相性抜群のキッドとマーティンを引き裂いた「契約問題」。コンビ解消後は明暗が分かれ…【NBAデュオ列伝|後編】〈DUNKSHOOT〉

相性抜群のキッドとマーティンを引き裂いた「契約問題」。コンビ解消後は明暗が分かれ…【NBAデュオ列伝|後編】〈DUNKSHOOT〉

司令塔のキッド(右)がマーティン(左)を巧みに操り、ネッツは瞬く間にイーストの強豪に。2002、03年にはファイナルに進出した。(C)Getty Images

■スピーディーなバスケで予想外の旋風を巻き起こす

 シーズンが開幕すると、キッドがディフェンシブ・リバウンドから一気に速攻へ持ち込んで絶妙なロングパスを送り、それを受けたマーティンが豪快なアウリープを決めるシーンがたびたび演出された。彼らはNBAで最もエキサイティングなデュオとして脚光を浴びるようになった。マーティンはディフェンス面でも才能を発揮し、この年NBAに復帰したマイケル・ジョーダンをして、「彼があんなにいいディフェンダーだったとは」と驚かせるほどの進化を見せた。

 だがその一方で、リーグ一危険な選手という評判も立った。12月のユタ・ジャズ戦では、カール・マローンに対するフレイグラントファウルで1試合の出場停止と罰金7500ドル。年明けにはオーランド・マジック戦で、トレイシー・マグレディを殴って2試合の出場停止に罰金1万5000ドルを科された。
 「ケニョンはダーティーなヤツじゃない。あのプレースタイルは、シンシナティで叩き込まれたものなんだよ」。大学時代のチームメイト、ダーマー・ジョンソンのように擁護してくれる者は少数派だった。

 メディアはこぞってマーティンを攻撃し、デイビッド・スターン・コミッショナーも「このリーグにずっといたいなら、態度を改めるべき」と苦言を呈した。コンビを組むキッドでさえも、「自分がレフェリーに目をつけられているということを知るべきだ。一度ダーティーな選手だというレッテルを貼られたら、それを拭い去るのは難しいぞ」と忠告した。しかしマーティンは、シーズン通算でフレイグラントファウル6回、出場停止7試合、罰金額の合計は34万7000ドルにも達してしまった。

 それでもこうしたゴタゴタを乗り越えて、ネッツはキッドの宣言通り50勝を超える52勝。77年のNBA編入後初の地区優勝を果たした。プレーオフでもインディアナ・ペイサーズ、シャーロット・ホーネッツに続いてボストン・セルティックスも下しカンファレンス制覇。セルティックスとのシリーズで、キッドはカンファレンス決勝史上3人目のシリーズ・トリプルダブル(平均17.5点、11.2リバウンド、10.2アシスト)を達成した。レギュラーシーズンMVPはティム・ダンカンが受賞したが、多くの人がキッドこそMVPに相応しいと感じていた。
  ロサンゼルス・レイカーズ相手のファイナル第1戦でも、キッドは23点、10リバウンド、10アシストのトリプルダブル。第3戦でも30点、10アシストと奮闘したが、チームは3連敗を喫した。第4戦ではマーティンが奮起し、第1クォーターだけで17点、第4クォーターにも13点をあげ、計35得点と大活躍した。しかしそれでも6点差でネッツは敗れ、前評判通りとはいえ屈辱のスウィープ負けを喫してしまった。

「大事な試合だったのに、実力を出し切らないヤツがいた」。試合後、マーティンは7点しかあげられなかったチームメイトのキース・ヴァンホーンを批判した。誉められるような行動ではなかったが、それだけマーティンが情熱をもって試合に臨み、結果を出していたからこその言動だった。

■契約問題のゴタゴタが相性抜群の二人を別つ

 翌02-03シーズンは、キッドがチームトップの平均18.7点、マーティンがキッドに次ぐ16.7点をマーク。マーティンはフレイグラントファウルも1回だけに抑えるなど、精神面でも成長の跡をうかがわせた。
 「彼は着実に成長している。すべてのことにアグレッシブに取り組んでいるし、RJ(リチャード・ジェファーソン)にも良い影響を与えている」とキッドもマーティンの成長を高く評価したが、彼にそうした変化をもたらしたのはキッドその人だった。

