鹿島を率いて9年。トニーニョ・セレーゾが語る日本サッカーの成長

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 ジーコ、ファルカン、ソクラテスとともにブラジル代表で黄金の中盤を形成し、2度のW杯を戦ったトニーニョ・セレーゾ。ディフェンシブハーフとしての卓越した能力はその後、セリエAのローマ、サンプドリアで発揮された。そして1992年のチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)決勝をバルセロナと戦ったのを最後に、サンパウロに移籍した。

 当時のサンパウロはブラジルでも最高の強さを誇っていた。チームメイトにはカフーもいた。そして、「キャリアの終わりに、私は初めて日本を知る機会を得た」と、トニーニョ・セレーゾは言う。

 1992年、1993年と、トニーニョ・セレーゾはトヨタカップで2年連続プレーしている。1993年の大会では、38歳と両チームの選手の中で最高齢だったにもかかわらず大会MVPに選ばれた。ミランを倒し、タイトルを制するとともに、トヨタの車も手に入れた。

 しかし、前年の1992年の大会も、トニーニョ・セレーゾにとっては忘れられないものだった。なぜならこの時サンパウロが倒した相手はバルセロナだったからだ。

「サンプ時代の2度の敗退(カップ・ウィナーズカップ決勝とチャンピオンズカップ決勝)のリベンジを果たすため、私は地球の裏側まで行った。歓喜に沸く東京の国立競技場の風景を、私は今でもよく覚えている」

 1997年8月、トニーニョ・セレーゾはキャリアをスタートさせたアトレティコ・ミネイロを最後に、現役を引退した。


2000〜05年と2013〜15年、計9シーズンにわたって鹿島アントラーズを率いたトニーニョ・セレーゾ photo by Yamazoe Toshio

 現役時代の忘れられないエピソードがふたつあるという。ひとつ目はローマの一員としてオランダのフェイエノールトと対戦した時だ。前半終了後、彼フェイエノールトのオランダ人選手が、いつも自分の守備の間をすり抜けるとぼやいていたという。しかし、ハーフタイムの終わりに、それがヨハン・クライフであることにやっと気がついたという。

「だから後半は彼に近づくことはしなかった、ただ45分間、彼のプレーを眺めては感動していたよ」

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