やっぱり汚れた英雄? “中国競泳界の巨星”孫楊はなぜ世界を敵に回してしまったのか

やっぱり汚れた英雄? “中国競泳界の巨星”孫楊はなぜ世界を敵に回してしまったのか

厳罰が「無効」となっただけで「無実」は証明されていない。いまだ孫楊のキャリアには暗雲が垂れ込めている。(C)Getty Images

古今東西、これだけ世界中でバッシングを浴びたアスリートも珍しいだろう。五輪で3つの金メダルに輝いたレジェンドにして中国競泳界のスーパースター、孫楊(ソン・ヤン)である。
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 12月24日、スイス連邦最高裁判所はひとつの声明を発表した。今年2月28日、WADA(世界アンチ・ドーピング機構)が告発した孫楊のドーピング拒否問題に関して、CAS(スポーツ仲裁裁判所)は有罪と認定。29歳の名スイマーに対して、事実上の引退勧告ともいえる「8年間の資格停止処分」を言い渡した。しかし孫楊側の上訴を受けていたスイス最高裁はそれから10か月が経って、その裁決を無効としたのだ。CASが開いた聴聞会に「偏見」や「不公平さ」があったとも指摘している。

 まさかの逆転判決を、競泳界のみならず世界中が驚きをもって受け止めた。もはや孫楊のキャリは終焉を迎え、東京五輪出場は風前の灯だと考えられていたからだ。ツイッターをはじめとするSNS上では白紙撤回に対する不満の声が相次ぎ、一方で、孫楊を英雄視する大半の中国人ファンはウェイボーなどにジャッジを支持・絶賛するコメントを寄せている。

 なぜ孫楊は、これほどまでに世界で嫌われるに至ったのか。当然、今回のドタバタ劇だけが原因ではない。
 孫楊は1991年12月1日、中国の杭州で生まれた。父親がバスケットボールの、母親がバレーボールの元選手というアスリート家系で、2メートル近い長身と屈強な体躯はまさに両親譲りだ。裕福な生活のなかで何不自由なく育ち、7歳で水泳をはじめるとあっという間に才能を開花させたという。ジュニア年代から国の特別強化選手に選ばれ、英才教育を施されるのだ。

 自由形のトップ選手となった孫楊は17歳で自国開催の北京五輪にエントリー。1500メートルで8位に食い込む健闘をみせると、以降はスターダムを駆け上がる。アジア大会や世界選手権で表彰台の常連となり、2012年のロンドン五輪では2つの金メダルを獲得。その後も世界のトップシーンに君臨し続け、4年前のリオデジャネイロ五輪でも200メートルで金メダルを掴んだ。

 中国国内では瞬く間にスーパースターの地位を確保し、NBAの姚明(ヤオ・ミン)や陸上110メートル・ハードルのアテネ五輪金メダリスト、劉翔(リョウ・シャン)らと並び称されるほどに。時に物議を醸す歯に衣着せぬ言動と愛国心の強さが国民の共感を呼び、一躍人気者となった。全盛時には10社前後とCM契約を結ぶなど、収入面でも同国トップクラスのポジションを維持した。

 そんな孫楊の周辺で、常に暗い影となってつきまとったのがドーピング疑惑だ。

【PHOTO】夏冬五輪で輝け! 世界のスポーツシーンを彩る「美女トップアスリート」たちを厳選! ロンドン五輪から2年後の2014年11月、孫楊は中国国内の大会で検査を受け、初めて「クロ」と判定される。禁止されている興奮剤を使ったためで、FINA(国際水泳連盟)から3か月間の資格停止処分を受けた。
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 だがこの大甘な裁定に世界中のスイマーらが反発の意を一斉に示し、メディアも反論を展開する。オーストラリアの自由形スイマーで、リオ五輪400メートルで金メダルに輝いたマック・ホートンは名指しで「薬物違反者だ」と糾弾した。だがその後、ホートンは豪州在住の中国人留学生らに死の脅迫を受けたほか、両親が暮らす実家に夜中の騒音や犬の糞を庭に投げつけられるなど、数え切れないほどの嫌がらせを受けたという。これらをメディアが報じるに至り、孫楊の預かりしらぬところで、悪名が助長されていった。

 そしていまから2年前、件の“ハンマー破壊事件”が起こるのだ。
 抜き打ちのドーピング検査が行なわれたのは、2018年9月4日の夜。中国の杭州市にある孫楊の別荘だった。派遣されたのはドーピングコントロール検査官(女性)、尿採取の担当者(男性)、血液採取の担当者(女性)の3人。それぞれが正式な資格を持つ者であることを証明するIDまたはライセンスを選手側に提示した。孫楊のほか、彼の母である楊明(コン・ミン)さんも立ち会ったという。

 3人の身元を確認した孫楊は承諾書にサインをし、まずはふたつの血液検体採取に応じた。孫楊側はのちに初期段階で身分証明書を提示されなかった、そこに不備があったと強く主張したが、この点において明らかな相違がある。彼は検査官たちをしっかり認知し、最初から受け入れていたということだ。そして検査官が厳重な鍵のかかったボックスに容器を収めた直後、問題が起こった。

