「最強」2000年アジアカップの日本代表はそれまでと何が違ったのか

「史上最強」と称された日本代表
――第2回

2000年アジアカップ。日本は圧倒的な強さを見せて2度目のアジア制覇を遂げた。当時、その代表チームは「史上最強」と称された。20年の時を経て今、その強さの秘密に迫る――。

◆第1回はこちら>>


2000年アジアカップ。大会当初、明神智和は「コンディションはよくなかった」と言う。photo by Press Association/AFLO

 レバノンで開催される2000年アジアカップへ向け、日本を発った日本代表は、まずはフランスに立ち寄った。当時、1998年のワールドカップと2000年のユーロで優勝していたフランス代表の活動拠点がある、クレールフォンテーヌで事前の最終キャンプを行なうためだ。

「僕自身のことだけで言うと、フランスの合宿でも、やはりコンディションも、パフォーマンスも、あまりよくなくて......」

 う〜ん......と唸り、そう語ったのは、明神智和である。

 持てる力を尽くし、メダル獲得に挑んだシドニー五輪の直後である。彼らが、心身両面で"燃え尽きていた"としても不思議はなかった。

 しかし、チーム状態に関して言えば、「シドニー世代の選手も五輪が終わって、ここからA代表でスタメンを取ってやるという、競争意識は高かった」と、明神は記憶している。

「チーム作りというか、雰囲気作りというところは、事前合宿でうまくできていたと思います」

 最終キャンプの仕上げは、パリ・サンジェルマン(PSG)との親善試合だった。結果は1−1の引き分けに終わったが、ピッチを広く使った大きな展開から森島寛晃が鮮やかなゴールを決めるなど、上々の内容で締めくくった。

 もちろん、すべてがうまくいったわけではない。だが、名波浩には、確かな手応えが感じられた。

「PGS戦では、森島のゴールも含めて、ダイナミックな動き出しができていた。結果的に2人目、3人目が絡めなくても、イメージは共有できていたよね、っていうポジティブなミスが多かったですね。ハーフタイムも、試合後も、トルシエはすごく上機嫌で、非常に前向きな選手への鼓舞が多かったです」

続きを見る

関連記事(外部サイト)