北京五輪でコビーが果たした”グルーガイ”としての役割。かつての恩師とチームメイトが当時を懐古〈DUNKSHOOT〉

北京五輪でコビーが果たした”グルーガイ”としての役割。かつての恩師とチームメイトが当時を懐古〈DUNKSHOOT〉

金メダル奪回を掲げて臨んだ08年北京五輪。ベテランのコビーは黒子役に徹し、若手とともに母国を頂点に導いた。(C)Getty Images

オリンピックにおけるバスケットボールの歴史を語るうえで、1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得した「ドリームチーム」は欠かせない。現役NBA選手が史上初めて五輪の舞台に参戦し、“神様”マイケル・ジョーダンを筆頭にマジック・ジョンソン、ラリー・バード、チャールズ・バークレー、パトリック・ユーイング、スコッティ・ピッペンら超豪華メンバーが集結。全8試合を通じて平均43.8点差をつけて頂点に立ったスター軍団は、今もなお“史上最高のチーム”として語り継がれている。

 その夢の軍団に次いでアメリカ代表史上2番目に優れたチームとも言われたのが、2008年の北京五輪に出場した「リディームチーム」(Redeem Team)だ。銅メダルに終わった2004年のアテネ五輪から“名誉挽回”を期すべく、コビー・ブライアント、レブロン・ジェームズ、ドゥエイン・ウェイド、カーメロ・アンソニー、クリス・ボッシュ、ドワイト・ハワード、ジェイソン・キッド、クリス・ポール、デロン・ウィリアムズ、テイショーン・プリンス、カルロス・ブーザー、マイケル・レッドと当時の最強チームを結成。決勝でスペインを破って金メダルを獲得し、王国の威厳を取り戻した。
  当時のチームは、ウェイドが“スーパーサブ”としてチームトップの平均16.0点、2007−08シーズンにNBA得点王(平均30.0点)に輝いたレブロンがそれに次ぐ平均15.5点をマーク。レイカーズ、そしてリーグの顔だったコビーはチーム3位の平均15.0点を記録した一方で、スコアリングではなく“グルーガイ”(接着剤のように選手と選手をつなぐ仕事をする選手)として、レブロンやウェイド、カーメロら若手を支えることを選択した。マイク・シャシェフスキーHC(ヘッドコーチ)には、「俺が相手を徹底的に叩き潰してみせます」と、エースストッパーの役割を申し出ていたという。

 午前5時にジムで練習するコビーにウェイドが最初に加わり、次にレブロン、そしてほどなくしてほかの選手たちも合流。コビーのリーダーシップの下、選手たちは絆を深め、チームは一致団結した。
  2000〜02年の3連覇を含め、レイカーズで5度の優勝を分かち合ったフィル・ジャクソン元HCは、ポッドキャスト『The Dream Team Tapes』で、コビーがいかにチームをまとめていたかについて語っている。

「彼とオリンピックの話をした時、どれだけ楽しかったかを振り返っていたよ。ウェイドやレブロンなど様々な選手のキャラクター、若い選手たちが負けずについてくることができたか、チームメイトとして彼らにハードな特訓をつけたかを訊いた。(チームのために)すべてをやっていたよ」
  また、当時24歳で現在は大ベテランとなったカーメロにとっても、コビーと過ごした大会、そしてリディームチームは印象に残るものだったようだ。

「俺たちにとっても、すごく心地の良い空間だった。コビーはゆっくりと警戒を緩め、レンガが崩れていくのを目の当たりにしたはずだ。みんなと同じように笑い、コミュニケーションを取り、ストーリーを共有して、勝利の感覚が広がっていった」

 ジョーダンの後継者と言われ、長年リーグのトップに君臨してきたエゴを抑え、世界一奪還のために尽くしたコビー。のちにレブロンが語った、「コビーとのプレーは俺にとって夢の実現だった」という言葉も、心の底から出たものに違いない。

構成●ダンクシュート編集部

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