文字通り“史上最低レベル”の2000年、スーパースター皆無でメジャータイトルとも無縁【NBAドラフト史】

文字通り“史上最低レベル”の2000年、スーパースター皆無でメジャータイトルとも無縁【NBAドラフト史】

2000年のドラフトでは1位指名のマーティン(右から2番目)や、5位指名のマイク・ミラー(左から2番目)などがいる。(C)Getty Images

過去70回以上行なわれてきたNBAドラフトのなかでも、史上1、2を争うワーストイヤーとされるのが2000年だ。延べのオールスター選出回数はわずか3回、オールNBAチーム入り選手もわずか1名(3rdチーム)と、実績は他の年に比べ群を抜けて低い。まるで何かに呪われたかのような悲劇の2000年ドラフトを振り返る。

■オールスター選出回数3回は1980年以降でダントツの最下位

 アメリカのNBA関連サイトで過去のドラフト情報を漁っていると、“史上最も低レベルだったのは何年のドラフトか?”“ハズレドラフト年ワースト10”といったネタによく出くわす。

 アメリカ人は元来ランキングネタが大好きだが、とりわけ“ベスト”よりも“ワースト”方面のランキングに対する情熱は並々ならぬものがある。成功譚よりも、ダメダメなケースを皮肉ったり笑い飛ばしたりするほうが、書き手も読み手も楽しめ、より多くのアクセスを獲得できるのだろう。

 今回紹介する2000年のドラフトクラスは、現地識者の間で歴代屈指のハズレ年とされている。それもワースト1、2位を争うレベル。ライバル年には、2位指名選手がドラフトの2日後にコカインの過剰摂取で死亡し、他に幾人もの選手がドラッグで身を持ち崩した1986年や、史上最低ドラ1の1人と目される、アンソニー・ベネットを輩出した2013年などがある。
  だが、前者はドラッグの蔓延という社会問題が背後に潜んでいたため、致し方のない部分もあり、後者はヤニス・アデトクンボというスーパースターを排出しただけで、特筆すべきドラフト年として語り継がれる可能性が高い。そういった点を考慮すると、2000年は純粋に、まごうことなきハズレ年だったようだ。

 2015年、アメリカの大手スポーツ専門サイト『ブリーチャー・レポート』が、2000年のドラフト組を掘り下げて書いたコラムを掲載している。タイトルは“忘れられないほど酷い2000年のNBAドラフトクラスを追憶する”。

 細かいデータも掲載されており、例えばオールスター選出延べ回数3回(2004年にケニョン・マーティン、ジャマール・マグロワ、マイケル・レッドが揃って出場)は、1980年から2010年までの31年間でダントツ最少、それも唯一のひと桁回数だそうだ。また、オールNBAチームに選ばれた選手が1人というのは、1995年から2005年までのドラフト組でぶっちぎり最少とのこと(2004年にレッドが3rdチームに選出)。
  記念すべきミレニアムイヤーに誕生した、世紀のハズレドラフト組。どれだけ微妙なメンツが顔を揃えていたのか、そして史上最低と謳われる最大の要因は何なのか――。ある意味、非常に興味深いドラフト年である。

■涙を流しながら檀上へ上がった1位指名のマーティン

 2000年5月21日、ニックス対ヒートのプレーオフ・カンファレンス準決勝第7戦という、歴史に残る名勝負のハーフタイムに、ドラフトロッタリーの中継番組は放送された。

 レギュラーシーズン最下位はクリッパーズ(15勝67敗)、ブービーはブルズ(17勝65敗)で、それぞれ25%と20%の1位指名権獲得率が付与されていた。だが、お約束のごとく1位指名権は他球団の手に渡る。幸運の女神が微笑んだのは、レギュラーシーズン31勝51敗、獲得率7番目のニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツ。4.4%という超低確率を覆しての1位指名権獲得だった。最終的な指名順位は、1位ネッツ、2位バンクーバー(現メンフィス)・グリズリーズ、3位クリッパーズ、4位ブルズ、5位マジックに確定する。

 1976年にABAからNBAへ合流して以降、ドアマットチームのポジションからなかなか抜け出せないでいたネッツにとって、この年幸運にも1位指名権が転がり込んできたことは、タイミング的にこの上なくありがたい出来事だった。
  ちょうど10年前の1990年ドラフトでも1位指名権を手にし、将来のスター候補と目されていたデリック・コールマンを獲得。だが、良好なチームケミストリーを構築することができず、コールマン自身の人間性や練習態度にも問題がありトラブルも連発、さしたる成果も得られぬまま5年で放出するという忌まわしい過去があった。

 2000年のネッツには、PGにステフォン・マーブリー、SGにケリー・キトルズ、SFにキース・ヴァン・ホーンという若手の有望株が顔を揃えていた。ここに頼れるビッグマンが加われば、十分戦える布陣が出来上がるはず。1位指名権獲得が決まった瞬間、ロッタリーに出席していたチームオーナーのルイス・カッツは拳を何度も突き上げ、テーブルを叩き、「イエス!」を連呼。その興奮ぶりは、歴代のロッタリー名(珍)場面の中でも上位にランクされている。
  ネッツの1位指名候補選手は、シンシナティ大4年のPF、マーティン。強靭な肉体を持ち、リバウンドやブロックに秀で、ディフェンスのみならずオフェンスでもチーム最大の得点源だったマーティンは、4年時に平均18.9点、9.7リバウンド、3.5ブロックをマーク。シンシナティ大は17週中12週で全米1位にランクされ、マーティンはジョン・ウッデン・アウォードやネイスミス・アウォードなど、6つの主要個人賞を独占している。