 尿検査の担当者が、孫楊の写真を数枚撮影。この行為に違和感を覚えた孫楊が「プロフェッショナルじゃない!」と騒ぎ立て、もう一度、その身分証明書を見せるように詰め寄った。「これは居住者IDでしかない」と断じて、彼が担当するはずだった尿の採取を拒否したのである。

【PHOTO】夏冬五輪で輝け! 世界のスポーツシーンを彩る「美女トップアスリート」たちを厳選! 孫楊と母親は即座に、電話でスタッフに招集をかけた。まもなくして駆け込んできたのが専属ドクターで、彼は中国代表チームドクターや国内ドーピング機関の専門家などに次々と電話で相談。最終的に医師団は孫楊に対して、「検査チームすべての身分証明書に不備があり、基準を満たしていない」と疑いをかけ、血液サンプルの持ち出しを断固拒否するよう進言した。
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 リーダーである検査官は、抵抗する。「サンプルを取り上げることは正規の検査で違反を犯すよりも、重大な過失につながる。考え直したほうがいい」と警告もした。だが孫楊は強硬な姿勢で容器を寄越すように迫り、検査官はボックスから取り出して彼に手渡した。WADAが「脅迫的な言動」と表現したのは、まさにここでのやり取りだ。

 やがて孫楊はボディーガードに検体の入った容器をハンマーで壊すように指示。その際にも検査官との間で押し問答があったが、結果的に容器は壊され、孫楊はボディーガードが正確な作業ができるように、スマホのスポットライトを光らせて手助けまでした。彼らは中に収められていた血液サンプルの奪取に成功したのだ。

 そして孫楊は驚きの暴挙に出る。サイン済みの同意書も検査官から取り上げ、ビリビリに破り捨てたという。レポートの中でCASは「驚くべきことに(CASでの)審理の間、選手(孫楊)は自身の行動に対していっさい反省の弁を述べなかった。強情な態度で、他者の過失をひたすら攻撃し続けたのだ」と評している。
 FINAは年が明けて2019年1月、ハンマーでの破壊行為を認めつつも、孫楊側の主張をおおむね受け入れて、口頭での注意にとどめる意外な裁定を下す。孫楊はお咎めなしで同年7月の世界選手権に出場し、自由形でふたつの金メダルを獲得した。WADAはFINAの甘すぎる対応に遺憾の意を示して、CASへの提訴に踏み切ったという流れだ。

 その世界選手権では、先述のホートンが抗議の意味を込めて孫楊と同じ表彰台に上ることを拒否。追随したのが英国のダンカン・スコットで、彼は孫楊とのメダリスト記念撮影を拒んだ。この行為に激怒した孫楊は「どういうつもりだ! この負け犬め!」と罵り、その様子をライブ映像が捉えていたため、世界的な猛批判を受けることとなったのだ。

【PHOTO】夏冬五輪で輝け! 世界のスポーツシーンを彩る「美女トップアスリート」たちを厳選! CASとの聴聞会ではたしかに、英語が不得意な孫楊にとっては完全アウェーの場だっただろう。審査官3人はすべて欧州出身者で、ほかにも中国語ができる適任者がいたにもかかわらず、CASは人選において配慮を欠いた。加えて米紙『ニューヨーク・タイムズ』によると、弁護団がスイス最高裁に送った上訴文で強調したのが、審査官のリーダーによる人種差別的な思想だったという。
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 聴聞会を仕切ったのは、かつてイタリアの外務大臣も務めたフランコ・フラッティーニ氏。弁護団はフラッティーニ氏がことあるごとにツイッターなどで中国を攻撃してきた証拠を集め、完全なアンチである点を訴えた。とりわけ中国国内で行なわれている動物虐待の実態などを徹底的に非難しており、聴聞会の以前から中国蔑視のスタンスが明白だったと断じている。

 WADAはスイス最高裁の差し戻し命令を受理し、CASも再審査を約束した。新たなリーダーの下で仕切り直しとなるが、欧米メディアはおおむね「厳罰に大きな変化はなし」と見ており、数年の減刑が見込める程度だろうと予測している。来年夏の東京五輪出場は、現実的に厳しいとの見方がもっぱらだ。
 ただ、それも孫楊側の態度次第だろう。ドーピング拒否に至った事実を認めて謝罪すべき点は謝罪し、反省の弁を述べるとともに会へのリスペクトを発露できなければ、世界が抱いている反感も払拭できない。さすがにいまでは中国国内のメディアでも、懐疑的かつ慎重な論調を示すところが少なくないのだ。

 栄光に彩られたキャリアから一転、その名声が地に堕ちてしまった孫楊。生ける伝説は聴聞会でなにを話し、現役続行へのいかなる青写真を描いているのか。世界中の注目がふたたび、29歳の言動に注がれる。

構成●THE DIGEST編集部

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