自分の実力に疑問を抱き、謙虚さで成功を収めたマクミランのキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

自分の実力に疑問を抱き、謙虚さで成功を収めたマクミランのキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

コートに立てば常に全力を尽くし、シアトルのファンから絶大な人気を誇ったマクミラン。背番号10はチームの欠番となっている。(C)Getty Images

■ケガを押してコートに立つと拍手と歓声が止まなかった

 プレーメークとディフェンスで高い評価を受けていたマクミランだが、得点力だけはなかなか身に付かず、平均得点は2年目の7.6点がキャリア最高。決してシュートが下手なわけではなかったが、フリースローが不得意で、通算成功率は65%に止まった。90-91シーズンにペイトンが入団して以降は控えに回されたが、苦手なフリースローを克服できなかったことも、その理由のひとつだった。

 しかし、ベンチから出場するようになっても、マクミランはその卓越したリーダーシップで個性に富む選手たちをまとめ続けた。彼が口を開けば誰もが耳を傾けたことから、トーク番組のホストを務めていたオプラ・ウィンフリーに掛けて“オプラ・マクミラン”と呼ぶ者もいた。

「自分は練習に遅刻したこともなければ、準備不足のまま試合に臨んだこともなかった。チームの皆が言うことを聞いてくれたのは、そうした日々の態度を見ていたからだろう」

 93-94シーズンにはスティールの総数216本、平均3.0本のいずれもリーグ1位となり、ソニックスもリーグ最多の63勝を記録する。シックスマン賞の投票では、デル・カリー(シャーロット・ホーネッツ)に惜しくも9票差で敗れたものの、その貢献度の高さは具体的な数字として証明されている。考案されたばかりの『プラス・マイナス・システム』、すなわち出場時間中の得失点差を測った統計で、マクミランはリーグトップの+616をマークしたのだ。
  だが、30歳を過ぎた頃からは満身創痍の日々が続く。足首の手術を2回、ヒザの手術を1回、さらに首の痛みにも悩まされた。96年にソニックスはファイナル進出を果たしたが、坐骨神経痛に苦しむマクミランは第1戦に6分間出場しただけで、続く2試合を欠場。その間チームはシカゴ・ブルズになす術もなく3連敗を喫した。

 すると「シューズの紐を結ぼうとするだけでも痛む」ほど酷い状態だったにもかかわらず、マクミランは第4戦への強行出場を決める。

「バスケットボール人生で最高の舞台に立てないなんてあり得ない。夏になれば休みたいだけ休めるし、自分が出ることで士気が上がればと思った」。

 第1クォーター終盤に彼がコートに立つと、本拠地キー・アリーナは興奮の坩堝と化し、拍手と歓声が何十秒間も止まなかった。そして、14分間で2本の3ポイントを含む8点をあげ、ペイトンの負担も軽減してチームの勝利を助けたマクミランの働きぶりは、敵味方を問わず称賛を集めた。普段は辛辣な敵将フィル・ジャクソンですら、「ウィリス・リードを思い出したよ」と、70年のファイナル第7戦で、痛めた足を引きずりながらコートに現われ、ニューヨーク・ニックスのチームメイトを奮い立たせた往年の名選手を引き合いに出して称えたほどである。

 続く第5戦も勝利を収めたソニックスだったが、第6戦で力尽きる。「もし、あの年にチャンピオンになっていたら、今でもソニックスはシアトルにあって、私がコーチをしていたかもしれない。コンディションさえ万全だったら、勝てた可能性はあったと信じているよ。もちろんマイケル(ジョーダン)が相手だったから、どうなったかは分からないけどね」。
 ■自分の実力に常に疑問を抱き、その謙虚さで成功を収める

 膝痛の悪化で97-98シーズンは18試合の出場に止まると、マクミランはこのシーズン限りで引退する。

「ケガだらけで、100%の状態でプレーできないことが何よりもフラストレーションだった。昔の自分ではなくなってしまったんだ。もうこんな思いをしなくていいのかと考えると、それだけでも嬉しいよ」。

 通算4893アシストと1544スティールは、その時点でのソニックスの球団記録。『シアトル・タイムズ』紙のスティーブ・ケリー記者は、「彼の遺産は数字ではなくリーダーシップだった。シューズの契約や自己アピールに余念のないような選手ではなく、彼の頭の中には勝利とチームメイトを手助けすること以外に何もなかった」と別れを惜しんだ。

 引退後はソニックスのアシスタントコーチを経て、2000-01シーズンにHCに昇格。「自分がヘッドコーチになるとは思ってもいなかった。アシスタントで10年か20年経験を積んだら、そんな日が来るかもしれないとは思っていたけれどね」と言うマクミランは同時に、「コーチになって初めて、自己中心的でなく、チームを第一に考える自分のような選手がどれほど大切か分かった」と、指導者として選手たちをまとめる難しさを痛感させられた。
  05-06シーズンからはポートランド・ブレイザーズ、16-17シーズンからはインディアナ・ペイサーズの指揮を執り、合計16年間HCを務め、プレーオフにも9回進出したが、カンファレンス準決勝より先には一度も進めなかった。昨季限りでペイサーズのHCを解任され、現在はアトランタ・ホークスのアシスタントコーチとして、若手の多いチームを支えている。

「ドラフト指名を受けただけで、これで将来、子どもに自慢できる材料ができたと思ったくらいだった。そんな風に、いつも自分の実力には疑問を抱いていて、必ず仕事が与えられるなんて考えられなかったから、とにかく常に全力を尽くそうとしたんだ」と、マクミランは現役時代を振り返る。こうした謙虚さがあったからこそ、彼は成功を収められたのだろう。

 残した数字だけで判断すれば、平凡な選手にしか思えない。それでも彼のプレーを間近で見てきた仲間たち、そしてシアトルのファンにとっては、マクミランこそが唯一無二のミスター・ソニックなのだ。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年3月号掲載原稿に加筆・修正。

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