ABAvsNBA――1970年代に勃発した2つのライバルリーグによる“仁義なき新人争奪戦”

ABAvsNBA――1970年代に勃発した2つのライバルリーグによる“仁義なき新人争奪戦”

のちにNBAでも活躍するアービング(左)やガービン(右)はもともとABA出身。リーグを代表するスター選手として人気を博した。(C)Getty Images

劣勢のABAが禁じ手?の アンダークラスメンに触手

 1967年、NBAに対抗する第2のメジャー・バスケットボールリーグとして創設されたABAは、赤・青・白の3色ボールや3ポイントシュートの導入など、様々な新機軸を打ち出して話題を集めた。

 当時のNBAではあまり見られなかったダンクが乱れ飛ぶ、派手なプレースタイルは刺激的で「NBAは楽譜通りに演奏する交響楽団、ABAは即興演奏のジャズバンド」(代理人のロン・グリンカー)と形容された。現在のサンアントニオ・スパーズ、デンバー・ナゲッツ、インディアナ・ペイサーズ、ブルックリン・ネッツはABAから合流した球団で、リック・バリーやビリー・カニングハムのように、NBAからスター選手が移籍してきたこともあった。

 しかしながら地方都市を本拠地とする球団が多く、テレビの全米中継もない後発リーグの悲しさで、選手集めには苦戦を強いられた。ドラフトでもNBAと指名が被れば、大抵の選手は大都市を本拠とし、より財政的な基盤が安定しているNBAのほうを選んだ。

 例えばニューヨーク生まれのルー・アルシンダー(71年にカリーム・アブドゥル・ジャバーに改名)は、地元に本拠を置くABAのネッツではなく、結成2年目で縁もゆかりもなかったNBAのミルウォーキー・バックスに69年のドラフトで入団している。ABA側はリーグぐるみでアルシンダーを引き入れようと、コミッショナーを務めていたかつてのNBAの名選手、ジョージ・マイカンが直々に交渉に当たったが、マイカンは切り札として用意していた100万ドルの小切手を出し損ね、ABAの歴史を変えたかもしれない大物を取り逃がしたのだった。
  最初の3年間で、NBAの1巡目指名を蹴ってABA入りしたのはメル・ダニエルズら2人だけだった。67年、シンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)の9位指名を拒否したダニエルズはミネソタ・マスキーズに入団、その後はペイサーズで活躍して殿堂入りも果たしている。

 新人獲得競争で苦戦続きのABAが目を付けたのは、当時のNBAドラフトでは認められていなかったアンダークラスメン(大学3年生以下)の選手だった。貧しい家庭に育った選手たちにとって、1日でも早くプロ入りできて給料を稼げるのは大きな魅力だった。こうしてABAが手に入れた最初の大物が、68年のメキシコ五輪でアメリカ代表のエースとして活躍したスペンサー・ヘイウッドである。
 75年、ついにNBAの全体1位指名を拒否する選手が登場

 69年、デトロイト大の2年生だったヘイウッドは「母子家庭で養育しなければならない9人の兄弟がいる」ことを理由に、ABAのデンバー・ロケッツ(現ナゲッツ)と契約。NBAとNCAAは上を下への大騒ぎとなった。ヘイウッドは1年目からいずれもリーグトップの平均30.0点、19.5リバウンドをマークして、新人王だけでなくMVPにも選ばれた。だが、翌70年にはNBAのシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)への移籍を試みる。

 ヘイウッドとソニックスが、自分たちが所属するリーグのNBAを相手取って訴え出た異例の裁判は「選手たちがプロに転向する年齢を規制する理由はない」との判決が出て、ヘイウッド側が勝訴。アマチュア選手たちにとっては選択の幅が広がった。

 こうしてNBAでも大学卒業前の選手を獲得できるようになったが、その点ではABAに一日の長があって、71年にはジュリアス・アービングやジョージ・マッギニス、72年にはジョージ・ガービンらの有力選手をNBAに先んじて獲得に成功。71年にはダーネル・ ヒルマンら、3人のNBAドラフト1巡目指名選手がABA入りした。
  74年などはNBAドラフトで2位指名されたマービン・バーンズ、5位のボビー・ジョーンズら4人の1巡目指名選手がABAを選ぶといった具合に、着実にABAはNBAの牙城を崩していった。プレシーズンマッチなどでもABAのチームはNBAと互角に戦っ て、その実力を示した。