「ケニョンはジェイソンからたくさんのことを学んでいるはずだよ。ジェイソンはいつも冷静で、信頼できる人間だからね。みんな彼のためなら、崖から身を投げるくらいの覚悟があるのさ」(ジェファーソン)。チームメイトがキッドに寄せる信頼は絶大だった。

 2年連続でファイナルに駒を進めたネッツだったが、サンアントニオ・スパーズ相手に6戦で敗退した。その原因になったのはマーティンだった。第4戦までは3試合で20点以上を稼いでいたが、体調を崩した第5戦では4点、8ターンオーバー、第6戦では23本中20本のシュートを外して6点のみに終わった。
 「練習でも試合でも決めてきたはずのシュートが入らなかった」と肩を落としたが、「これならヴァンホーンのほうがマシだった」と、前年のファイナルでの発言を引き合いに出されても反論はできなかった。

 シーズン終了後にFAとなり、一時はスパーズ移籍も囁かれたキッドだったが、結局6年9900万ドルの好条件で再契約。マーティンとのコンビは無事継続されることになった。しかし、続く03-04シーズンはカンファレンス準決勝で敗退。契約最終年を迎えていたマーティンは、初のオールスターにも出場し、平均16.7点、9.5リバウンドの自己ベストの成績でシーズンを終えた。

「ケニョンは、僕が一緒にプレーした中で最高のフォワードだよ。彼がいないのならネッツでプレーするつもりはない。チームに留まってもらうよう僕が説得するつもりだ」。キッドはマーティンの残留を望んだが、ネッツは最高限度額を支払ってまで引き留めるつもりはなかった。04年7月、マーティンはサイン&トレードでデンバー・ナゲッツに移籍した。
 「ジェイソンも(移籍に)賛成してくれたよ。バスケットボール界有数のポイントガードとプレーできたのは素晴らしかった。3年間、俺たちは家族のようなものだったから去るのはつらいけど、これが最良の選択だ」。

 マーティンの決断を支持はしたが、キッドはチームに対する不満を隠さなかった。04-05シーズン、ネッツが開幕から不振に陥ると、キッドは公然とトレードを要求した。その後ヴィンス・カーターを獲得して成績も上向いたことで矛を収めたが、プレーオフでは05、06年と2年連続でマイアミ・ヒートに敗退。07-08シーズン途中にトレードでネッツを去った。その行き先は古巣のマブズ。

 すでに30代半ばとあって、かつてのようなコートでの圧倒的な支配力はなくなっていたが、代わりに老獪さを身につけていた。11年にはマーティンではなく、ダーク・ノビツキーの最良のパートナーとして、17年目にして念願のチャンピオンリングを手にした。
  一方、マーティンの移籍は裏目に出た。キッドの手を離れたあとは、オールスター級から並の選手に成り下がってしまい、若いカーメロ・アンソニーの陰に隠れてしまった。ジョージ・カールHCとの確執でトレード候補に上がりながら、年俸が高すぎて引き取り先すら見つからない状態にも陥った。ナゲッツとの契約が切れたあとは、一時中国でもプレーした。

 一旦は切れてしまったキッドとマーティンの縁は、12-13シーズンになって復活する。キッドがプレーしていたニューヨーク・ニックスが、2月にマーティンと10日間契約を結んだのだ。実に9年ぶりのコンビ再結成だった。この年を最後に引退したキッドは、すぐネッツのヘッドコーチに就任。1年限りで退任したあと、ミルウォーキー・バックスのHCに迎えられ、翌年1月にまたもマーティンが10日間契約で加入した。「若い選手の見本としてぴったりだ。彼とは家族の一員と言ってもいいほど親しい間柄だしね」とキッドは語っていた。
  同年限りでマーティンは引退。通算成績はドラフト1位指名としてはいささか寂しいものだったが、世界最高のリーグで15年プレーしただけでも誇っていい。現在は息子のケニョン・ジュニアが、ヒューストン・ロケッツに所属している。

 キッドは18年にバスケットボール殿堂入りを果たした。マーティンにはその可能性はほとんどなさそうだが、キッドはこのように言う。

「彼は私のミスを救ってくれた。彼のおかげで、私は良い選手に見えていたんだ。世間では私が彼を良い選手に見せていたと言っているようだが、逆もまた真なりなんだ」

 現在のネッツのビッグ3が今後も機能し、久々のファイナル進出を果たせるかどうかは、彼らがキッドとマーティンのような信頼関係を維持できるか否かがカギになるだろう。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2006年11月号掲載原稿に加筆・修正。

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