて11番を選び、キャバリアーズでの12年間、そして最後に在籍したマイアミ・ヒートでの1年を通じてほかの番号は着けなかった。

 そのサボニスは身長221cmながら、シュートもパスも上手かった万能型。NBA入りしたのは31歳で、あと数年アメリカに来るのが早ければ、間違いなくスーパースターになっていただろう。息子のドマンタスは父ほどアウトサイドシュートが得意ではないが、インディアナ・ペイサーズに移籍した2017−18シーズンから11番を背負い、今季は父が果たせなかったオールスター出場を実現した。
  身長229cmを誇る“中国の巨人”ヤオ・ミン(元ロケッツ)は、アジア人として唯一ドラフト1位指名を受け、1年目から7年連続でオールスターに出場。シュートレンジはさほど広くなかったものの、フリースロー成功率はキャリア通算83.3%と高確率だった。11番を選んだ理由は、同じくバスケットボールプレーヤーだった妻イエ・リーの、代表チームでの番号だったからだという。

 ドイツ出身のデトレフ・シュレンプ(元シアトル・スーパーソニックス/現オクラホマシティ・サンダーほか)は、1991、92年に2シーズン連続でシックスマン賞に選ばれた実力者。1995年には、リーグ2位の3ポイント成功率51.4%を記録している。
  スーダン出身で史上最長身選手(231cm)のマヌート・ボルも、シクサーズ時代に11番を着用。センターが3ポイントを打つことがほとんどなかった1980年代に、積極的にトライした選手でもあった(ただし成功率は今ひとつ)。

 そのほか、1950年代に2度の得点王に輝いたポール・アリジン(元ウォリアーズ)、創設当時のニックスを支えたハリー・ギャラティンらも11番。ペイサーズやシクサーズなどで指揮を執ったラリー・ブラウンは、NBAでのプレー経験はないものの、ABA時代に11番を背負って3度のアシスト王に輝いている。MLBとの兼業選手で、引退後は俳優として有名になった“ライフルマン”チャック・コナーズ(元セルティックス)と、黒人選手として初めてドラフト指名されたチャック・クーパー(元セルティックスほか)は、変わり種の11番と言えるだろう。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年6月号掲載原稿に加筆・修正。

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