オーランドを熱狂させたシャック&ペニー。史上最強に“近づいた“コンビの結成秘話【NBAデュオ列伝|前編】〈DUNKSHOOT〉

オーランドを熱狂させたシャック&ペニー。史上最強に“近づいた“コンビの結成秘話【NBAデュオ列伝|前編】〈DUNKSHOOT〉

シャック(左)&ペニー(右)は史上最強デュオとなりうる可能性を間違いなく秘めていた。(C)Getty Images

プレーオフで敗れたとはいえ、2004-05シーズンにイースタン・カンファレンス首位に輝いたマイアミ・ヒートにとって、2004年オフにロサンゼルス・レイカーズからシャキール・オニールを獲得したのは大正解だったと言えるだろう。

 もちろん、ヒートの躍進はシャックだけの功績だけではない。キャリア2年目のドゥエイン・ウェイドがリーグを代表するスーパースターへと成長を遂げたことが大きく、その点はシャックも認めるのにやぶさかではない。2005年の始め頃、シャックはウェイドをこのように形容している。

「とうとう、俺は自分のような選手と一緒にプレーすることができた。前の2人の坊やたちは、月の裏側にいたようなもの。だが、こいつは月の同じ側、俺と同じ星にいるのさ」

 “前の坊やたち”のうち、1人は言うまでもなくレイカーズのコビー・ブライアントのことである。そしてもう1人はオーランド・マジック時代の同僚だったアンファニー・“ペニー”ハーダウェイを指している。

 今では知らない人も多くなっただろうが、かつてペニーは、現在のコビーに匹敵するほどの人気と存在感を誇ったスーパースターだった。そしてシャックとペニーは、NBA史上最強のデュオとなりうる可能性を、間違いなく秘めていたコンビだった。
 ■コンビ結成3年目にしてファイナル進出を果たす

 シャックはまぎれもなく20年に1人出るかどうかの逸材だった。すでに13歳の時点で、後に入学することになるルイジアナ州大のヘッドコーチから勧誘されたという逸話さえあったほどだ。1992年のドラフトでマジックから1位指名を受けたシャックは、瞬く間にNBAのトッププレーヤーの座に上り詰めた。

 身長216cm、体重137kg(マジック入団時)の屈強な体格を利用したパワープレーがシャック最大の武器だった。バックボードを破壊するほど凄まじいダンクは“シャック・アタック”と形容されたほか、フットワークも意外なほど俊敏で、ボールハンドリングも器用にこなした。フリースローだけはどうしようもないほど下手だったが、それ以外の部分ではまったく申し分なかった。
  ディフェンス面でもその巨体でゴール下を占領し、面白いようにリバウンドを取りまくった。平均23.4点、13.9リバウンドの好成績を残したシャックは、文句なしに新人王に選ばれ、チームは前年よりも20も勝ち星を伸ばした。実力だけでなく、その愛敬のある顔立ちや振る舞いも手伝って、シャックはたちまち人気になった。

 その1年後にマジックに入団して来たのがペニーだ。メンフィス州大から1993年のドラフト1巡目3位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名され、その直後に成立したトレードにより、1位指名のクリス・ウェバーとの交換で、3つの1巡目指名権とともにマジックへ移ったのである。

 ペニー獲得を強く主張したのが、ほかならぬシャックだった。シャックはペニーとは旧知の仲で、彼のポイントカードとしての才能を高く買っていた。
  2人が最初に会ったのは高校時代のこと。全米規模の選抜大会で、同じチームでプレーした経験があったのである。その後、1993年にカレッジ・バスケットボールの世界を描いた『ブルー・チップス』という映画に、2人はバスケットボール選手役で出演。シャックはプロ1年目のシーズンを終えたばかり、ペニーはプロ入りの決意を固めた時期のことだった。

「シャックにはいつも笑わせられっぱなしだったよ。まったく天性のコメディアンだね」

 撮影を通じて、2人は次第にその絆を深めていった。ともに幼い頃に実父と別れ、幸福な少年時代を過ごしていなかったという共通点があり、極めて珍しい名前を持っている点も同じである。シャキール(Shaquille)とは“小さな戦士”という意味を持つ、イスラム教の聖典コーランの言葉で、アンファニー(Anfernee)は母親の友人からもらった名前だった。

 シャックはマジックの首脳陣にペニーを強力に推薦。ペニーも自らマジックに売り込みをかけ、トライアウトで実力を証明し、指名を決意させた。

 だが、ウェバーの獲得を望んでいたマジック・ファンはトレードに不満だった。彼らはペニーにブーイングを浴びせ、ペニーは心に傷を負ってしまう。彼は後に“人生最悪の経験”としてこのブーイングを挙げている。
  それでもペニーはすぐに頭角を現わす。ポイントガードとしては身体が大きく、中に切り込んでいっても、外から打っても自在に得点できるペニーをディフェンスするのは難しかった。プレーメーキングやディフェンスにも冴えを見せ、同じ長身ポイントガードだったマジック・ジョンソンからも「自分で鏡を見ているようだ」と絶賛された。

 1年目から平均16点、6.6アシストを記録し、2.32スティールはリーグ6位。新人王投票では惜しくも次点だったが(1位はウェバー)、オールルーキー1stチームに選出され、オールスターの第1回ルーキーゲーム(現ライジングスターズ)でもMVPを受賞した。

 頼もしい相棒の出現に、シャックは目を細めた。

「どんなセンターだってペニーと一緒にプレーしたいはずさ。俺たちはきっと優勝できる、それも何回もな」

 2人がコンビを組んで1年目の1993-94シーズン、マジックは球団創設以来初のプレーオフ進出を果たし、続く1994-95シーズンには、1991~93年にシカゴ・ブルズで3連覇を経験したホーレス・グラントが加わり、開幕から勝ち進む。シャックが平均29.3点で初の得点王に輝けば、ペニーも平均20.9点、7.2アシストとさらに数字を伸ばし、オールスターにも出場した。
  2人のコンビプレーは冴えわたり、ペニーのパスを受けてのシャックの豪快なアウリープは、オーランド・アリーナの名物となった。「シャックがどう動くかはすべて頭に入っている。いつ、どうやってパスを繰り出せばいいか、全部わかってるんだ。僕たちに言葉なんて必要ないさ」(ペニー)

 シャックとペニーは、レイカーズの黄金時代を築いたカリーム・アブドゥル・ジャバ―とマジック・ジョンソン以来、最高のセンターとポイントガードの組み合わせだった。

 1994-95シーズン、マジックはイースタン・カンファレンス最多の57勝を記録。プレーオフではマイケル・ジョーダンの復帰したブルズ、そしてインディアナ・ペイサーズを激戦の末に下し、NBAファイナルに進出する。アキーム・オラジュワン率いるヒューストン・ロケッツ相手に1勝もできず優勝は逃したが、シャックとペニーがいれば、今後何年にもわたって優勝戦線に顔を出すのは間違いないと思われた。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2005年7月号掲載原稿に加筆・修正。

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