ティム・ハーダウェイ――伝説のキラー・クロスオーバーで一世を風靡した小さな巨人【NBAレジェンド列伝・前編】

ティム・ハーダウェイ――伝説のキラー・クロスオーバーで一世を風靡した小さな巨人【NBAレジェンド列伝・前編】

ハーダウェイが生み出した“キラー・クロスオーバー”は、NBA史に残るシグネチャームーブだった。(C)Getty Images

バスケットボールは背の高い選手に有利なスポーツだが、身長180cmそこそこの小柄な体格でスーパースターとなった者も少なくない。古くはボブ・クージー、1980年代にはアイザイア・トーマスやジョン・ストックトンが史上有数の名選手として名を残した。90年代後半からはアレン・アイバーソン、現在はクリス・ポールが大活躍している。

 これらの選手はみな、優秀なドリブラーだったという共通点がある。中でも、リーグ最強のドリブラーとして名高かったのが、身長183cmのティム・ハーダウェイだった。「俺がディフェンスを翻弄したようなクロスオーバーを繰り出せるヤツはいない。誰にだって真似できないさ」。ハーダウェイが誇りとしている“キラー・クロスオーバー”は、身体の小さい選手たちに多大な勇気と影響を与えた、歴史に残るシグネチャームーブだった。
 ■わずか183cmの身長でNBAに殴り込んだ男

 ハーダウェイのバスケットボールの才能は、父親譲りのものだった。父もシカゴ界隈では有名なストリートボールの選手だったのだ。赤ん坊の頃から、彼はボールをおもちゃ代わりに育った。12歳の時に両親が離婚した辛さを忘れさせてくれたのも、バスケットボールだった。

 ただ、彼は背の低さというハンデを抱えていた。父は身長が190cm 以上あったのに、150cmに満たない小柄な母親の血を受け継いでしまったのだ。けれども、そのことが身長の高い選手には絶対負けないとの闘争心を掻き立てた。犯罪の多発する環境に育ったことも、バスケットボールで身を立てて豊かな暮らしを手に入れようとの強い意志を支えた。

 キラー・クロスオーバーをマスターしたのは、テキサス大エルパソ校1年生の夏だった。「シラキュース大のパール・ワシントンが、この技を使っていたのをテレビで見たんだ。一体どうやっていたのか分からなかったけど、あのドリブルをモノにできれば、すごい武器になると思った」。弟のドナルドを相手に、ハーダウェイは徹底的に練習を積んだ。通常のクロスオーバー・ドリブルにレッグスルーをミックスした上で、一連の動きを目にも止まらぬ速さで決められるようになった時、ハーダウェイは特別な選手となった。身体の小ささも、この時ばかりは助けとなった。重心が低いため、ボールをより上手くキープすることができたからである。
  大学4年間では1586点を稼ぎ、同じように小柄なポイントガードとしてNBAでも大活躍した、ネイト・アーチボルドの学校記録を更新した。身長183cm未満の最優秀選手に贈られるフランセス・ポメロイ・ネイスミス賞も手にした。それでも、NBAのスカウトたちは彼の身長がどうしても気になった。89年のドラフトでは、ようやく14位でゴールデンステイト・ウォリアーズから指名された。弱点であるフロントコート補強を希望していたファンも、ハーダウェイの指名にいい顔をしなかった。

 けれども、そうした批判や疑念は実力で封じ込めた。79試合中1試合を除いてすべて先発出場。平均14.7点、8.7アシスト(リーグ9位)、2.09スティール(同10位)の素晴らしい数字を残した。689アシストは、新人としては史上3位の高水準だった。残念ながら、新人王は2年前にドラフトされたのち、海軍に入隊してプロ入りが遅れていたデビッド・ロビンソン(サンアントニオ・スパーズ)の手に渡ったが、ハーダウェイの数字は自分より前に指名された13人と比較しても際立っていた。
 ■一世を風靡した、超攻撃トリオ、RUN-TMC

 成績だけでなく、自慢のキラー・クロスオーバーで彼は瞬く間に人気選手となった。ファンだけでなく、他球団の選手たちも目を見張った。「あれほどえげつないムーブは見たことがない。驚異という以外にないね」(マジック・ジョンソン)。

 翌90-91シーズンは平均得点が22.9まで伸び、9.7アシストは4位、2.61スティールは5位。2年目にしてリーグ有数のポイントガードとなった。プレーオフでもロサンゼルス・レイカーズとのカンファレンス準決勝第2戦で28点、14アシストに加え、当時のプレーオフ新記録となる8スティール。第5戦でも27点、20アシストと大暴れした。

 これほど早く成功を収めた理由のひとつには、当時のウォリアーズのチーム事情があった。ヘッドコーチのドン・ネルソンが、選手たちをとにかく走らせ、積極的にシュートを打たせるラン・アンド・ガン戦法の信奉者で、ハーダウェイのプレースタイルはその方針に完全に一致していたのだ。ハーダウェイ以外にも、クリス・マリンが25.7点、ミッチ・リッチモンドが23.9点の高得点。この3人が展開する超攻撃的なバスケットボールはファンの人気を博し、80年代の人気ラップグループ、RUN-DMCをもじって「RUN-TMC」(TMCはハーダウェイ、リッチモンド、マリンのファーストネームの頭文字)と呼ばれた。(後編に続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年12月号掲載原稿に加筆・修正。

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