伝説の「平成・春のセンバツ対決」PLが「連続激突3季目」でついに横浜に勝利

伝説の「平成・春のセンバツ対決」PLが「連続激突3季目」でついに横浜に勝利

伝説の「平成・春のセンバツ対決」PLが「連続激突3季目」でついに横浜に勝利

 高校野球甲子園大会では、春夏、もしくは夏春連続という2季連続で同一カード対決となることはあるが、3季連続となると極めてマレ。その1つが1999年第71回春の選抜で実現した。横浜(神奈川)対PL学園(大阪)である。

 この前年、両校は春夏の甲子園で激闘を繰り広げた。当時の横浜は“平成の怪物”松坂大輔(中日)を筆頭にタレント軍団を擁し、甲子園大会優勝候補の大本命。対するPLも主将の平石洋介(東北楽天監督)を中心に戦力が充実。春夏の対決いずれも大接戦となったが、いずれもPLが惜敗した。春は2‐0とリードしていたが終盤に崩れて2‐3の逆転負け。夏は延長戦で2度許したリードに追いつく粘りを見せたものの延長17回の死闘の末、最後は力で突き放され9‐7と無念の惜敗。両試合とも僅差で勝利を逃がしたPLナインにとって“打倒・横浜”はまさに悲願だった。

 この両校が翌年春の選抜にそろって出場。そしてまさかの初戦で激突という展開に。PLにとってはリベンジの舞台がいきなり訪れたのだ。旧チームから残ったメンバーは横浜との延長17回戦で松坂から4安打した切り込み隊長の田中一徳(元・横浜)や控え捕手だった田中雅彦(元・千葉ロッテなど)、名手・足立和也の3人。対する横浜は大黒柱の松坂らが抜け、春夏連覇した旧チームよりも小粒とはいえ、前年秋の関東大会では堂々の準優勝。この“因縁の対決”は当然のように1回戦屈指のカードとされ、戦前から高校野球ファンの高い関心が注がれたのである。

 試合は初回から動いた。表に横浜が1点先制するとその裏にPLもトップの田中一徳が出塁し1死三塁のチャンスを作る。ここで3番・覚前昌也(元・大阪近鉄)と4番・七野智秀(元・横浜)に連打が飛び出し逆転。その後、点を取り合う激しい展開となり、試合は5回終わって5‐3とPLが2点リードしていた。

 この緊迫した試合の中、得意のカーブが決まらず、序盤から常に走者を背負って粘り投球を続けていたPLのエース・植山幸亮。5回表のピンチはショート・足立の連続ファインプレーで助けられたが、続く6回の表に横浜の同点への執念がついに実る。苦投の植山を捉え、試合を5‐5の振り出しに戻したのだ。

 だが、終盤勝負と踏んでいたPLベンチに焦りはなかった。5回以降、横浜投手陣の継投策に無得点が続いていたが、その思惑通り8回裏に6番・中尾敏浩(東京ヤクルト)の右中間二塁打をきっかけに1死一、三塁と絶好の勝ち越しのチャンスを作ったのである。ここで打席に入ったのが前年夏の横浜戦で松坂に三振に打ち取られて最後の打者となった9番・田中雅彦だった。この屈辱の試合のビデオを何度も見て闘志を奮い立たせてきたという田中の一打はレフトへの浅い飛球となったが、横浜のレフト・松岡政の本塁返球が三塁走者・中尾の背中に当たり、PLは貴重な勝ち越し点を奪ったのである。

 殊勲の打点を挙げた田中は捕手として守りでも強肩ぶりを発揮。9回表1死一塁の場面での好返球で二盗を阻止し、横浜の反撃の芽を摘み取ったのだ。最後は植山が好打者・松本勉を三振に打ち取り、PLはついに悲願の“打倒・横浜”を成し遂げたのだった。

 まさに“野球の神様”の意志で実現したかのような3季連続の対決。これもまた神様の筋書きなのだろうか、そのすべてが“紙一重”の名勝負であった。

(高校野球評論家・上杉純也)=文中敬称略=

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