「一度は辞めようと思った」鳥海連志がゴールデンラジオで語った銀メダルへの道のり

2021年の東京パラリンピックで強豪アメリカと善戦。わずか4点差という僅差で敗れ、堂々の銀メダルを獲得した車いすバスケ日本代表チーム。その大会でMVPを獲得したスピードスター・鳥海連志選手が、ラジオ番組に出演して東京パラリンピックまでの道のりを語った。

■辞めようと思った自分を支えてくれた先輩

「小さな幸せを毎日届けたい」を大きなテーマに、頑張っている人々へのエールや再チャレンジの精神をお届けするラジオ番組『大竹まこと ゴールデンラジオ!』(文化放送)。東京パラ車いすバスケの銀メダリスト・鳥海選手が7月21日に放送された『大竹メインディッシュ』コーナーに出演した。

わずか15歳で日本代表強化合宿に招集され、日本選手団最年少の17歳でリオデジャネイロパラリンピックに出場した鳥海選手。しかし、その後は引退を考え、自宅に引きこもっていたという。

「リオデジャネイロパラリンピックで9位となったあと、辞めようと思っていました。コートのなかに立っていたときに、思うようにうまく動けない自分や、世界の壁を感じてしまって……。長崎の自宅に帰って、バスケから距離を置こうと2〜3ヶ月、誰とも連絡を取らなかったんです。

そんなとき、日本代表のキャプテンをされていた豊島英さんから電話をいただいて。『悩むことがあるなら相談してほしい。周りの人に悩みを言うことで、鳥海にとって何が一番いいのか、みんな一緒に探してくれるよ』と言ってもらったんです。そこから、自分だけで抱え込まず、周りに相談することが少しできるようになりました。

その後、リオの翌年に世界選手権があったりと、わかりやすく一歩一歩進んでいける目標が目の前に出てきたので、なんとか進んでいって。周りの人からも『絶対に続けたほうがいい』と言ってもらえて、東京までやっていこうと思えましたね」

■コロナ禍で行った“zoom筋トレ”

2020年に開催予定だった東京パラリンピックは、新型コロナの世界的パンデミックにより、異例となる1年延期になってしまう。Stayhomeという新たな生活様式のなかで、どのようにして練習を進め、銀メダル獲得に至ったのだろうか。

「東京パラリンピックに向けては、2017年ぐらいから本格的に練習をスタートしていました。延期が決まったときは……本当に苦しかったですけど、自宅で練習するしかなかったので、若手メンバーでzoom(オンラインミーティングサービス)を開いて、同じ時間帯で一緒に筋トレしたりしていましたね。トレーナーさんにもzoomに入ってもらって、練習メニューを教えてもらいながら、みんなで一緒にやっていく形でした。

東京パラリンピックでは、決勝戦でアメリカと戦って負けてしまったけど、かなり接戦に持っていけたな、という気持ちです。悔しい気持ちはあるけど、ここまで戦えたんだなという喜びのほうが大きかった。僕には、パラリンピックで決勝の舞台に立ちたい、という目標がずっとあったんです。それは、最初は僕だけの目標だったけど、そのうちに両親も一緒に夢として追ってくれるようになって。

僕を支えてくれる人たちが、だんだんと1つの夢を共有してくれていったのが、一番の糧になりましたね。特に母や父の存在は大きかった。決勝戦のあと、両親は多くを語らなかったですが、『お疲れ様、頑張ったね』と言ってもらえて。電話越しでしたが、泣いているのがわかって……。あのときは辞めないでよかったなと思えました」

両親との心温まるエピソードも語ってくれた鳥海選手。現在発売中の著書『異なれ -東京パラリンピック車いすバスケ銀メダリストの限界を超える思考-』(小社刊)には、支えてくれた家族とのエピソードや、これまで自分とどう向き合ってきたかなどについて書かれている。

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