福田正博が内田篤人に見た理想の日本人SB像。圧倒的な賢さの中身

福田正博 フットボール原論

■内田篤人が引退を表明した。20代後半からはケガとの戦いになってしまったが、鹿島、シャルケ、日本代表ですばらしいプレーを披露し、日本人選手のサイドバック像をつくりあげた。そんな内田のすごさ。そして、プロ選手にとってケガとの対峙がいかに大変なものなのかを、福田正博氏に明かしてもらう。

 まずはお疲れ様と伝えたい。

 内田篤人が8月23日のガンバ大阪戦で現役を退いた。だが、まだ32歳。右ヒザの故障もあって、この5年くらいは本人が納得のいくプレーができなかったなかでの決断だったのは理解できる。それでもやっぱり早すぎるし、もっと彼のプレーを見たかったというのが率直な気持ちだ。


内田篤人が引退。世界レベルへの道を切り拓き、日本人選手のサイドバック像をつくった

 清水東高から鹿島アントラーズに進んだ2006年、高卒ルーキーながらも開幕戦からスタメン出場。07年には日本代表合宿に初招集され、翌08年1月にはチリとの親善試合で日本代表にデビュー。若くして日本のトップ選手へと駆け上がった。

 しかし、10年南アフリカW杯ではメンバー入りしたものの、試合出場はなし。その悔しさから、成長するために選んだのが海外移籍だった。W杯後の7月にブンデスリーガのシャルケへ移籍し、1年目の2010−11シーズンにはチャンピオンズリーグ(CL)ベスト4の舞台に立った。

 シャルケと日本代表で不動の右SBとして存在感を高めて迎えた14年ブラジルW杯大会を控えたシーズンで右ヒザを痛めたが、リハビリに励んでW杯に間に合わせた。

 ただ、この反動だったのかはわからないが、その後は思うようにプレーができなくて右ヒザの手術に踏み切った。これが彼のサッカーキャリアの転換期になった気がしてならない。

 シャルケには7シーズン在籍したが、彼が満足にプレーできたのは実質3年半ほど。まばゆい輝きを放った20代前半に比べ、手術以降の内田は右ヒザの故障との戦いの日々になってしまった。

続きを見る

関連記事(外部サイト)