「気持ちの整理が…」元巨人・川相昌弘、03年“引退撤回で中日移籍”心境とは

「気持ちの整理が…」元巨人・川相昌弘、03年“引退撤回で中日移籍”心境とは

「気持ちの整理が…」元巨人・川相昌弘、03年“引退撤回で中日移籍”心境とは

「青天の霹靂」と言えば、2003年シーズンオフ、原辰徳監督の突然の辞任を受けて、後継として巨人の監督に就任した堀内恒夫氏の記者会見での言葉であった。同席していた困惑の表情を隠せない原氏の隣で、「青天の霹靂。この時期に全く予想していなかったし、大変なことになったなと…」と堀内氏が複雑な心境を吐露していたのを思い出すが、この突然の監督交代劇は、原氏、堀内氏のみならず、この人の運命も左右してしまったようだ…。

 通算犠打533本の世界記録をマークした元プロ野球選手、川相昌弘氏である。川相氏は、03年に原監督から一軍内野守備・走塁コーチの要請を受けた。快諾した川相氏は、球団がお膳立てした引退試合にも出場したが、その直後に前出の「青天の霹靂会見」があったのだ。

 西武、巨人に籍を置いた元プロ野球選手、大久保博元氏のYouTubeチャンネル〈デーブ大久保チャンネル〉に川相氏が出演。4月9日付けの〈第五話【前代未聞】巨人で引退したのに、中日に入団した理由〉と題した回を観ると、原監督解任の後、しばらく球団から連絡がなかったものの、あらためて堀内新監督から二軍守備コーチの要請を受けたと語る川相氏。しかし原監督についていく気持ちが固まっていたことから、「気持ちの整理がつかなかった」と振り返る川相氏は引退を撤回。元チームメイトであった落合博満氏が監督に就任した中日の入団テストを受けて、移籍が決まった経緯がある。

 川相氏にとっても「青天の霹靂」だったようだが、もっとも川相氏には40歳まで内野手として現役を続けたいとの目標もあったようで、中日に移籍した04年に達成している。原監督との絆、さらに現役にこだわった川相氏に拍手を送りたくなる興味深い回だった。

(ユーチューブライター・所ひで)

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