 そして75年、ついにNBAの1位指名を拒否する選手が現われる。ノースカロライナ州大のデイビッド・トンプソンが、NBAのアトランタ・ホークスではなくABAのナゲッツに入団したのだ。これはナゲッツGMのカール・シアーとヘッドコーチのラリー・ブラウンが、いずれもノースカロライナ州の出身だったことも大きな理由だったが、ホークスは3位指名のマービン・ウェブスターまでナゲッツに奪われてしまうなど、踏んだり蹴ったりだった。

 トンプソンとアービングという、史上屈指のダンカー2人が繰り広げる空中戦がどれほど凄まじかったかは、76年のABAオールスターで初めて開催されたスラムダンク・コンテストで、その一端を窺うことができる。
  もはやNBAもABAの影響力を無視できなくなっていたが、ABAの経営状態は当初から苦戦続きで、多くの球団が生まれては消滅していた。ドラフトにも様々な工夫を凝らし、73年には大学4年生部門、3年生以下の部門など、カテゴリー別に4回もドラフトを実施。74年は通常の新人ドラフト以外に、NBAの現役選手を指名するNBA選手ドラフト?なる謎の試みもあった。

 しかし前述したように、経営難により75−76シーズンを最後にABAは消滅。翌シーズンからペイサーズなど4球団がNBAに合流し、残る球団は解散。所属する選手たちは分散ドラフトでNBAの各球団に散っていった。こうして、ABAとNBAの9年間にわたる新人獲得を巡る争いは幕を下ろしたのだった。
 ■ABAドラフト全体1位指名選手
年 選手 指名チーム 入団チーム(リーグ/ドラフト順位) 
1967 ジミー・ウォーカー インディアナ・ペイサーズ ピストンズ(NBA/1巡目1位) 1968 エルビン・ヘイズ ヒューストン・マーベリックス ロケッツ(NBA/1巡目1位) 1969 ルー・アルシンダー* ニューヨーク・ネッツ バックス(NBA/1巡目1位) 
1970 ボブ・レイニアー ニューヨーク・ネッツ ピストンズ(NBA/1巡目1位)
1971 ジム・マクダニエルズ ダラス・シャパラルズ カロライナ・クーガーズ(ABA) 
1972 ボブ・マッカドゥー ヴァージニア・スクワイアーズ ブレーブス**(NBA/1巡目2位) 
1973 ドワイト・ラマー サンディエゴ・コンキスタドールズ コンキスタドールズ(ABA) 1974 トム・マクミラン ヴァージニア・スクワイアーズ ブレーブス**(NBA/1巡目9位) 1975 マービン・ウェブスター デンバー・ナゲッツ ナゲッツ(ABA)

ドラフト外で直接ABAのチームに入団した主な殿堂入り選手
入団チーム NBAドラフト(指名チーム) 
1967 ルーイ・ダンピアー ケンタッキー・カーネルズ 
1967年4巡目38位(ロイヤルズ***) 
1969 スペンサー・ヘイウッド デンバー・ロケッツ 
1971年2巡目30位(ブレーブス**) 
1970 ダン・イッセル ケンタッキー・カーネルズ 
1970年8巡目122位(ピストンズ) 
1971 ジュリアス・アービング ヴァージニア・スクワイアーズ 1972年1巡目12位(バックス) 
1971 アーティス・ギルモア ケンタッキー・カーネルズ 1971年7巡目117位(ブルズ) 1971 ジョージ・マッギニス インディアナ・ペイサーズ 1973年2巡目22位(シクサーズ)
1972 ジョージ・ガービン ヴァージニア・スクワイアーズ 1974年3巡目40位(サンズ)
1974 モーゼス・マローン ユタ・スターズ 
***=現キングス

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2018年3月号掲載原稿に加筆・修正

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