【NBA背番号外伝】魔術師マラビッチ、現役では点取り屋デュラントが背負う“隠れた人気ナンバー”「7」の歴史

【NBA背番号外伝】魔術師マラビッチ、現役では点取り屋デュラントが背負う“隠れた人気ナンバー”「7」の歴史

学生時代から35番を着用していたデュラントだが、2019年のネッツ移籍を機に、聖書で聖なる数字である7に変更。なお、移籍を発表した日は7月7日だった。(C)Getty Images

■短期間で強い印象を残した“ピストル・ピート”

 背番号7の永久欠番はNBAでは3人いる。そのうち最も有名な選手はピート・マラビッチだろう。著名なガンマンの名を取って“ピストル・ピート”と呼ばれた天才的なシュート力と、驚異的なパスセンスを兼ね備えた、バスケットボール史上屈指のショーマン。

 背番号23だったルイジアナ州大時代に平均44点をマークしたことを記念して、アトランタ・ホークス時代は44番をつけたが、ニューオリンズ(現ユタ)・ジャズに移籍後の1976年、プロ7年目という理由で7番に。結局この番号でプレーしたのは5年間だけだったが、ジャズで欠番になっているのはもちろん、プレー経験のないペリカンズでも欠番扱いとされている。いかにマラビッチがニューオリンズおよびルイジアナ州で英雄視されているかがわかるだろう。

 マラビッチのように、7番にはシュートの上手い選手が多い。79年にクリーブランド・キャバリアーズを退団した際、欠番第1号となったビンゴ・スミスも、“レインボー・ジャンパー”と称されたジャンプシュートの使い手だった。80年代前半のデトロイト・ピストンズで活躍したケリー・トリピューカは、欠番になる前のジャズとホーネッツ(現ペリカンズ)で7番。
  近年ではラシャード・ルイス(シアトル・スーパーソニックス=現オクラホマシティ・サンダー時代)、ベン・ゴードン(シカゴ・ブルズ時代など)、JJ・レディック(オーランド・マジック時代)、アンドレア・バルニャーニ(トロント・ラプターズ時代)も、シュート力の高さが売りだった。

 ただ彼らに対しては、「シュート以外は凡庸」、「実力以上に年俸が高い」など、批判的な見方も少なくなかった。その点、今季から21番で再スタートを切ったケビン・デュラントは超一流のシューターであるだけでなく、総合的な得点力やディフェンスも一級品。サンダーやゴールデンステイト・ウォリアーズではずっと35番だったが、ブルックリン・ネッツ移籍時に聖書で聖なる数字とされている7を背負うと決めた。

 少し前まで7番の代表格だったのがカーメロ・アンソニー。デンバー・ナゲッツ時代は15番だったが、息子が3月7日生まれであることと、高校時代の背番号22から15を引くと7になるという2つの理由で、ニューヨーク・ニックスへの移籍を機に変えた。現在はポートランド・トレイルブレイザーズで00番だが、これは7番が実質的に欠番扱いになっているから。
  同球団で最後の7番だったのは、カーメロと同い年のブランドン・ロイ。無類の勝負強さを誇り、2008年から3年連続でオールスターに出場。スターダムを駆け上がっていたが、ヒザのケガにより26歳で事実上選手生命を断たれた。まだ正式な欠番とはされておらず、カーメロは未練たらたら、さらにロイ自身も「カーメロにつけてもらえるなら名誉だ」とまで言っているのだが、宙ぶらりんの状態が続いている。

 1980〜90年代には、背番号7を背負ったPGの活躍が目立った。その筆頭が、2008〜16年にサクラメント市長を務めたケビン・ジョンソン(KJ)。大学時代〜プロ入り当初は11番だったが、フェニックス・サンズに移籍して2年目の88年、ドラフト7位指名にちなんで7番に変更。小柄ながらも抜群の身体能力を生かして豪快なダンクを決め、パサーとしても通算9.1アシストをマークして、サンズの欠番になった。

 ケニー・アンダーソンはネッツをはじめとする4球団で7番、キャブズで11番だったテレル・ブランドンは、ミルウォーキー・バックスとミネソタ・ティンバーウルブズでこの番号を選んだ。ディー・ブラウン(ボストン・セルティックス)は91年に行なわれたダンクコンテストで目隠しダンクを披露したことで有名。セルティックスでは同姓のジェイレン・ブラウンが現在7番で活躍中である。こちらはPGではなくウイングの選手だが、ディーに敬意を表し、目隠しダンクを模した画像をセルティックスの公式サイトに上げたこともあった。
  現役のPGではカイル・ラウリー(ラプターズ)が15年から6年連続でオールスターに出場。昨季ラプターズで17番だったジェレミー・リンは、デュラントと同じく聖書に因んで7番か、空き番号でなかった場合は1をプラスして17番をつけている。昨季のプレーオフで大活躍したゴラン・ドラギッチは、15年にマイアミ・ヒートへ移籍してからずっと7番。バックスで背番号13だったマルコム・ブログドンは、インディアナ・ペイサーズ移籍時に「好きな数字」という単純明快な理由で7番に変えた。

 背番号7で最初のスター選手と言われるアンディ・フィリップもPGで、50年代に5度オールスターに選ばれた名司令塔。ウォリアーズ時代の3年間で7番をつけ、51、52年に2年連続アシスト王に輝いた。

 クロアチア出身のトニー・クーコッチは、95年にシックスマン賞を受賞した左利きのオールラウンダー。PGではないけれども、208pの長身ながら視野が広く“ヨーロッパのマジック・ジョンソン”と呼ばれ、ブルズの2度目の3連覇時の重要なメンバーだった。

 そのほかビッグマンでは、ペイサーズ在籍時の02年にMIPを受賞したジャーメイン・オニール)、多彩なスキルで09、10年にレイカーズの連覇に貢献したラマー・オドムが長きにわたって7番を背負った。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2014年4月号掲載原稿に加筆・修正。

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