 1999年の夏には、スペインで開催されたユニバーシアードのアメリカ代表に選出され、得点とリバウンドの双方でチームトップを記録。唯一の懸念材料は、直近のシーズン終盤、試合中に右足を骨折したことだったが、ネッツのジョン・ナッシュGMとチームドクターは「まったく問題なし」との判断を下している。

 マーティンに次いで上位指名候補に名前が挙がっていたのは、ルイジアナ州立大2年のPF、ストロマイル・スウィフト。2年時に平均16.2点、8.2リバウンドを記録し、ずば抜けた跳躍力をはじめとする高い運動能力は圧倒的で、荒削りではあったが豊かな将来性を感じさせる逸材だった。
  もう1人、ダークホース的な存在だったのが、イースト・セントルイス高のダリアス・マイルズ。まだ身体の線は細く、シューティング・ストロークは安定性を欠いていたものの、人一倍長い腕を持ち、206pという身長の割に巧みなボールハンドリングのスキルを持っていた。

 最終学年時の成績は、平均22.1点、12.4リバウンド、7.2ブロック。クリッパーズのGMを務めていたエルジン・ベイラーは、プレドラフト・ワークアウトにおけるマイルズのプレーを見て、「この少年は将来スーパースターになれるポテンシャルを持っている」と確信したという。
  6月28日、ウルブズの本拠地、ミネアポリスのターゲット・センターでドラフト本番は開催された。NBAコミッショナーのデイビッド・スターンから最初に読み上げられた名前は、予想通りマーティンだった。

 グリーンルームに陣取った家族と抱き合いながら、こらえきれず涙を流すマーティン。壇上に上がり、スターンと記念写真に収まっている間も顔を歪ませている。ドラフトで泣きながら壇上に上がった1位指名選手が、かつていただろうか。それも、強面のマーティンが涙したのだから、味わい深さもひとしおである。

 2位のグリズリーズも、予想に違わずスウィフトを指名。以下3位のクリッパーズがマイルズを、4位のブルズはアイオワ州大3年のマーカス・ファイザーを、5位のマジックはフロリダ大2年のマイク・ミラーをそれぞれ指名した。

 マイルズの登壇シーンはマーティンと対照的で、満面の笑みでスターンとハグをした後、スターンの後頭部を掌で押さえるという荒業を披露。18歳の少年が演じた予想外の無邪気な行動に、中継していた『ESPN』の放送席は笑いに包まれていた。
 ■上位指名の多くが短命に終わりメジャータイトルとも無縁

“史上最低のドラフトクラス”とされる2000年組の出世頭は、見方によって相違はあろうが、2巡目43位という下位でバックスに指名されたレッドだろう。前述した通り、唯一オールNBAチームに選出された選手であり、キャリア平均19.0点はこの年トップ。バックスという地味なチームでほぼ全キャリアを全うしたため印象は希薄だが、もし強豪チームや大都市のチームでプレーしていたら、実力面でも人気面でも、もうワンランク上の選手になっていたに違いない。

 レッドに次いで、もしくは同程度の評価とみなしてもいいのが、2000年組最長となる20シーズンのキャリアを過ごし、今シーズンも1試合のみとはいえ出場を果たした8位のジャマール・クロフォード。ずば抜けた1オン1の能力を持ち、ドリブルとシュートの能力に長けた稀代のテクニシャンは、歴代最多タイとなる3度のシックスマン賞を受賞している(2010、14、16年。もう1人はルー・ウィリアムズ)。
  その他、16位のヒドゥ・ターコルーが2008年にMIPを、ミラーが2006年にシックスマン賞を受賞しているが、得点王をはじめとするメジャーな個人スタッツのリーダーになった選手は1人もいない。

 突出した選手の不在もあるが、2000年組が史上ワーストと言われる最大の理由は、期待外れに終わった上位指名選手の多さにある。1位から15位までの上位指名選手だけでも、2位のスウィフト、3位のマイルズ、4位のファイザー、6位のダーマー・ジョンソン、7位のクリス・ミーム、11位のジェローム・モイソ、13位のコートニー・アレキサンダー、14位のマティーン・クリーブス、15位のジェイソン・コリアー、それらすべての選手が10年とリーグで生き残れなかった。故障や所属チームの事情などやむを得ない理由もあろうが、個人成績もパッとせず、鳴かず飛ばずでフェイドアウトしていった印象は拭えない。
  上位指名選手の半数以上が期待外れだったのだから、これはもう何を言われても仕方がないだろう。1位のマーティンですら、2年連続(2002、03年)のファイナル進出に貢献したものの、契約のこじれもあり、わずか4シーズンでネッツから移籍。新天地のナゲッツでも大輪の花を咲かせることはなく、キャリアを通してドラ1の名にふさわしい活躍を披露することはなかった。

 最後に、前出の『ブリーチャー・レポート』に掲載されたコラムの書き出しを引用させていただこう。

「(世の中には)良いドラフトクラスと悪いドラフトクラス、そして2000年のドラフトクラスがある。彼らがもたらしたものは、寛大に言っても、実に酷いものだった」

文●大井成義

※『ダンクシュート』2017年9月号掲載原稿に加筆・修正。

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